ソラリのロケット






 私――詩島 小麦子は、図書委員の仕事が割り振られていたので、それをこなしていた。


 返却された本の山を少しずつ、元の棚に戻していく。


「あー、詩島さんだ。ラッキー」


「?」


 背伸びをして高い位置にある棚に本を戻していると、背後から男の人に声を掛けられた。

 ほぼ反射の領域で振り返り、傍らに佇んでいた男の顔を見つめる。 

 笑顔を顔に貼り付けた男は、整髪剤で髪を整えていて、服も着崩していたりと、他の生徒と比べると、ほんの少し垢抜けている。

 記憶力は良い方だが、彼の名前は分からない。何となく、見覚えがあるくらいの人。


 私は美人だから、たくさんの人に話しかけられる。

 一人一人、しっかり覚えてあげたいけれど、平凡な脳では中々上手く行かない。


「何かご用ですか?」


「今日この後、暇だったりしない?」


「ごめんなさい。部活があるので」


 こうして誘われるのも珍しいことではない。


「残念」


「ところで、あなたは?」


「E組の木島 正幸」


「木島君、これを」


 傍の椅子に積んであった本の内、二冊を手渡す。


「なに?」


 彼は困惑して、本と私の間で視線を彷徨わせる。


「一番上の棚なんです。お願いしてもいいですか?」


「あ……あー。お安い御用」


 合点が行ったと、私の指差す先、最上段の棚に二冊の本を返してくれる。

 同じクラスのレジーナ・レクスクラトルぐらい身長が高ければ、自分一人で戻せるのだけれど、私は身長が低いから、脚立を使わないと届かない。


「他に何か手伝う?」


「ううん。もう大丈夫です。ありがとうございました」


 小学生の頃からそうだった。私が頼みごとをすると、皆喜んで引き受けてくれる。

 喜んでくれるならと、私は遠慮せずに進んで頼み事をする。

 私も助かるし、相手も喜ぶから、皆幸せ。


「詩島さんって部活なにやってんの?」


「内緒です」


「え〜、遊びに行くのに」


「だから内緒なんですよ」


 軽くウインクして、踵を返す。

 私のウインクは超上手い。その証拠に彼は見惚れている。


「終わったので帰ります。お手伝いありがとうございました」


「俺の顔――木島の顔、覚えといてね〜」


「はーい」


 図書委員の仕事を終えて、私は部室へと向かった。


 幽霊部員しかいないと聞いて入部した部活だが、今はそこそこ人がいる。

 正直な所、真面目に参加するつもりはなかったのだけれど、私は2ヶ月経った今でも、殆ど毎日参加している。


 中学の時は、まだ自分の価値を理解していなかったから、人間関係をめちゃくちゃにしてしまった。

 本当は中学と同じく料理部に入りたかったよ。でも、きっと……中学の時のように男の子達が私目当てでお裾分けを求めに来ちゃうから、他の部員に申し訳なくて、入れなかった。


 総合芸術部はその点、良かった。

 旧校舎の四階なんて言う目立たない場所だから、わざわざ私に会いに来る人がいない。そもそも、誰も部室を知らないのではないだろうか。

 絶世の美人だと評される私と、ヴィクトリア、明日美、シャルロット。一つの部活で四人もの美人を擁しているのに誰も会いに来ないのがその証拠だ。

 

 部室に入った時、私は真っ先にいつもの位置へ目を向ける。


 同じクラスの藍川 瑠美奈が来ているかどうか。

 まず最初に、彼の存在を確認するのが、何となく癖になっている。理由は分からない。


 今日はヴィクトリアも明日美もいなかった。

 そして先輩達も。まあ、先輩方は後から来るだろうけど。


 瑠美奈だけが、いつもの場所にいた。


 彼は窓際の席で、窓を開けて外を眺めていた。

 グラウンドを占める運動部員達の声が、風に乗って四階のこの教室まで届く。


 瑠美奈の横顔と、風に撫でられて揺れる前髪が、何となく色っぽくて、目が離せなかった。

 長めの髪は丁寧にセットされていて、眉もキリっと整えられてて、身長も高くて、肌は染み一つ見当たらないくらい綺麗。

 無表情か、ヴィクトリアみたいに険しい顔をしている時が多くて、あんまり笑わないけど、たまに見せる笑顔が素敵で、時々お茶目で、カッコいい。

 女子に人気があるのも頷ける。


「座ったら?」


 教室の入口で不自然に突っ立っていた私に、瑠美奈は顔を向けることなく声を掛ける。


 私は迷うことなく、瑠美奈の隣に座った。


「こんにちわ。藍川さん」


「…………」


 彼はこちらを向くことも、言葉を返す事さえもしない。何かを思案するような様子で、遠くの空を見つめていた。


 私は、瑠美奈に雑に扱われるのが好きだった。

 何でかは分からないけれど、何か嬉しい。なんでだろう。


 今まで生きてきて、私に素っ気ない態度を取る人は、少数ながらいないわけではなかった。けれども、少し話せばすぐに幸せそうに、あるいは楽しそうに笑ってくれた。男の人も、女の人も。


 瑠美奈はいつまで経っても、私に素っ気なかった。


 別に嫌われているような感じはしない。

 ただ、何となく、私に興味がないんだろうなというのはよく伝わってくる。

 

 私はいつも話を聴く側だから、自分から何かを語り掛けるというのは不慣れだった。

 だけど、瑠美奈と話がしたかったから、必死に話題を探す。


 何でこんなに話がしたいのかも、分からない。分からないことだらけ。初めての気持ちという奴だ。


「藍川さんは、どんな映画が好きですか?」


「映画あんまり見ない」


「なら、今度見に行きませんか?」


「暇だったらな」


 瑠美奈はようやく窓の外から視線を外したけれど、今度は手元の小説に奪われた。

 意地でも私の方を見てくれない。

 普通の男の子だったら恍惚に満たされた表情をするような提案をしても、にべもなく断られる。


 ほんの少しでも良いから反応が欲しくて、私は小説に被さるように上体を倒して、下から覗き込むように上目遣いで彼を見上げた。


 眉根を寄せて、ようやく私と目を合わせてくれる。


「邪魔」


「暇なのでお話しませんか?」


「小説読んでるから。先輩方を構ってやって」


「……先輩達まだ来てないじゃないですか」


 そもそも、別に先輩と遊びたくて部活に来ているわけではない。

 先輩達と関わっているのはおまけだ。この部に所属する先輩は例外なく女の子に不慣れのようだったから、女の子と会話をする練習を私でさせているだけ。

 ただの同情心、親切心で一緒にお話をしているだけに過ぎない。

 シャルロットや明日美を交えて遊ぶテーブルゲームはちょっと楽しいけど。

 じゃあ、何の為に部活に来ているのかと問われるとなんでだろう。突き詰めると瑠美奈と会話をする為? やっぱり分かんない。


「…………はい、これ」


 瑠美奈は呆れ顔で、鞄からカバーの付いた小説を差し出してくる。

 胸元まで突き出されたそれを、半ば勢いに押されるようにして受け取った。


「これは?」


「貸すから」


 小説のページを捲る。

 名前を聞いた事があるような無いような小説だった。


 瑠美奈に倣って、隣で小説を読み始める。


「ルーミー」


 暫くすると、部室に新たな来訪者がやって来る。

 瑠美奈の幼馴染だという、世界 明日美だった。


「ゴミ出し疲れたぁ。なんで手伝ってくれないのぉ」


「俺、美化委員じゃないし」


「可愛い幼馴染を助けろ」


「気が向いたら」


 瑠美奈は顔を上げて、明日美と目を合わせて話す。

 口角は上がっていて、何となく楽しそうだった。


 私は急に小説の内容が入ってこなくなった。ページを捲る手も止まる。

 心なしか環境音も消えた気がした。


「ねー、ルーミ。今日帰りドーナツ食べたい」


「いってら」


「ついてくるの!!」


「分かったって」


 明日美に肩を小突かれて、瑠美奈は仕返しに、彼女の髪をぐしゃぐしゃにして撫で返していた。楽しそうな笑顔を見せながら。私には滅多に見せない類の笑顔だった。

 心臓がきゅうってなって、胸の辺りに神経痛が走る。

 この部活に参加してからと言うものの、時折発生する胸の痛みは、よく私を不快な気持ちにさせた。


 私に兄弟はいないけれど、何となく、お気に入りの玩具を妹に奪われたような錯覚に陥る。


「あ、あの!」


 割り込む時の声は、僅かに上擦っていたように思う。

 二人の視線を受けて、思わず目が泳ぐ。

 普段ははきはき喋れるのに、吃ってしまう。


「もし行くなら……わ、私もついていっていいですか?」


「いーよ。小麦も一緒にいこ。どうせならヴィカとロッテも誘うかね」


 明日美は同性でも思わず見惚れてしまうような朗らかな笑顔を浮かべて、快く迎え入れてくれる。


「誘う時は先輩に聞かれないように誘えよ」


「はいはい」


 瑠美奈は注意だけして、再び小説に視線を戻した。

 私がお出掛けに同行する場合、普通の男の人は喜んでくれる筈だけど、瑠美奈の表情に分かり易い変化はなかった。


 分かり切っていたことだけど、ほんの少しがっかりする。


 もっと、私のことを見て欲しいと思ってしまうこの気持ちは何だろう。


 こんなにも興味を持たれないと、温厚で競争心の薄い私でもプライドが傷つく、ということなのだろうか。


 よく分からない。




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