自殺許可







 『旧校舎三階の美術室で伝えたい事があります。』


 そんな手紙が瑠美奈の下駄箱に入っていた。

 字は丸みを帯びてはいるが、固い筆圧で、男のモノか女のモノかぱっと見では判断がつかない。


「今時ラブレターかよ」


 傍でそれを見ていた火恋が、小馬鹿にするような口調で言い放つ。


「俺は手紙の方が好きだがね」


「興味ねーわ。じゃ、また明日な」


「おー」


 相変わらず女子用の制服を着ている火恋と別れ、手紙を片手に旧校舎へと向かう。


 三階と言えば、活動しているのはよく分かんない同好会が二つか三つある程度で、基本的にいつも静かだ。

 美術部は新校舎の方にある教室で活動しているし、放置されている方の古い美術室はカビ臭そうだ。


 明日美に見られたら、一緒について行くとか言ってきそうだから、美化委員の当番で助かった。


 一々鞄を置いてから畏まっていくのも怠いから、直接三階の美術室へ向かった。

 相変わらず旧校舎は静かだった。今日はホームルームが早く終わったから俺が一番乗りなのかもしれない。


 俺はこの学校の旧校舎が好きだった。何となく、気分転換で散歩したくなるぐらいには。

 旧校舎は時々、賑やかな笑い声がどこかの教室から響いてくる。そう言う何でもない放課後の空気が、堪らなく愛おしかった。

 グラウンドや、体育館から響いてくる運動部の声も好きだ。多分そう言うのが心に響くタイプなんだと思われる。


 なんてどうでもいいことを思っている内に、美術室に辿り着く。

 想像通り、変な匂いの充満した教室だった。別に鼻が曲がるほど不快な匂いという訳でも無いので、別に耐えられなくはない。

 窓を開けて換気する。恐らく、換気した所で戸を締めればたちまち元通りだろうが。


 手紙の主が来たところで、話を聞くだけ聞いて速攻で帰るだけだから、換気する必要なんてないし、そもそも廊下で待てばいいだけのことなのだが、何となく。 


 手元の手紙に視線を移す。正直、シンプルで味気ない質素な手紙だった。もしかしたらラブレターではないかもしれない。


 仮にラブレターだったとしたら、爆速で断って終わりだ。

 レジーナ達と長く一緒にい過ぎたせいで美的感覚が最上位で固定されてしまっており、それ未満が全てジャガイモにしか見えない。

 なので、都合の良いセックスフレンドを申し出られても要らないし、平均以上の顔でも要らない。

 これは呪いでもあった。人の顔を0か100でしか評価できない、ポリコレ時代に逆行したハイパールッキズムにされてしまったということなのだから。


 美術部の窓から外を眺めると、仁和令明のゴルフ部と、水泳部、第二グラウンドを使ったテニス部と、あまり見ない部活の面々が見えた。

 こっち側はあまり来ないので、少し新鮮だった。


 景色を眺めて待つこと数分。


 手紙の差出人は未だに訪れない。

 帰っても良いのだが、人の気持ちを踏みにじってはいけないと、過去に世駆兎に怒られた経験がある為、二の足を踏む。


 その時、隣の美術準備室で音が鳴った。

 目覚まし時計のタイマーのような、規則正しいリズムで、連続で鳴り響く。


 もしかしてそっちで待っているというオチか?


 窓を閉めて、準備室の方へと向かった。

 扉を開けて、中を覗く。


 小さな銀のベルが床に落ちていた。

 タイマーがゼロになったから音が鳴ったようだ。


 ベルを拾い上げて、スイッチを押して音を止める。


 立ち上がって振り返った俺の視界に、異様なものが映り込んでくる。


 美術部の作品なのか、粘土のようなものを固めた灰色の仮面。目と口元にはポッコリと穴が空いていた。

 紺の合羽で上半身から太ももまでを覆い、下は制服のズボンが見える。

 フードを深々と被っている為、目の前の人間が本当に男なのかどうかは分からない。少なくとも骨格は男のモノのように感じられた。


「なんか用か?」


 聞いても、男は答えない。

 ゆっくりと、合羽の下から出した右手には、包丁が握られていた。


 不味いと思った時には、既に相手は動き出していた。


 咄嗟に一番リーチが稼げる前蹴りで迎撃しようとするも、上手く躱されて足を切りつけられる。


「ふざけんな!」


 怒号を出して、蹴りを躱す為に体勢を崩した合羽男に蹴りを入れる。


 身体が縺れ込み、お互いに壁を擦りながら倒れ込む。


 いきなり非日常に引きずり込まれたショックから立ち直ることが出来ていなかった俺は、立ち上がるのに手間取った。


 先に立ち上がった男が前傾のまま壁に叩きつける勢いで突っ込んでくる。

 その勢いで、腹部を刺された。

 相手の殺意は凄まじく、刺した包丁をすぐさま抜いて、再び突き刺そうとした。


 それを咄嗟に腕を伸ばして防ぐ。

 出血は恐ろしいが、腹部を刺されるより腕に傷を負った方が遥かにマシだった。


 体格差を利用して、体重を乗せて片手で男を突き飛ばす。案外小柄なのか、簡単に吹っ飛んで行った。


 倒れた際に頭を打ち、しかも仮面がズレて、視界を失ったらしい。滑稽なほどあたふたしていた。


 まだまともに動く腕で、包丁を持つ手を締め上げた。

 力自体はひ弱で、簡単に包丁の奪取に成功する。

 命の危険を感じて、火事場の馬鹿力が発動していたのかもしれない。


 思いっきり腹部を蹴り飛ばすと、相手は呻いてよろめいた。

 しかし、合羽がいい感じの防具になっていて、あまりダメージを与えられていないように感じる。


 出血している以上、素手でも脅威である事に変わりなかったのだが、包丁を失った男は、慌ただしく走り去っていった。


 いや、俺が既に脅威ではないと感じたのかもしれない。


 必死だったから気づいていなかったが、いつの間にか、足元に大量の血溜りが出来ていた。


 この分だとそう遠くない内に失血死するだろう。


 俺は準備室の扉を閉めて、意識がはっきりしている内に警察と救急車を呼ぶ。

 準備室の扉は正直、蹴り飛ばせば容易に突破できそうな造りだったが、男は殺しに戻ってはこなかった。




―――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 こうして、冒頭へと戻る。


 警察も救急車も、当然ながら通報を悪戯とはとらえず、しっかりと高校の中まで踏み入ってくれた。


 俺は無事に発見され、タンカーで運ばれた。


 その後は、ごく普通に病院の治療室に運ばれて、傷を縫合してもらったらしいが、ここら辺からは記憶になく覚えていない。

 漫画やアニメでは全く役に立たないあばら骨が役に立ったらしく、出血の割に傷は浅くて助かったのだとか。あばら骨もたまには役に立つ。


 そして、俺が入院した翌日、鈴木 優斗は自室で首を吊って自殺した。


 遺書には、藍川 瑠美奈を刺したのは自分だとの証言が残されており、断片的に見つかった証拠からも、鈴木 優斗が犯人で間違いないとされた。


 優斗が俺を刺した犯人であることは間違いないが、彼の両親は息子の死を他殺だと主張した。


 死んだ優斗の首元には、えぐいほど深い引っ掻き傷があったのだ。

 首を縄で絞められて、抵抗した時に出来た傷であると両親は主張するが、結局、警察がその主張を認めることはなく、あっさりと自殺として処理されてしまった。


 あいつが何で俺を刺したのかは分からない。

 案外勘が良くて、俺が常に見下していたのを敏感に感じ取っていたのかもしれない。


 それで短絡的に刺殺に走るのは愚かとしか言いようがないが。


 俺は血も涙もない人間であると言うことが、今回の事件を通して証明された。


 何せ優斗が自殺して、涙を流すこともなければ、悲しいとも思わなかったからだ。


 目障りな蝿が死んだ時、人は少なからず喜びの感情を覚えるだろう。


 今の俺の心にあるのは、その感情と同じ類のものだった。


 人として終わっているなと、自嘲する。


 病室から眺める空は、どこまでも晴れ渡っていた。




―――――――――――――――――――――――――――――――――




「ご苦労様、ガートルード」


「本当にご苦労ですよ。人を殺すのって凄く大変なんですからね」


 優斗を殺害して戻って来たガートルードをねぎらうも、彼女は不満そうな表情を隠そうともしない。


「もう少し遅く行けばよかったです」


「それは、どうして?」


「明日美様の所の芹恵せりえと、世駆兎様の所の紫子ゆかりこと遭遇したんですよ!」


「まさか」


「二人とも、鈴木 優斗の殺害を命じられていました。つまり、私がもう少し遅れて行けば、苦労するのはあの二人だったんです!」


 ガートルードは興奮したように、声を荒げる。


「特別手当はちゃんと出すから、どうか気を静めておくれ」


「はいはい。大丈夫ですとも」


 大丈夫と言っているのに、ガートルードは不貞腐れたままだ。

 レジーナは苦笑いを浮かべて、彼女を宥める。主人なのに従者なのご機嫌取りをする羽目になった。


「……さて、スートリア。聞こえるかな?」


 無線機の発信ボタンを押して、従者を呼び出す。


『何かご用ですか?』


「君にはこれから瑠美奈を護衛してもらう。二度とこのようなことが無いようにね」


『分かりました。任せてください……ところで、レジーナ様の警護が手薄になってしまいますが、それはどうなさるんですか?』


「もちろん、新しい人員を連れて来るとも」


『それは良かった。では、仰せのままに』


「頼んだよ」

 

 従者との通信を打ち切って、レジーナは空を見上げた。


「瑠美奈様に手を出したゴミは見えますか?」


「彼は地獄に落ちたから、空にはいないよ」


「おっしゃる通りですね」


「そう言えば、彼はどんな顔をしていたっけ……」


 長いこと一緒にいた筈なのだが、鈴木 優斗の顔を上手く思い出せなかった。

 その程度の存在でしかなかったのだ。




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