ノンストップガール







「瑠美奈、今日は久しぶりにデートに行かないか?」


「悪い、バイトあるから」


 勝手に胸糞悪くなって、勝手に帰ったあの日以降、何となくレジーナ達と顔を合わせるのが気まずかった。


「最近、バイトをし過ぎではないか?」


「案外楽しいんだよ」


 いつも強気な表情のレジーナが珍しく困り眉で、ほんの少しオロオロしていたように思える。


「時給一万円で、君が私と一緒に遊びに行くバイトをするというのはどうだろう」


「そう言うのはダメだ。来週、時間作るって」


「ほ、本当か? 絶対だぞ?」


「約束」


 そこまで言うと、レジーナは安心したように微笑んでくれた。綺麗だったから、思わず彼女の頬に触れてしまう。

 彼女はうっとりしたように目を細めると、頬に触れる手に、自身の手のひらを重ねてくる。彼女の体温が、手のひらと甲から伝わってくる。


「愛してる。瑠美奈……私には、君しかいない」


「ああ……」


 こんな風に耳元で愛を囁かれても、悦びと共に虚無のようなものも感じてしまう。

 今の俺には、レジーナの視野が極端に狭まっているようにしか思えないのだ。

 もう少し時間を経て冷静になれば、きっと彼女は――


 悪い考えを振り払って、俺はバイトに行く準備を始める。


「バイト先まで送ろう」


「別にいいよ」


「少しでも君の傍にいたいんだ……」


 切なげに瞳を潤ませて訴えて来るので、言葉に詰まってしまう。


「分かった……頼む」


「ふふっ……では、手配しよう」


 携帯を取り出して、侍女に連絡しようとした彼女を、正面から抱きしめる。


「あっ……」


 レジーナは気持ちの良さそうな吐息をついて、俺の背中に手を這わせた。

 唇を首筋に当てて、チロチロと舌先でくすぐってくる。


「俺だって、レジーナと、明日美と、世駆兎しかいないから」


「君は不誠実だな」


 不満そうに、首に鬱血痕を残す。

 もっともな突っ込みだった。


 そう言った不誠実な所も含めて、今の絶望があるのだろう。やっぱり自業自得だった。


「おじゃましまーす」


 もはや当たり前のように、合鍵を使って俺に家に来るのが習慣となっている明日美。明日美に限らず、レジーナと世駆兎もそうだが。


「おかえり」


「ちょっ、帰って来たら何かやってるし」


「明日美も来いよ」


 求めると、明日美は感極まったような表情で飛びついてくる。腕をいっぱいに伸ばして、俺とレジーナをまとめて抱きしめた。


 腕を伸ばして、明日美の背中にも手を伸ばして力を籠める。


「ルーミ、今日の夜はいっぱいしよーね♡」


「今日は私の番だろう」


「いいじゃん、三人で」


「よくない。順番は守れ」


「金持ちの癖にケチだなあ」


「金持ちは関係ないだろう」


 二人のぎゃーぎゃー言い合う姿が、逆にほっとする。


「俺はそろそろバイトだから、ガートルード呼んでくれる?」


 俺の言葉を持ってひとまずは、二人の争いが止まった。


 その後、レジーナが手配してくれて、メイド服姿のガートルードが運転する、黒塗りの高級車が家の前に止まった。


「じゃあ行ってくる」


「行ってらっしゃい」


 笑顔の明日美に見送られ、俺はレジーナの車に乗せてもらってバイト先へと向かう。


「瑠美奈様、大丈夫ですか? 顔色が優れないようですが……」


「な、本当か? 瑠美奈……」


 心配そうなガートルードとレジーナの声。

 前を見ると、ルームミラー越しに、ガートルードと目が合った。


「大丈夫。心配してくれてありがとう、ガートルード」


「私も心配しているが?!」


 蔑ろにされて憤慨するレジーナが面白くて、つい笑ってしまう。


「私は実質的にあなたの所有物と言っても差し支えありません。何かありましたら気軽にお申し付けくださいね」


「所有物云々言うのはやめろ」


「事実ですので……知っていますか? 我々に人権はないんです。メガリス社の備品で、レジーナ様の所有物なんです」


「日本の法律びっくりしちゃうからあんま外では言うなよ、それ」


「レジーナ様と瑠美奈様はいずれご結婚されるので、私はあなたの所有物です」


 もう既に何回か聞いた言葉だ。その度に拒絶しているのだが、聞き入れてもらえない。


「じゃあ、俺の所有物になったら人権やるよ」


「やです」


「所有物が反撃してくるぞ、レジーナ」


 意味不明な電波のやり取りをしている内に、喫茶店トーチカへと辿り着く。

 相変わらず無駄にクソ広い駐車場に、ガートルードは規則正しく引かれたラインを無視して雑に車を停車させた。最近は混雑するようになったとはいえ、このただっぴろい駐車場が埋まった事は未だないので、少しの間適当に停めたところでって話だった。

 車から降りると、ガートルードもわざわざ降りて俺を見送る。主人であるレジーナじゃないんだからそこまでしなくてもいいんだけど。あの子のメイド達はどいつもこいつも融通が利かない。


「行ってらっしゃいませ、瑠美奈様」


「ありがとう、ガートルード、レジーナ」


「バイトが終わるまでここで待ってますね」


「私は瑠美奈の喫茶店でバイトが終わるまで暇を潰すとしよう」


「俺が苦しいんだけどそれ」


 ガートルードもレジーナも、スマートフォンを持っているとはいえ、この駐車場と喫茶店で何時間もずっと待機とか、待たせてる俺の方が発狂するわ。

 

「では、終わる頃に伺います」


「そうしてくれると助かる。レジーナも」


「分かってるよ」


 会話を打ち切って、俺は振り返り、トーチカの方へと向かった。

 振り返ると絶対二人と目が合いそうだったから、鋼の意思で前を向き続ける。


 裏口から入り、すぐそこに置いてあるタイムカードを切った。

 スタッフルームで寛いでいた燐世にまず挨拶をしてから、更衣室代わりの二階の部屋で手早く着替える。女性用の更衣室だけ一階にあるのが少しばかり不公平だ。男女比が凄まじいから致し方ないが。


「おはよう、藍川」


「眠そうだな」


「いつも通りだけど……」


「眉のライン、下げてるからかな」


 今日のヴィクトリアは、眉尻を下げるようなラインを引いている。


「だって、皆がいつも険しい表情してるって言うから……」


「まあ、何だって可愛いと思うけど」


「かわっ?! すぐそう言うこと言う……」


「そんなに言ってないだろ……」


 レジーナ達はともかくヴィクトリアや、詩島、シャルロットに言った記憶は殆ど無い。


「今日は絡まれるなよ」


「…………はい」


 ヴィクトリアは面倒な客に絡まれるのが大好きなアホだから、謎の間が不安でしかなかった。


 俺は薄っすらと、レジーナの誕生日以降、変わってしまった心境の変化を自覚していた。


 あまりにもダサすぎて、今すぐ投身自殺したいくらいに情けなくて、泣けてくる。


 俺は……ヴィクトリア、詩島、シャルロットを、フラれた後の保険にしようと、一瞬でも考えてしまった。


 少し押せば行けそうだからとか、そんな理由で。


 ゴミ屑を極めすぎている。今の俺は優斗よりゴミだ。


 ただ何か縋る物が無いと、レジーナ達に捨てられた後、本当に自殺してしまいそうな気がして、恐ろしかった。


 本当に、こんなことになるなら、レジーナと出会いたくなかった。


 あの少女に会わなければ俺は、もっと晴れた心で、胸を張って生きていけたのに。


「最悪だ……」


 ただでさえ頭の逝かれた思考をしてしまったと言うのに、追撃するかのように、今の状態をレジーナのせいにするなど、論外だった。


 思考が悪循環から逃れられない。


 



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