極死
「明日美、散歩に行くぞ」
「えー、めんどい」
俺の部屋で呑気にゲームをプレイしている明日美を散歩に誘うが、にべもなく断られる。
部屋着でもあり、外にも着ていけるベージュのパーカーワンピースを着て、生足を惜しげもなく晒しながら、だらだらしていた。
うつ伏せに寝転がりながらゲームをしている彼女の生足を持ち上げて、足の裏を指先でくすぐった。
「あっ、ちょっとっ、今ボス戦! やめてっ」
明日美は身体を丸めて身を捩りながらも、コントローラーは話さない。
案外くすぐりに強いのか、プレイそのものは冷静なままで、ボスの攻撃に正確に対処していく。
「もー、ゲーム中は邪魔しないでって言ってるじゃん」
「散歩」
「わーかってるって」
部活や習い事で、ある程度運動をするレジーナと世駆兎とは違い、明日美は習い事も趣味も完全にインドアなので、無理やり散歩に連れて行くのが習慣だった。
ルナとサイファーにリードを付けて、俺がルナを、明日美がサイファーを連れて行く。
「ルーミ、お菓子」
「持ったよ」
犬用のお菓子をポケットに入れて、排泄物処理用のレジ袋とキャッチャーを片手に外へ出る。
サイファーは特に散歩が好きなので、明日美の腕を千切らんとばかりに勢いよく飛び出た。引っ張られる力に上手く対抗できず、明日美が前につんのめる。
ルナはお利口なので、俺の歩幅に合わせてくれる。
レジーナ、世駆兎がいても、犬の散歩は明日美との共同作業だ。何故なら放っておくと明日美は絶対に運動不足になるから。普段だらけている癖に、体重が増えると泣き出すアホなので俺が管理しなければならない。
外はすっかり日が暮れていて、用意していたライトを明日美に手渡す。自身は家を出る前にLEDマーカーを片腕に巻いておいたので問題ない。
ルナは時折振り返りながら、サイファーは斜行してルナにぶつかりながら、仲良く揃って前を歩く。
犬の散歩用のルートは固定されているが、飽きないように幾つか用意してある。今回は近くに点在する公園を巡るルート。車の通りが少ない、犬の散歩に向いている道を通っていく。
「ルーミってさー、なんであの部活に真面目に参加してるの?」
「先輩方の誰が詩島とシャルロットを射止めるのか、気にならないか?」
「無理でしょ、あれじゃ。釣り合わないもん」
「酷いことを言うな」
釣り合う釣り合わないの話は俺にもダメージが来るからやめろ。
「この前、斎藤先輩に服の相談を受けた。ああいうのは好感が持てる」
つい最近、シャルロット騎士団の一人である斎藤 俊哉は、他の同期と差を付けようと、俺に外着のアドバイスを求めてきた。
「どんなの勧めたの?」
「無難なの」
無地のシャツ、ジーンズのスリムパンツとか。無難イズベスト。最近までお洒落に興味が無かった人は、とりあえず卸したての無難を着ていればいい。
「後は眉毛とか」
「あー、皆毛虫だもんね」
「口汚すぎ」
「ルーミと過ごせば過ごすほど、クラスメイトの男子とか、部活の先輩とかのそう言う所が気になっちゃう」
俺は劣等感を少しでも克服する為に、同年代の中でも特に身嗜みを整えるのに必死だから、彼女はそう言う感想を抱くのだろう。
「なんにせよ、良い変化だよ」
優斗とは大違いだ。
あいつは高校生になっても変化がない。
二人で学校のことを話しながら歩いていると、自動販売機を発見した明日美が足を止める。
「ルーミー、ジュース買ってー」
「自分で買え」
「うっ、左目が、痛い……遠近感が掴めない……」
左手で左目を抑えて前傾になりながら、明日美が呻く。
もうそれじゃあ目が痛い人じゃなくてただの痛い人だよ。
「はよ買え」
「じゃー、持ってて」
明日美からサイファーのリードを受け取る。
ポケットからルカティエとかいうハイブランドの四十万もする高級財布を取り出し、百円硬貨を取り出すお嬢様。
開かれた財布のカードケースからは、ブラックカードが覗いていた。当然ながら、無職で未成年の女子高生が持っていていいカードではない。
普段ずぼらで、あまりにも庶民的な生活を送っているから忘れそうになるが、明日美もやはり別次元の存在である。
世界観がズレてる。
「はい、ルーミの分」
「ありがとう」
明日美は炭酸系のジュースをが入ったペットボトル一つ、こちらへと差し出した。一時的に預かっていたサイファーのリードと交換する。
少しずつ静かになっていく街を、並んで歩く。
街灯で妨害されてなお、力強い光を届ける星々を何となく眺めながら、ルナに先導されるように歩いていく。
「着いたー」
散歩の折り返し地点である、大きな公園へと辿り着く。
明日美がサイファーと一緒に駆け出した。
三つ目の公園は、遊具が少ないが、大きな芝生広場があるので、ルナもサイファーも喜んで走り回る。
興奮してはしゃいでいるルナを視界の端に捉えながら、リードの制限を伸ばす。いくら広いと言えども、流石にリードを離す訳にはいかない。
ルナは俺の方に駆け寄ってきた後、またどこかへ走り去るという謎の行動をひたすら繰り返す。ついてきて欲しいのかと思ってついて行くと、方向転換して明後日の方向に走り出したりして、忙しない。
サイファーは芝生の匂いを嗅ぎながらゆっくりと歩き回っていたが、駆け回るルナに釣られて急に走り出したり、緩急が激しかった。
普段運動をしない明日美も、犬の散歩の時は楽しそうに笑いながら一緒に駆け回る。
「ボール持ってくんの忘れた」
一般的な犬のイメージに漏れず、ルナもサイファーもボール遊びが好きなのだが、今回は忘れてしまった。
お詫びとして、ルナのガンダッシュに付き合う。本気で走るが、到底追いつけない。体力テストのシャトルランで一位を取るほど持久力には自信があるのだが、ルナの速度に付き合っているとすぐにばててしまう。
全速力で走った反動による疲労で膝をつくと、ルナが猛ダッシュで戻ってきて飛び掛かられる。押し倒されるようにして、芝生に仰向けで倒れ込んだ。
舌を出して荒い息をつきながら、ぺろぺろと身体を舐めてくるので、精一杯撫で返してやる。傍から見たら犬バカにしか見えないだろう。
ルナとイチャイチャしていると、サイファーも駆け寄ってきて、顔を寄せてきた。サイファーの頬を撫でてやると、ルナが顎を腕に乗せて妨害してくる。ルナはこんな感じで、面倒くさい彼女みたいなムーブをたまにかましてくるのだ。そこが愛おしいのだけれど。
「疲れたー」
「ルーミ、きゅーけい」
犬の体力的に、満足してくれたかどうかは定かではないが、ひとしきり遊んだ俺達は、近くのベンチに並んで座って身体を休めた。
街灯がまるでスポットライトのように、ベンチに座る俺達を照らす。光は眩しくて、周りが暗く見える。そのせいで、まるで世界に二人きりしかいないような感覚に陥るのだ。
ベンチの足にルナとサイファーのリードを留めて、両手を自由にする。
明日美に奢ってもらったジュースに口を付けて、一息ついた。
こてんと、明日美が俺の肩に頭を乗せて寄りかかった。
こうして甘えてくるのも、いつものこと。
彼女の肩に手を回して、より密着させる。
「ルーミ、ちゅー」
人に見られるかもしれないと言うのに、さも当然と言わんばかりにキスをねだってきた。
求められて悪い気はしないので、彼女の唇に優しくキスを落とす。
一度で終わる筈もなく、何度も何度もキスを繰り返した。
相手の吐息が掛かる距離を保ちながら、明日美の太ももと肩を擦る。
快楽が迸ったのか、明日美がゾクゾクと身体を震わせた。
明日美の愛らしい小さな唇が開き、中から伸びてきた舌が、俺の唇を濡らしていく。リップを塗る手順のように、上唇、下唇と、円を描くようになぞられた。
彼女の舌を上唇と舌で捉え、唾液を塗して啜ると、明日美は倒れ掛かるように身体を絡ませて、深いキスに没頭する。
息継ぎをする為に離れると、潤んだ瞳の明日美と視線が合った。心なしか、左目のルビーも濡れているように見えた。
「私の旦那様、キスじょーず」
「……そうだな」
「えっちも」
「言わんでいい」
「経験値3倍だもんね」
「やめろ」
お互いに膝を突き合わせて、身体を可能な限り寄せて、再びキスをしようと顔を近づける。
『わんっ!』
――だが、ルナが飛び乗ってきて、二人の間に挟まって来た。
ルナは尻尾をぶんぶん振りながら、俺達の身体の上で暴れまわった。俺と明日美の顎や首筋を交互に舐めては、膝の上から飛び降り、かと思えば再び飛び乗ってくるという謎行動を起こす。
「るーな。邪魔しちゃだめー」
明日美は忙しく動き回るルナを抱き留めて、その背中を愛おし気に撫でた。
尻尾が勢いよく俺に当たり続ける。
冷めた目でルナを見ていたサイファーと目が合う。彼はトコトコと俺の傍に寄って足元でお座りした。
前傾になってお手をすると、サイファーは前足を乗せてくれた。肉球を握って握手をしながら、頭を撫でる。はいお利口。
「ルナ、暴れすぎ。落ち着いて」
ぐりんぐりんと胴体を捻じってお腹を晒しながら、膝の上で暴れているルナを、明日美は必死に宥めていた。
ちらりと、普段は袖の下に隠れている明日美の手首が見える。
赤黒いラインが一つ、手首に刻まれていた。
その傷が見える度に、薄れない罪悪感と、ほの暗い快楽が脳に滲む。
俺が明日美の左目を奪った際、親バカな彼女の父親は大層激怒して、様々な手を使って俺に苦痛を与えようとしたらしい。
父親の暴走を偶然知った明日美は、自身を人質に取ってそれを止めようとした。
それでも止まらなかった父親を見て、明日美は躊躇なく自身の手首を切った。
身を呈して、父親の暴走を止めてくれた。
今、俺が五体満足でいられるのは、明日美のお陰だ。
彼女がいなければ今頃、謎の車に轢かれたりして半身不随ぐらいか、最悪死ぬこともあったかもしれない。
だが、あの事件のお陰で、天地がひっくり返っても俺と明日美の婚姻は認めては貰えないだろう。
明日美の父親は仕方なく折れただけであって、俺は未だに赦されてはいないのだから。
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