未来
トレーニングルームで軽く鍛えた後、部室へ向かおうとした矢先、俺は二人の女子生徒に呼び止められる。シューズのラインの色が緑なので、二年の先輩らしい。
俺は彼女達のことを露ほども知らないが、彼女達は俺のことを知っているらしい。
明るい声で、馴れ馴れしく寄ってくる。
「ね、ね。瑠美奈くんだよね? ちょっとだけ時間いい?」
「はぁ……少しだけなら」
近くの上履きのまま入っても良い中庭に連れていかれる。
放課後ということもあり、中庭には人っ子一人いない。
先輩の一人が、自販機で適当に炭酸ジュースを買って、俺に手渡した。
もう一人の先輩が俺を上目遣いに見つめながら、本題に入る。
「瑠美奈くんって付き合ってる子とかいるの?」
「いませんが……」
すぐさま脳裏に浮かぶのは、大切な幼馴染三人衆。しかし、付き合っているのかと言われれば、そうではない。微妙な関係。
「じゃあさ、私と試しに付き合ってみない?」
「すみません。好きな人いるので」
「だってさ。ざーんねん」
「えー。頑張ったのにー」
軽い感じで言い合う二人。
とりあえず、話は終わりかと立ち去ろうとするも、手を引かれて阻止されてしまう。
「ねー? 私って世駆兎さんとか、レジーナさんほどじゃないけど、そこそこ可愛いと思うんだけど、ダメかな?」
「すみません」
「……そっか、残念」
ほんの少し寂しそうな表情を浮かべ、諦めてくれる先輩と、慰める先輩。
まず名前を名乗れ。誰だお前達は。
「急にごめんね、瑠美奈くん」
「いえ……」
「じゃあね」
告白してフラれた割にはさっぱりした態度で、二人は去って行く。どうせ見た目が好みとか、その程度のものだったのだろう。
俺も部室へ行こうと動き出した瞬間、カラカラと、背後で窓が開く音がした。
「やあ、瑠美奈。奇遇だね」
レジーナ・レクスクラトルが爽やかな笑顔を浮かべ、校舎内からこちらを見下ろしていた。
中庭と校舎では高さが違うので、いつもは見下ろしているレジーナを、今は見上げる形になっている。
レジーナはバスケ部のユニフォームを着ており、額や首筋には薄っすらと汗が浮かんでいた。ちなみにレジーナはバスケ部ではないが、よく助っ人で色々な部活に顔を出している。
「彼女達と、何の話をしていたんだい?」
「特に何も」
「ふふっ。そうか……」
窓枠に両手を添えて上半身を支え、レジーナはこちらへと身を乗り出した。
微笑みながら無言で左頬を向けて来るので、誰かに見られる前にと、左頬にキスをする。すぐさま右の頬を差し出してくるので、同様にキスをした。
「普通のキスも」
レジーナは唇へのキスもねだった。
この中庭は三方を校舎に囲まれている為、廊下を通る生徒に目撃される可能性が非常に高い。手早く済ませなければ。
「んっ……」
壁に手を着けて、普段より高い位置にあるレジーナの唇にキスをする。
何度かキスをしている内に、レジーナはどんどん前のめりになっていく。
「ちゅっ……ふふっ……れろ♡」
学校内だというのに、彼女は俺の唇を舐める。
これはより深いキスがしたいという合図だった。
ただでさえ銀髪で目立つというのに、窓から身を乗り出してディープキスをしているのが見られたら大変だ。
「それはまた、後で」
「ダメだ」
「俺もレジーナも汗掻いてるし」
「いつもする前に、シャワーを浴びさせてくれと懇願しても許してくれないのは、どこの誰だったかな?」
余計なことを言うレジーナの唇を塞ぐ。もう知らない。
不安定な体勢のまま、レジーナの熱を帯びた舌を口腔に受け入れて、舐る。
舌先を伝って流れ込んでくる唾液を呑み込みながら、蠢く彼女の舌を捕らえるように絡ませていく。
口の端から溢れた唾液が、ぽたぽたと地面に滴り落ちた。
「んっ♡ ちゅっ、じゅる……あむ……ちゅるる♡」
息継ぎの為に離れようとしても、レジーナは無理に追いかけてくる。
その為、前へ倒れ掛かって落ちそうになった。
慌てて彼女の身体に手を添えて、押さえる。
「レジーナ様! 危ないです!」
背後から伸びてきた腕が、落ちそうになっているレジーナの肩を掴んで支えた。
レジーナの近衛兵の一人、ガートルードだ。
黒髪に色白の、どちらかというとヴィクトリアに似た容姿の彼女は、白黒の正統派なロングスカートのメイド服に身を包んでいた。当然ながら、学校にいたら浮いて仕方がない存在である。
「ありがとう。二人とも」
俺とガートルードに支えられながら、レジーナはゆっくりと体勢を整える。
彼女の顔は真っ赤で、熱に浮かされたような蕩けた表情をしていた。思わず生唾を呑み込んでしまうほど妖艶で、身体さえも反応しそうになる。
「堪らないな……君との口づけは……」
「それは良かった」
「それよりも、外聞をもう少し気にして欲しいのですが」
ガートルードのお小言を、レジーナは涼しい顔のままスルーした。我儘お嬢様。
「名残惜しいが……そろそろ部活に戻るとしよう。時間を取ってくれてありがとう、瑠美奈」
「部活がんば」
「ああ」
レジーナが踵を返して、遠ざかっていく。
後、どれくらいの期間、俺は彼女の特別でいられるのだろうか。
髪を染めても、体力テストで学年一位を取っても、中間期末で十位以内に入っても、服と美容に金を掛けても、それはただ背伸びして、努力しているだけの一般人に他ならない。
レジーナが社交界に参加した際の写真を思い出す。
高いスーツを着込んだヴァイオリニストの少年。
高級車を何台も所有しているような、実業家の若い男。
有名なハリウッド映画の主演を演じたこともある俳優。
家柄と才と容姿に恵まれた男達が、レジーナの周りにたくさん集まっていた。
俺がどれだけ努力しても追いつけないような優秀な男達を、レジーナは選べる側にいる。
彼女が少しずつ大人になっていって、価値観も少しずつ変わっていって、その果てに俺が選ばれるとは思えなかった。
レジーナだけではない。明日美も、世駆兎もそうだ。
幼馴染というだけで傍にいられる今がどれほど幸運なことか、優斗とかいうゴミは分かっていない。
自分を磨きもせず、ただ選ばれることを待っているだけのボンクラの存在は、常日頃、劣等感に苛まれている俺を無性に苛立たせる。
俺達の特別な関係に気づかない優斗に対して、優越感を感じることはあるが、そこには必ず虚しさもあった。
いずれは俺も、特別ではなくなるからだ。
とは言え、今はまだ、俺はレジーナ達の特別でいられる。
特別な内に可能な限り、己を刻み付ける。
滑稽で哀れな男の、惨めな未来への抵抗だった。
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