聖なる聖女





 最近、何をするにしても身が入らない。


 レジーナの誕生日の件が完全にトラウマになっていて、俺は苦しんでいた。

 不定期にレジーナに寄り添うイケメンの姿がフラッシュバックし、その度に吐き気に襲われる。


 本当、救われない。


 今日はトレーニングルームで鍛えた後、部室には行かず、直接屋上に向かった。前回の要領でピン二つを使って正規の手順を踏まずに鍵を解錠する。バレたら次の観測会は当分できなくなるだろうが知ったことではなかった。


 軽く床を払って仰向けに寝そべる。

 今日は少し風が強く、大きな雲も小さな雲も、すべからく凄い勢いで流れて行く。


 悩み過ぎなのは分かっている。

 初恋は叶わないものだし、ましてや高校生のカップルがそのままゴールインする確率は割と低い。

 多くの人達は一つや二つ失恋を乗り越えるものだし、彼らに出来て俺が出来ない筈がなかった。


 そう思っていても、容易に割り切れないのが思春期である。


 青空を眺めながら、溜息をついた。


 寝転がって間もなく、屋上の扉が開く。

 まさか教師が見回りに来たのかと、慌てて上体を起こす。


 扉の前に立っていたのは、仁和令明に舞い降りた天使、詩島 小麦子だった。


「藍川さんでしたか」


「よく分かったな」


「階段を上ってる時、屋上の扉が閉まる音が聞こえてきたんです」


「それは気を付けてなかった」


「ダメですよ。屋上に勝手に入ったら」


「見逃せ」


「そうですね……屋上からの素晴らしい景色に免じて、許してあげます」


 くすくすと笑いあって、それからは二人とも無言で空を眺めた。

 空を流れる雲をぼんやりと眺めながら、屋上を通る風の音に耳を澄ます。

 風は少し冷たいけれど、太陽の日差しが温かくて、寝心地の良い環境だった。


 不意に、顔に影が差す。

 太陽の光が、詩島の頭で遮られたのだ。


「どうかしたか?」


「藍川さん、最近元気ないですね」


「知り合いにもそれ言われたわ」


「何かあったんですか?」


「別に、何も」


 バリバリあるけど、彼女に語れる内容ではない。

 こちらを見下ろす詩島と真っ直ぐに目を合わせる。

 何となく、その柔らかそうなほっぺに触れると、彼女は嫌がるどころか、進んで頬を擦り付けてきた。


「ふふふっ」


 レジーナと同じく、頬に触れる手に自身の手を添えて、嬉しそうに目を細める。


「こういう時は嫌がって振り払わないと、エスカレートするぞ」


「他の男の人だったらそうしますけど……藍川さんは特別に許します」


「…………」


 この聖女様は、一体どこまでが許容範囲なのかという、下衆な思考が過る。

 自嘲、自己嫌悪、劣等感、絶望、閉塞感の繰り返しで、やや自暴自棄に陥っていた俺は、少し試してみることにした。


 一度頬に触れている手を離して起き上がると、詩島と目を合わせる。

 

「どうかしたんですか? 藍川さん、いつもと雰囲気が違いますけど」


 彼女の頬に再び触れ、その指先をずらすようにして、彼女の耳に触れた。


「んっ♡」


 悩ましい声を上げて身を捩る詩島の耳朶を摘まんだり、指のお腹で耳穴を塞いだりして弄ぶ。


「な、なんですか?」


 左手で詩島の頬を撫で、耳に触れていた頬の手で、彼女の頭を撫でる。

 ペットのサイファーやルナ、ミミにするように、撫であげた。

 困惑しながらも大した抵抗は見せずに、されるがままにもみくちゃにされている詩島は、愛らしかった。

 くすぐったそうに身をよじるが、抵抗らしい抵抗はなかった。

 顎下に指のお腹を沈み込ませながら、ゆっくりと鑑賞するように、詩島を見つめる。


「今日の藍川さん、変です♡」


「俺はもう、長いこと変なままだよ」


 ゆっくりと、顔を近づけていく。

 暴走した俺の行為に、聖女が笑顔を潜めて、拒絶する姿が見てみたかった。

 だが、予想に反して、詩島は目を瞑って顎を持ち上げた。


 その余裕そうな表情を歪ませてやると、俺はそのまま彼女の唇を奪った。


 特に動揺した様子もなく、あっさりとキスを受け入れた詩島に、逆に俺の方が驚く。


「平手打ちとかしたらどうだ?」


「なんでですか?」


「なんでって……」


 この娘はキスが挨拶の世界からやって来たのか?

 強がっているのかと、もう一度キスをする。


「んっ、ちゅっ♡ えへへ……」


 キスをする度にどんどん彼女の頬は赤みが差し、そして幸せそうに顔を綻ばせる。

 詩島の脳みそが異世界すぎて恐ろしくなって来た。


「あのなぁ、普通は平手打ちで拒否すんだよ……好きでもない男のキスは」


「で、でも、だって……」


 詩島は動揺したように、目を泳がせる。何か言おうとしては、何も言葉が出ないという様子だった。


「やっ、あ……」


 彼女の赤い小さな唇を割って舌を捻じ込む。驚き、目を白黒させている内に、舌を這わせて口腔を犯した。

 柔らい小さな舌に唾液を塗していき、自身で染め上げていく。詩島の反応から、ファーストキスである事は容易に察せられた。


「ちゅる……あっ♡ んぁ……んちゅっ、れろ……」


 息も絶え絶えに悶えながらも、一生懸命舌を動かしてこちらの動きに合わせようとする詩島は愛おしくて、ついつい抱きしめてしまう。

 さっきまでただのクラスメイトで、ただの部活仲間だった少女と、いつの間にかいけないことをしているという事実に、頭がどうにかなってしまいそうだった。なんでこうなってるのかさえ思い出せない。


 両手で抱き寄せて、力いっぱい抱きしめる。彼女の身体は小さくて、折れそうなほど細い。


「藍川さん……」


 蕩け切った声で、切なそうに喘ぐ。

 彼女の声が脳髄を溶かし、何で今こんな状態になっているのか、思考する力を奪われる。


 レジーナ達に散々したように、俺は詩島に対しても探りを入れた。


 どんな風にキスをすると喜ぶのか、どんな風に触られると喜ぶのか、どんな風に口腔を舌で愛撫されるのが好きなのか――


 お互いに制服を皺にしながら、ドロドロに絡み合う。

 アルコールが入ったかのように熱に浮かされて、身体を擦り合わせながら、キスを繰り返す。

 詩島と睦み合っている間は、レジーナ達を忘れられた。

 それが分かったから、より没頭しようと詩島に溺れる。


「藍川さん♡ 藍川さん♡」


 初めてとは思えないほど、媚びに媚び切った声を出して、甘えた押してくる詩島に堪らなくなって、俺は遂に押し倒してしまう。


「はっ、はっ……んぅ……♡」


 詩島は荒い息をついて、濡れた瞳でじっとこちらを見つめてくる。

 両足は左右にだらしなく開かれていて、パンツが見えてしまいそうなくらいスカートは乱れていた。


 後ろポケットから財布を取り出して、中から避妊具を取り出した。


「あっ……♡」


 彼女は期待に満ちた表情で、俺が持つそれに焦点を合わせる。

 シャツが捲れ上がって、露になっていたおへそに、避妊具を置く。

 ぼんやりとした表情のまま、お腹の上に置かれたそれを、両手でじっくりと確認していく。


「詩島……」


 四つん這いになって覆いかぶさると、詩島は両手を怠そうに持ち上げて、俺の背中に回した。

 力を籠めて引っ張られたので、圧し掛かる。屋上の床に触れて、ようやく冷静さを取り戻す。

 ここで致すには詩島への身体の負担が大きい。初めてが硬い床の上は流石に可哀想だ。そもそも初めてかどうかも分からないが。


 詩島の背中と床の間に手を入れて、コロンと転がって天と地を入れ替える。彼女のお腹に乗っていた避妊具が、弾かれるように横に落ちた。


「はー♡ はー♡」


 粘っこい吐息が耳に掛かる。屹立したアレが、詩島の柔らかいお腹に当たっていた。

 心臓がバクバクして、落ち着かない。ただ、ようやく我に返った。


「悪い、やりすぎた……」


「ふえ……?」


 胸に抱いた詩島ごと起き上がり、互いの下半身をぴったりとくっつけたまま、座って抱き合う形に持ち込んだ。


 背中を擦って、興奮しきって瞳の奥にハートマークを浮かべている詩島を落ち着かせる。

 俺も明らかにイかれてたけど、詩島も詩島で大分おかしな反応をしていた。


「……なんでやめちゃうんですか?」


「そもそも恋人じゃないし」


「じゃあ……恋人になりませんか……?」


「好きな人にフラれたらでいい?」


「藍川くん、クズです」


 顔を離して詩島の目を見つめると、蕩けた瞳と視線があった。

 惹かれるがままに、もう一度キスをする。


「保険になって。フラれた時の」


「や、です♡ さいてーです♡ 藍川くん」


 あまりにも上手すぎる媚声に、脳が焼かれる。

 男に媚びるのに特化した聖女なんてもはや性女だろ。


「近いうちに俺は絶対にフラれるから。その時、付き合ってよ」


「藍川くんがこんなに酷い人だなんて思いませんでした」


 台詞はキツイのに、声が蕩け切っていて全然緊迫感が無い。大丈夫かこの娘。

 詩島は傍に落ちていた避妊具を拾って、自身の口元に持ってきて見せた。


「これ……使わないんですか?」


「使わない」


「生でするってことですか?」


「頭の中、大丈夫か?」


 詩島、頭良いのにバカになってる。俺のせいか。

 というか俺もバカになってたのでバカに出来ない。


「意気地なしです。女の子に恥をかかせる男は最低って本に書いてありました♡」


 とろとろの甘え声のまま、鋭利な言葉を突き付けられるギャップが辛かったので、彼女の唇を塞ぐ。


「ゃっ♡ んんっ……ちゅるる……ちゅっ、れろ……じゅるる」


 世駆兎のように舌を絡ませて吸われるのが好きなのか、明日美のように上顎と歯茎を念入りに舌先でくすぐられるのが好きなのか、あるいはレジーナのように唾液をたくさん流し込まれるのを好むのか、一つ一つ丁寧に試して、詩島はどんなキスを好むのかを探っていく。 


 詩島はおでこまで真っ赤にして、瞳からは涙をボロボロ零して喘ぐ。

 腰を小刻みにカクカクと揺らして、俺の腰部に無意識に擦り付けていた。


「ちゅっ、んちゅっ♡ あっ♡ あっ♡ わ……わたしっ! 多分、藍川さんのこと好きですっ♡」


「こんな告白があるか……?」


「だ、だってぇ、ちゅっ……はぷっ……ぅんっ……ちゅぱっ……ぜったい……んっ……ぜったい好き♡ 多分一目惚れです♡ 絶対好きだもん♡」


 聖女がしてはいけない顔で、愛を紡ぐ。

 もう何度したか分からないキス。まだまだ終わらない。

 完全に暴走しており、止まらなかった。


「る、瑠美奈さん……♡」


「ほら、もう戻るぞ」


「やだー。やです。まだ戻りたくないです♡」


 絶対に離さないと言わんばかりに、両手両足を絡みつかせてくる。

 すっかり変貌してしまった聖女に、困惑するのは俺の方だった。


「瑠美奈さんも、名前で呼んでください」


「小麦子って全部呼んだ方が良いのか、小麦で止めた方が良いのか」


「小麦って呼んでください」


「じゃあ、小麦」


「はい♡ えへへ」


 幸せそうに吐息を零す。そのまま猫のように、首筋を舌先でぺろぺろ舐めだす。


「いきなりキャラ変わり過ぎだろ……!」


「瑠美奈さんのせいだと思います。私悪くないもん♡」


 詩島は身体を絡みつかせたまま、腰をねちっこくグラインドさせた。いや、もうこれ娼婦の腰使いだろと突っ込まずにはいられない。


「なんでこの部活に参加してたのか、やっと分かりました。瑠美奈さんが好きだからです」


「俺が入る前に既にいただろ」


「私、毎日参加する気なんてありませんでしたよ」


 今度は彼女の方から、啄むようなバードキスを受ける。


「キスされた瞬間、頭蕩けちゃうくらい幸せになって……もう戻れないです」


「だけど戻るぞ。今日の所は。俺もやり過ぎた」


 彼女を抱きしめたまま、立ち上がる。痛いほど屹立したアレは、時間経過で収まるのを待つしかない。


「あっ、やだ……♡」


 持ち上げると、詩島はぴったりと体を密着させて抱きつく。

 これが男を千切っては捨て千切っては捨ててきた女か? 信じられないほどに無防備だった。

 彼女の異常反応にも慣れ、少しずつ冷静さを取り戻していく。

 しかし、身体は熱を帯びたまま。

 聖女様のあられもない姿がフラッシュバックしては消え、劣情を刺激する甘い声が何度も再生される。

 嫌でも身体が反応してしまい、戻れなくなったので屋上の入口に脱力した詩島を座らせる。


「はっ、はっ、はっ、はっ……」


 桃色の吐息を吐き出しながら、涙が絶え間なく零れ落ちる。

 思わず、写真を一枚撮ってしまった。不可抗力の魅力に抗えなかった。


 本当に、ついさっきまで、ただのクラスメイトだったのに、どうしてこうなったのだろう。


 俺もすっかり疲れて、壁に背をつけて、そのままずりずりと脱力して座った。


 隣に座る詩島が、こてんと頭をこちらに倒して、寄りかかる。


「私、瑠美奈さんの保険彼女になります」


「保険彼女なんて単語使ったのは多分、小麦が人類初だな」


「瑠美奈さんの滑り止め彼女です♡」


「言い方変えても酷いな」


「酷いのは瑠美奈さんです」


「そうなんだけど」


 時間を掛けてクールダウンしようとしているのに、時折キスを挟むせいでいつまで経っても落ち着かない。

 段々ムラムラが止まらなくなってきて、遂に時間を置いても平静を取り戻せない事態に陥る。


「ちゅっ……あ、あの♡ んちゅっ……これ、もう……しないとダメな気がします♡」


「もう、暗くなって来たから……帰るぞ」


「で、でもぉ。瑠美奈さん、前傾のまま帰る羽目になっちゃいます♡」


 聖女の真っ白なおてては、長いこと俺の下半身に置かれていた。時々太ももを撫でては、偶然を装ってガチガチに屹立したそれに触れる。触ったかと思えば、びっくりしたように逃げるというのを繰り返していた。

 初心な情婦を演じるのが上手だね、なんて呑気なことは言ってられなかった。


「はい。終わり。帰るぞ」


「そんなあ……」


 色情を断ち切り、俺は何とか気を静めることに成功する。

 むわあって効果音がしそうなほど色香を振りまいている詩島を無理やり立たせて、屋上から出た。


「俺は鍵を閉めるから、先に帰れ」


「うう……はい……」


 しょんぼりした様子で、詩島はとぼとぼと階段を降りていく。


「小麦。今日は助かった」


「? どういたしまして」


 詩島のキャラが狂いすぎてて、レジーナ達に関する悩みが吹き飛んだ。

 もう詩島の媚び声しか頭に残ってない。脳みそがじわじわと溶けてきそうで逆にヤバかった。


「保険彼女、忘れないでくださいね」


 ようやく普通の笑顔を浮かべて、詩島は去って行く。


 ほんの少しだけ、肩の荷が降りた気がした。




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