爆音ドクター






 水族館デートの締めで世駆兎に告白をしてから、どこをどうしてどうやって家に帰って来たのか、優斗は何も覚えていなかった。

 逆行性健忘症という奴だろうか。


 唯一覚えているのは、自分が振られたという事実だけ。

 涙が溢れ、ベッドに拳を叩きつける。


 悲しみに暮れて悔し涙を流し、次週まで想いを引き摺った。


 洗面所に映るのは充血した目の、情けない顔の男。


 優斗は重い足を引き摺って、学校へと向かう。


 世駆兎との甘い生活を何度も妄想し、期待していた分、フラれた時のショックはデカかった。

 授業も、友人との会話も何も入ってこない。


 完全なる虚無だった。


 それでも、部室へと足を運ぶ。

 今は皆で騒いでいた方が、気が紛れると本能が判断したのだろう。防衛本能が、壊れそうな心を繋ぎ止めようと必死だった。


 ふと、顔を上げると、遠くに見知った二人の背中が視界に映った。


 世駆兎と瑠美奈だった。

 思わず、優斗は傍の用具入れに隠れる。なんで隠れたのかは分からない。咄嗟の判断だった。

 別に、堂々と合流すればいいのに。きっと世駆兎はいつも通り接してくれるはずだから。


 二人は並んで旧校舎へと入っていく。

 今からでも遅くないかと、優斗は二人の背中を追った。

 

 旧校舎の昇降口から二階へと上る。しかし、上の階を誰かが上っていく気配を感じなかった。

 ということは、瑠美奈と世駆兎は二階のどこかに向かったと言うことになる。


 二階となると、料理部がある家庭科室に向かったのだろうか。

 階段からさほど遠くない位置にある家庭科室を覗くと、眼鏡をかけた少女が二人、何かの本を見ながら談笑している姿があるのみだった。


 いない。ということはどこへ?

 旧校舎は良く足音が響く。もし二人が四階の部室へ向かったのなら気づきそうなものだが――


 何となく二人の動向が気になった優斗は、家庭科室とは反対方向の廊下へと歩いていく。


 歩き始めた瞬間、遠くの教室から微かに聞こえてきた声に、思わず足を止める。


 忍び足で、声がした教室へと向かう。


 話し声はまだ続いている。階段からそう離れていない教室なので、優斗の足音は階段を上る者のモノとして処理されたようだ。


 声は間違いなく世駆兎と瑠美奈のモノだった。

 やはり推理は当たっていた。


 教室の入口横までやって来て、聞き耳を立てる。


「ねえ、瑠美奈、そろそろ機嫌直してよ~」


「別に、怒ってないけど」


「あのね、顔が怒ってるの。ほら、ちゅーしよ?」


 微かなリップ音が、入口まで聞こえてくる。

 わなわなと、優斗は体が芯から震える感覚に襲われた。


「ちゃんとフッて来たからいいでしょ? 手だって繋いでないし」


「優しすぎるんだよ、世駆兎は。一々他の男に構うな」


「面倒くさくて可愛いねぇ」


「悪かったな、面倒くさくて」


「そう言う瑠美奈も大好きだよ。ふふっ……ほら、もう一回ちゅーしよ?」


 何度も何度もリップ音が響く。

 衣擦の音と、二人の吐息までもが、優斗の耳に届いた。

 心臓の鼓動の激しさとは逆に、心は氷点下まで冷えきっていく。


「お姉ちゃんと舌を合わせて……粘液をずりずりして、あわあわいっぱい作ろうねー♡」


 長い付き合いの優斗でも聞いた事が無い、雄に媚びた雌の声。

 世駆兎の甘いボイスは優斗の耳からするりと脳みそまで侵入し、脳髄に甘い痺れを発生させる。


 たちまち股間に血流が集中し、たまらず前傾姿勢に陥ってしまう。


 優斗は一人涙を零しながら、その場をゆっくりと立ち去る。


 どんよりと濁った黒い瞳には、殺意が灯っていた。




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