破滅
「来たか、レジーナ」
「要件は何でしょうか、お父様」
一人暮らしの部屋から呼び出されたレジーナは、ある日突然、父親に実家に呼び出されたので、それに応じていた。
「お前の婚約者候補が決まったから、どれにするか決めろ」
デスクの上に、何枚かの顔写真と興信所のデータが雑に置かれた。
「分かりました」
「お前が入れ込んでいる有馬の男とはもう金輪際会うな。話がややこしくなるからな」
「分かりました」
やけに聞き分けが良く、無感情にYESを唱えるレジーナに、父親は怪訝な表情を浮かべたものの、深く思案はしなかった。
「要件は以上ですか?」
「ああ。もう下がっていいぞ」
「では、失礼します」
頭を下げて、レジーナは部屋を出る。
外で待っていた侍女、ガートルードが付き従いながら、彼女の耳元で囁く。
「懇親会は三日後です」
「分かっている」
「実行する気ですか?」
「当然だ」
――――――――――――――――――――――――――――――
「今日はよくぞお集まりくださいました。主催のシリウス・レクスクラトルです」
会場で拍手が巻き起こる。
レクスクラトル家が所有する豪邸には、大勢の人間が集まっていた。いずれも大企業や、財閥の重役ばかりで、この集まりがいかに重要な社交界であるかが、容易に窺い知れる。
今日はレジーナと婚約者候補の対面も兼ねていた。
一番若いので同世代の十七歳、最年長でも二十二歳と、レジーナに合わせて見繕われた男達が、レジーナに群がっていく。
華やかなパーティにはいささか不似合いな、喪に服したかのような黒いドレスも、彼女の美しい銀髪との相乗効果で素晴らしいモノとなる。
レクスクラトル家が運営するメガリス社と懇意になれば、大きな利がある。それだけではない。レジーナほどの美しい令嬢を、自らの手で自由にできるのだ。
男達は必死に、されど気品を保ちつつ、レジーナへ順次アピールをしていった。
「来月、うちでパーティをするんです。そこで是非、演奏をお聴かせしたいのですが」
「ええ。では次の機会に」
「今度、俺とドライブしませんか? 退屈させませんよ。スポーツカーですが、ちゃんと法定速度は守ります。万が一のことがあってあなたの絹糸のような肌に傷をつけるわけにはいきませんからね」
「良いですね。機会があれば是非」
当たり障りのない受け答え、つまらない愛想笑いで、男達を流していると、ガートルードが傍にやって来て、耳打ちをした。
「お時間です」
レジーナは頷くと、自分を囲む男達を見渡して告げた。
「大変申し訳ありません。今日はどうも体調が優れないみたいで。少し休ませていただきます」
「あー、それは申し訳ないことをした。こんな間近で話していて不調に気づけないとは、候補失格だな」
「お気になさらないでください……では、失礼します」
ドレスの裾を持ち上げて一礼し、レジーナは会場を出る。
しかし、向かったのは自室のベッドではなく、外に用意してあった車だった。
――――――――――――――――――――――――――――――
パーティから抜け出したレジーナは、迎えに来た車に乗って、ガートルードと共に近くにある小高い山の頂上に向かった。
そこから眺める空は、いつだったかの観測会の時のように、綺麗で、澄んでいて、美しかった。街の光害にも負けず、力強い光をこの地上まで届けていた。
一キロメートル以上離れた先には、レジーナ自身が先ほどまでいた、パーティ会場の豪邸宅があった。
「レジーナ様、これを」
大きなアタッシュケースを片手に持ったガートルードが無線機を差し出した。
じっと、受け取った無線機を眺める。これから訪れる瑠美奈との未来を想像して、身体を小さく震わせる。
恍惚に浸るのはまだ早い。
まだ、何も始まっていないのだ。しっかりしなければ。
一息つくと、レジーナは声を上げた。
多少騒がしくしても、誰にも聞かれない。
「これより、状況を開始する!」
レジーナの宣言に対し、各員からの応答。
『こちらゲルトルート、行動開始』
『スートリア、フラムニカ、スタンバイ』
レジーナのいる位置から、十数キロ離れた山の中にある、二台の電源車と通信車。
通信車は、関東大震災で巻き込まれた物をリペアして改造したもので、今回の作戦にて必要不可欠な重大な歯車の一つだった。
ゲルトルートが搭乗する電源車が稼働し、通信車へと電力の供給を始めた。
スートリアとフラムニカが、通信車の内部にあるコンピュータを立ち上げて、各々操作を開始する。
「では、実行します」
フラムニカが細かい調整を行うと、通信車の車体上部にあるアンテナが動き出し、ほぼ真上を向いた。
「さあ、始めるとしよう。オペレーションメテオを」
スートリアが笑顔を浮かべて、まるでピアノを弾くかのように、キーボードの上に指を走らせる。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
自身のデスクについて、コーヒーを飲み、寛いでいた
「大変です、中佐! ミライがコントロールを奪われました。操舵不能!」
「何だと?!」
二人で転びそうになりながら、大慌てで現場の下へ向かう。
国防を担う航空管制施設も荒れに荒れていた。
人が慌ただしく行きかい、怒号が飛び交っている。
現場には、佐官だけでなく、将官も複数やって来ていた。
「状況はどうなっている!」
「そこの者が説明した通りです。ミライのコントロールが奪取されました。こちらからの停止コードも受け付けない状態です」
「ミライには電磁妨害フィールドがあるだろう!」
早期警戒防空全翼機ミライは、無人兵器だ。最高レベルの通信技術と人工知能を用いて、静止軌道をとっている軍事衛星を介して命令を出す。
的確に陸軍を支援し、領空を防衛する日本の守護神は、絶大な攻撃能力と、レーザー送電による驚異的な継続戦闘能力を誇る代わりに、サイバー攻撃を受けると無力化されてしまうという明確な弱点があった。
その為、地上からのサイバー攻撃に対処するべく、機体上部以外の全方位に電磁妨害フィールドが貼られている。
「クラックされているのはミライではなく、SILUX-JP6のようです」
真に制御不能なのは、宇宙で静止軌道をとっている軍事衛星SILUX-JP6だった。
SILUX-JP6は空軍基地からの命令を受け付けず、ミライに空軍が意図していないコードを送り続けた。
「何とかコントロールを取り戻せ!」
「今やっています!」
画面から目を離さずに答え、管制官は手を動かし続ける。
「戦闘機は?」
「F-62が二機、3分前に緊急発進しました」
有事の際には、当然ながらミライを撃墜する為に戦闘機が発進する。
流石に素早い。
「ミライの進路は?」
「不明です。現在位置は茨城で、そこから北に向かって北上している模様」
「一体何だというのだ……」
管制室にアラートが響き渡る。
「今度は何だ?!」
「ミライからミサイルが射出されました!」
「なっ?!」
空対地炸裂弾頭ミサイルが一発、ステータス上で減っていた。
「SILUX、コントロール回復!」
「ミライの操作、回復しました」
ミサイル発射には間に合わなかったが、それ以上の被害はとりあえず防げた。
問題は、ミサイルの向かった先だ。
「それで、ミサイルはどうなった?!」
「何も無ければ、いずれ推力を失って落下するはずです。終末誘導が無ければ起爆しません」
「なら……被害は無いか?」
「民家にさえ落ちなければ問題ないかと……世論は最悪でしょうが……」
「何も無い事を祈るしかないな……」
コントロールは戻って来たものの、依然として管制室は騒がしいままだった。
国家を揺るがすサイバー攻撃がたった今起きていたのだ。当分の間は、国中が騒がしくなるのは誰にでも想像できることだった。
――――――――――――――――――――――
「レジーナ様、作戦は順調のようです」
「そうか……ならば、私も務めを果たすとしよう」
ガートルードが、持っていたアタッシュケースを床に置いて開いた。
ケースの中には、かつて陸軍が使用していた誘導装置を、改造した物が収まっていた。
取り出して、起動する。
レジーナは誘導装置を構えて、目標である豪邸の中心を、カメラに収めた。
「対象を捉えた。データを送る」
『データを受信。座標指定完了。ミサイル発射します』
「了解」
数秒の間があった後、再び無線が鳴った。
『ミサイル射出完了。終末誘導を続けてください』
「了解」
スートリアに代わって、フラムニカの声が無線機から響く。
『着弾まで、後十秒』
後十秒で、目の前にあるたくさんの命が消える。
だと言うのに、レジーナの心は何も響かない。風のない湖畔の水面のように、静かだった。
『9……8……7……』
秒読みが始まった。
「パパ、ママ、私を産んでくれてありがとう」
『4……3……2……』
「瑠美奈と引き合わせてくれて、ありがとう」
『1』
「愛しています」
『着弾』
次の瞬間、豪邸のど真ん中にミサイルが直撃し、爆発した。
広域炸裂弾頭の威力は絶大で、屋根を貫通し、内部を壊滅させて爆炎を上げる。大量のガラス片と、瓦礫が周囲に飛び散った。
大勢の人達の悲鳴が木霊する。
あの光景では、パーティ会場にいた人間は誰も生きてはいないだろう。
スタッフが何人か生きていれば御の字か。
「レジーナだ。作戦は成功した。撤収する」
『はい。こちらも状況を終了し、帰還します』
おびただしい量のパトカー、消防車、救急車のサイレンをバッグに、レジーナとガートルードは車に乗り込んで、街の外へと消えて行った。
この事件は死者171名を出し、パーティに参加していた大企業や、財閥の重役が軒並み死亡した。
その結果、いくつもの企業で派閥争いが激化し、その多くが弱体化。日本経済は大きな被害を被ることとなる。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
聖堂の真ん中で喪に服した黒い服で、佇んでいる少女がいた。
流れる銀色の髪は美しく、その黒い服とは対照的で、よく目立っていた。
「レジーナ……」
振り返ったレジーナは、顔中に涙の跡があった。
泣いて真っ赤になった目で俺を見つけると、不安定な足取りでこちらへと駆け寄ってくる。
前につんのめるように転んだ所を、受け止めた。
いつもの強大な存在感は無く、消えてしまいそうな儚い身体を、繋ぎ止めるように強く抱きしめた。
「パパも、ママも死んでしまった……私はもう一人だ……」
「俺がいる」
「ああ、そうだ……私には、君しかいない」
鼻を啜る音が響く。こめかみが、彼女の涙で濡れた。
「私にはもう、君しかいないんだ」
俺は今まで法律を犯したことはないが、きっと地獄に堕ちるだろう。
レジーナの両親が死んで、こんなにも喜んでいるのだから。
いつの間にか裏で進んでいた婚約の話は白紙になり、両親が死んだことで、俺は彼女と婚姻を結んでも許される確率が増した。
何より、天涯孤独になったレジーナは、俺に強く依存してくれた。
もう俺は……身分を気にせずに、レジーナの傍にいても良いのだ。
頑張って抑えようとしたのに、笑顔が零れてしまう。
間違ってもレジーナに見られないように、きつく抱きしめた。
だから俺は……レジーナが同じように嗤っていることに気づかなかった。
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