マイケル





 

 鈴木 優斗には四人の幼馴染がいた。


 藍川 瑠美奈。

 レジーナ・レクスクラトル。

 世界 明日美。

 有馬 世駆兎。


 イケメンだけど性格に難のある瑠美奈と、見る者を魅了する美しさを持った三人の少女達が、幼い頃からの友人だった。


 いつから一緒だったのかは覚えていない。

 今呼んでいるライトノベルのように、幼稚園の頃から一緒というわけではなかった。

 記憶が確かなら、出会ったのは小学三年生ぐらいの時だったように思う。


 最初は優斗が、明日美に話しかけたのがきっかけだった。


「明日美ちゃん、凄く可愛いね」


 月並みの誉め言葉。

 それでも明日美は喜んでくれた。だから優斗は、いつも明日美の容姿を褒め称えた。

 くすぐったそうに笑う彼女に、幼いながらに恋をした。無理もないだろう。あれだけ美しいのだから。


「明日美ちゃん。一緒に遊ぼう」


「優斗くん、今日は世駆兎も一緒に遊ぶから」


 明日美は家の繋がりで知り合った世駆兎を連れてくるようになった。

 世駆兎は一つ上の学年で、本来なら見かけることはあっても、こうして関わることは無かった娘だ。

 明日美とはまた違った美しさを兼ね備えていて、優斗は思わず目移りしてしまう。

 そして、世駆兎を経由してレジーナと出会った。雪のように白い髪が優斗の興味を惹き、あっという間に彼女に夢中になってしまった。

 自分がどれだけ恵まれているかを、幼い優斗は理解できていないまま、月日を重ねていく。


 三人とも人気があるからいつでも引っ張りだこだけれど、休みの日なんかは四人で集まって遊ぶことが多かった。


 ある日、優斗の楽園に望まぬ来客が訪れる。

 世駆兎が連れてきた男の子だ。世駆兎の従弟らしい。


 仏頂面で、初対面なのに睨みつけてきて、彼は優斗が嫌いな人種であると本能的に見抜いた。


 少年は、藍川 瑠美奈と名乗った。


 この日から少しずつ、優斗の生活は壊れていく。

 壊れて行ったまま戻らないことを、この時の優斗が知る由もなかった。




―――――――――――――――――――――――――――




「ルーミ、遊ぼ」


「サッカーしたいからパス」


「やだああああ」


「わがまま言うな」


 明日美は新しく仲間に加わった瑠美奈に執着するようになった。

 一過性のもので、すぐに飽きると思っていたけど、ずっとそうだった。

 瑠美奈は世駆兎に対しては愛想を良くするが、明日美とレジーナと僕に対しては素っ気ない。

 仲よくする気がないなら、別にこちらから歩み寄る必要はないじゃないかと、子供ながらに憤慨して、優斗も瑠美奈に冷たくしていた時期があった。


 その内、警戒心を弱めた瑠美奈は、明日美とレジーナとも仲良くするようになった。

 二人とも瑠美奈とばかり話すようになって、優斗をほったらかしにすることが多くなっていく。不貞腐れて、不満げに顔を歪めることも多々あった。

 世駆兎だけは優斗にも分け隔てなく接してくれた。いつものにこやかな笑顔で話しかけて来て、優斗の乾いた心に潤いを与えてくれる。


 いつでも、世駆兎は優斗の味方だった。


「ねえ、それ、僕もやりたい」


「え……?」


「は?」


 小学五年生になったある日のこと――優斗は、公園でこっそりとビズをしている瑠美奈とレジーナを見つけた。

 瑠美奈は目を瞑り、少し恥ずかしそうにしながら、レジーナの右頬と左頬に順番にキスをする。レジーナも照れたように笑いながら、瑠美奈の頬に同じように唇を近づけた。

 小学校高学年になって、恋愛に興味が出てきた年頃だった優斗は、自分もしてみたいと思ってしまった。


 低学年の頃からの仲だから、まさか嫌がられるなんて思ってもいなかった。だから、嫌がっている事にも気づけない。

 優斗が一歩近づくと、レジーナは一歩下がる。

 レジーナは後ずさりながらフルフルと首を振って、怯えたような目で優斗を見つめ、瞳を濡らした。


「やめろ! 嫌がっているだろ!」


 もうすぐでレジーナに到達すると言った所で、瑠美奈に横からぶん殴られた。


「レジーナは俺のだ。手を出すな」


 ヒリヒリする頬を押さえて、溢れ出そうになる涙を必死に抑える。

 次第に憎悪の感情が生まれてきて、思わず瑠美奈を睨みつけてしまう。それが彼の怒りを買ったのか、思いっきり腹部を蹴られてしまう。


「ちょっと! 暴力はダメだよ!」


 情けなく蹲る優斗を、世駆兎は甲斐甲斐しく庇った。

 なおも怒りを収めない瑠美奈に、声を荒げて彼の名前を呼ぶ。


「瑠美奈!」


 滅多に怒らない世駆兎の雰囲気に気圧されてか、瑠美奈は怒りを収める。


「はいはい……もういいよ……行こう、レジーナ」


 瑠美奈は震えるレジーナの肩を抱いて、その場を離れる。

 優斗は、その後ろ姿を、憎々し気に見送ることしかできなかった。

 大好きなレジーナを横から掠め取り、独り占めする瑠美奈が、許せなかった。自分の方が先に仲良くなったのに。


「優くん、大丈夫?」


 世駆兎は優斗の赤く腫れた頬を見つけると、自分の高価なハンカチを水に濡らして当ててくれた。


「瑠美奈には後でお姉ちゃんがきつく言っておくから」


「うん……」


「でも、いきなりキスはやめた方がいいと思うけど」


 明日美の指摘はもっともで、反省するべきなのは確かだった。


「じゃあ、帰ろうか」


 世駆兎の微笑んだ顔が、背後の夕陽と重なって陰になる。





―――――――――――――――――――――




 良い所のお嬢様だった世駆兎達は、てっきり私立の中学を受けるものだと周りの大人たちは噂していたけれど、蓋を開けてみれば普通に公立中学校への進学だった。


 環境が変わると、関係も変わる。

 同年代の同性とつるむことが小学校の頃と比べると圧倒的に増えて、一学年違う世駆兎とレジーナとは関わる機会が減ってしまったが、それでも疎遠にはならず、関係は続いていた。


 皆が背伸びしたがる時期でも、世駆兎は環境に影響を受けることなく優しいままだった。

 明日美は陰気ながらも社交的というよく分からないキャラクターでクラスメイトと馴染んでいたし、レジーナは既に中学の時点で魔王として恐れられていた。優しい娘なのに。


 体育祭、文化祭、球技大会――何かイベント事がある度に優斗はレジーナ達の下へ赴いては、楽しいひと時を過ごす。


 もう既にその時期になると、優斗は自分の恋心をはっきりと自覚していた。

 優斗はもう手遅れなほど、レジーナ、世駆兎、明日美、全員に恋をしていたのだ。

 大人までも狂わせる魅力を持った少女達に、ずっと傍で当てられていたのだから、無理もないことだった。


 毎日悶々としながら、妄想の中で彼女達を性の捌け口にして、罪悪感に浸るのを繰り返す。


 三人の内の誰でも良いから付き合いたかったけれど、一歩が踏み出せなかった。


 瑠美奈の存在があったからだ。


 持って生まれた空気というものが影響しているのか、レジーナ達には優斗よりも瑠美奈の方が可愛がられることが多かった。

 明日美も小学校に引き続き、優斗よりも瑠美奈の方にべったりで、その光景を見る度に歯痒い思いをした。


 瑠美奈がいたから、優斗は前へ踏み出せなかった。

 世駆兎が瑠美奈を連れてさえ来なければ、どれだけ良かったことか。


 その場に踏みとどまることを強いられた優斗に、中学三年生の二学期、チャンスが訪れる。


 中学三年の二学期。明日美が左目を失った。

 校庭でサッカーをしていた瑠美奈の蹴ったボールが顔に直撃したらしい。

 目撃者も多く、尾ひれがつく隙も与えずに、事実のみが全校生徒に知れ渡った。

 学校のアイドルとして有名だった明日美を傷つけた罪は重く、数多の生徒が内心憤慨していた。瑠美奈に悪意が無かったものと理解していても、怒りが抑えられなかったのである。


 瑠美奈は孤立し、陰で悪意に晒された。

 友人に止められるのと、瑠美奈自身が拒むお陰で、学校内では明日美でさえも近づくことが出来ない。

 

 必然的に、優斗が明日美と関わる機会が増えた。

 普段は同性の友人と一緒にいることが多い明日美だったが、そうで無い時は優斗が傍についた。

 左目が無いというのは、隻腕隻脚よりはマシかもしれないが、慣れない内は相応に苦労していたので、献身的にサポートした。

 明日美は目を失ってからと言うものの、表情が暗くなり、すっかり向日葵のような明るい笑顔を浮かべることが無くなってしまった。理不尽だと分かっていてなお、目を奪った瑠美奈への怒りを感じずにはいられない。

 

 一大事件を起こした瑠美奈が、今度は暴行事件を起こして更に悪名を広げた。

 いくら虐めを止める為とは言え、後遺症が残るほど加害者をボコったことに、呆れざるを得なかった。


 何でもない日に、優斗はOGとして生徒会室に顔を出しに来たレジーナと話す機会があった。


「レジーナ、もう瑠美奈には近づかない方が良い」


「……それはなぜだい?」


「中学に上がってから変わったよ、あいつ……短気で、暴力的で……もしレジーナや世駆兎が暴力を振るわれたりしたらと思うと……怖くて……」


「君は優しい人だな……だけど、安心すると良い。瑠美奈は私には暴力を振るったりしない」


「だけど……!」


「万が一に君の言うようなことがあっても大丈夫だ。私の腕は細いが、体格差があっても有効な防衛術を身につけているからね」


「……なら、いいけど」


 穏やかな口調だったが、レジーナは無表情だった。

 何となく背筋に嫌なモノが走って、優斗はそれ以上、何も言えなかった。


 あれだけの事件を起こして、住所も名前も顔も特定されたのにも関わらず、瑠美奈は私立仁和令明高校に受かってしまう。

 

 心のどこかでようやく瑠美奈と疎遠になれると安堵していた優斗は、再び気の休まらない日々へ身を投じることになった。





―――――――――――――――――――――――――――





 高校に入ってからと言うものの、世駆兎とレジーナと話す機会はめっきり減った。

 登校も下校も被らないし、部活も違うしで、接する機会がない。


 それでもやはり、疎遠にはなりたくなかったので、定期的に短くメッセージを送ったりはしていた。


 同じ部活を選択したお陰で、明日美と話す機会は特別に増えた。

 とは言え、明日美はいつもスマートフォンを弄っているので、そこまで会話が多いのかと問われれば、そうでもないが。


 総合芸術部では、優斗は瑠美奈よりも溶け込んでいた。

 聖女と呼ばれる詩島 小麦子と、天使と呼ばれるシャルロット・グランデと共にテーブルゲームに興じている内に、先輩達とも仲良くなっていたのだ。


 何となく同じ陰キャだからというのもあるかもしれない。

 瑠美奈は完全に陽キャというか、不良の類なので、この部活では異物感がある。


 仲良くなった先輩の一人である、斎藤 俊哉先輩は、ある日優斗にこう告げた。


「今度、ロッテに告ろうと思う」


「ええー?! マジですか?」


「まあ、正直……望みは薄いと思うけど」


「そんな事ないですよ。斎藤先輩なら十分勝機はあると思います」


 心にもないことを言う。

 しかし、斎藤先輩はまだ望みがある方だろう。

 部活に参加するようになってから、髪と眉を整えるようになった。最初の冴えない風貌からは見違えるほど、清潔感のあるパリっとした姿になっていて、驚いたのは記憶に新しい。


 少なくとも、フケまみれのデブ先輩や、油でぎっとぎとのロン毛先輩、異臭のするガリガリホラーマンよりは圧倒的にマシだった。


「鈴木は、誰か好きな人とかいないのか?」


「僕も……いますけど……」


「いっそ告白してみたらどうだ?」


 斎藤先輩は、休日も一緒にいたくてしょうがないから、告白することにしたらしい。例えフラれても、シャルロットなら露骨に避けたり、気まずい態度は取ってこないだろうという打算もあって、決意したようだ。


 先輩の言葉に、優斗も深く思考を巡らせる。


 世駆兎なら、告白を断らないのではないかと。


 正直、レジーナと明日美は得体の知れない部分があり、何とも言えない不気味な影が見えた。

 その点、世駆兎はいつも優しく、よく優斗のことを見てくれていた。


「僕も……僕も、告白してみようと思います」


「おー、そりゃいい。どっちかが上手く行っても恨みっこなしだな」


 そう言って斎藤先輩は、白い歯を見せて爽やかに笑った。




―――――――――――――――――――――――――――




 その日の夜。


 優斗は世駆兎にメッセージを送る。


 内容は、『二人で水族館に遊びに行かない?』という、優斗にしては勇気と攻めっ気に溢れたモノ。


『いいよ』


 世駆兎は二つ返事で、デートの誘いに乗ってくれた。


 デート当日、優斗はいつも着ている服の中から、特に皺が少なく、デザインも無難なものを選んで身につけた。

 柄にも無く髪を一度全部濡らして、ドライヤーで乾かして整えたりした。


 待ち合わせ場所の駅に十分前に到着し、ソワソワしながら世駆兎が来るのを待った。


「お待たせ、優くん」


 ほどなくして、ゆったりとした紺のワンピースに身を包んだ世駆兎がやって来る。

 高いヒールのサンダル。高そうなベージュの手提げ鞄。黒い革ベルトの小さな腕時計など、小物もばっちり合っていて、清楚なお嬢様という感想しか出てこない。


「いこっか」


「う、うん……」


 バスを使って、目的地の水族館へと向かう。

 その間、お互いの近況報告を広げたりして、会話を楽しんだ。


 水族館を選んだことに、大した理由は無かった。

 優斗は確信していた、世駆兎ならきっと受け入れてくれると。

 ある程度、雰囲気のある場所で告白した方が女子は喜ぶだろうという想いで、適当に選んだのが水族館だった。


「わー、お魚いっぱいだねぇ」


 色や形が多様な魚の群れ。ペンギン。イルカショー。鮮やかな熱帯魚。化物のような海生生物。

 歩く度に現れる様々な生き物を見る度に、世駆兎は目を輝かせてはしゃいだ。


 カメラ撮影が許されている所では、写真を撮ったり、餌を上げるコーナーでは餌を撒いてあげたり、楽しそうに過ごしてくれた。

 

「水族館って初めて来たけど、結構楽しいね」


 振り返って笑った世駆兎の表情があんまりにも綺麗すぎて、優斗は暫し言葉を失って見惚れてしまう。


 薄暗い設備で、ぼんやりと照らされている魚を、優斗は世駆兎と肩を並べて眺めていた。

 魚は激しい動きはせずに、漂うように、浮かぶように水槽の中で止まっているかのように泳いでいた。


 もうすぐ、水族館を巡り終わる。


 告白する覚悟はもうできていた。

 

「楽しかったね、水族館」


 最後のコーナーを見終わった優斗たちは案内通りに進んで水族館の外、駐車場の出た。

 傍らに見える海の上には、真っ白な太陽が煌々と輝いている。


 まだ夕暮れと呼べるほど日は暮れておらず、空は青い。


「少し、海見て行かない?」


「うん。いいよ」


 陸地に乗った潮風が、世駆兎のワンピースを揺らす。

 彼女はしっかりと鞄で前を抑えている為、スカートが捲れ上がることは無いが、それでも視線が吸い寄せられそうで、抑えるのが大変だった。


 優斗は黒いフェンスに寄りかかって、海を眺める。


「それにしても驚いたよ。いきなり優くんがデートに誘って来たから」


「ああ、ごめん。驚いたよね……」


「まあ、そうだね。驚いた」


 ケラケラと、世駆兎は笑う。


 告白の答えには十分な勝機を見出しているとはいえ、優斗の心臓ははち切れそうなほど暴れていた。

 冷や汗がだらだらと滲み、胃が痛くなる。吐き気さえ感じていた。唇も渇いて、震える。


「あのさ、世駆兎……」


「なーに?」


 可愛らしく首を傾げて優斗を見つめる。

 その瞳は柔らかく、優しかった。


 彼女の目を見て、優斗は平静を取り戻す。

 一度、小さく深呼吸をして、真っ直ぐに世駆兎の瞳を見た。


「僕は、世駆兎のことが好きだ……だから……付き合って欲しい……」


 一世一代の告白だった。

 メデューサに睨まれたように、体中が石化したように動かない。

 世駆兎から視線を切ることが出来なかった。


「優くん。ありがとう」


「世駆兎……!」


「でも、ごめんね」


「え……?」




「私、他に好きな人がいるの」





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