【女王】ヴィクトリア・シグーリナ





 私の名前は、ヴィクトリア・シグーリナ。


 ソビエト社会主義共和国連邦から亡命したロシア帝国人の末裔。

 生まれた時から日本語に囲まれ、日本語に触れて生きてきたから、ロシア語は話せない。

 日本語に馴染めなかった祖母は時折、私にロシア語で話しかける。だけど、私には伝わらないから、祖母は寂しい表情をして拙い日本語を使う。

 それがなんだか苦しくて、私は少しロシア語を学んではいるけれど、中々上手くできない。


 閑話休題。


 私が藍川 瑠美奈と出会ったのは、中学二年生の時だ。初めて話したのは、中学三年生の時。

 皆がまだ子供をやっている中で、瑠美奈は酷く大人びて見えたのを覚えている。

 恐らく一つ年上のレジーナ、世駆兎の影響が大きいのだと、容易に推測できた。あの二人がいなければ、きっともっと、年相応の笑顔を浮かべていたのに違いない。

 瑠美奈とクラスが別だった私は、彼と特に関わることもなく中学生活を送っていた。


 大きな転機が訪れたのは中学三年生の時。

 夏休みが終わって少し経った頃だ。


 私は二年生の中ほどから、同じクラスの女子生徒達から虐めを受けるようになっていた。

 最初は小さな陰口。

 次第に悪意に満ちた嫌がらせが。

 やがては暴力へと発展し、私の心と体は成す術もなく傷つけられていく。


 私は正直、面白みのない人間だ。

 上手く笑えないし、面白いことも言えないし、読書ぐらいしか趣味がないし。傍から見ると酷く退屈な女の子にしか見えない。

 そんなつまらない人間でも、容姿が良ければ男の子達が寄ってくる。

 笑わないからか、【氷の女王】なんて名前で呼ばれたりもして、明るい男子に持て囃された。

 彼らを上手く捌けなかったから、私は女子のやっかみを買うことになったのだろう。


 告白してくる男子は虐めがエスカレートすると共に減っていった。

 私のことを好きだと言うのに、虐めから救ってくれる人は一人もいない。


 虐めの主犯である女子生徒は、権力者の娘だった。

 いくら権力者だからと言っても、何でもできる筈がないのに、教師は彼女に頭が上がらないようだった。

 教師は私への虐めを見て見ぬふりをし、何事もないかのように過ごす。


 私への虐めは日常となり、次第に他の生徒は刺激を受けなくなっていく。周囲の生徒が持ち合わせていた同情さえも、徐々に溶けて消えていった。


 体調を崩しがちになりながらも、社会から外れるわけにはいかないと、意地で学校に通い続けた。

 二年と三年はクラスが変わらないから、当然ながら三年生になっても虐めは続く。


 面白いと思えるような反応はしていないのに、彼女達はなぜ飽きもせずに虐め続けるのだろう。

 理解できない。

 

 備品が、文房具が、衣服が、汚されるか、壊されるか、捨てられるかして、消えて行く。異変に気付いた母親の追及を躱すのが、何よりも辛かった。

 次第に私の心には絶望が広がって行き、少しずつ死を考えるようになっていったのを、よく覚えている。


 両親に助けを乞うという、至極単純な解決方法さえも実行できず、精神は壊れていく。


「ヴィクトリアの写真を見せたらね、おじさん、十万出すって」


「え……?」

 

 最初、彼女達が何を言っているのか理解できなかった。


「ちょっとおじさんと仲良くするだけだからいいでしょ? 今日、これから」


「きゃははっ。殴られるよりはマシってね」


「い、嫌……」


 首を振って後退ると、彼女達は悪魔のような笑顔を浮かべて詰めてくる。


「あんたに拒否権があると思ってんの?」


「やだ……」


「そういうのいいから。いくよ」


「いやだ」


 なおも首を振って拒否すると、頬に容赦なく平手が飛んでくる。

 頬に残る、痺れのような痛み。涙が溢れて止まらなかった。


 泣きじゃくり、へたり込むと、容赦なく蹴り飛ばされる。


「ゴミクズ同然のあんたに十万も払ってくれる神様がいるんだから、感謝しないと。稼げるときに稼がなきゃ」


「客は一人だけじゃないから、当分忙しくなるよ!」


「うちらはビジネスパートナーだからね、あんたにもちゃんと給料払うから、頑張ろーねー」


 彼女達は好き放題に言って、汚く笑った。

 私には彼女達が悪魔にしか見えなかった。


 自分に訪れる凄惨な未来を想像してしまい、私は思わずその場で戻してしまう。


 吐瀉物に涙を落として項垂れていると、いきなり彼女達が悲鳴を上げた。


 気が付けば、瑠美奈がいじめっ子の顔面に拳を叩きこんでいた。突然の衝撃に、バランスを崩して後退する彼女に、追撃の蹴りを頭に入れて、意識を刈り取る。

 逃げようとする取り巻きを捉え、腹部に蹴りを入れて腕を曲がらない方向に捻じ曲げながら、地面に叩きつけた。

 恐怖で身体が動かなかった残りの女の子の頭を掴み、校舎にぶつける。顔をぐちゃぐちゃにしながら、取り巻きは気絶した。


 私を長い間、絶望で支配していた少女達は、一分にも満たない時間で、暴力に支配された。


「これで少しはまともになるか?」


「……え?」


 騒ぎを聞きつけた教師がやって来て、救急車が呼ばれた。

 人もまばらな放課後だというのに、とんでもない騒ぎになって、何人もの生徒が野次馬に来た。


 そして、その日を境に虐めは止まった。


 私を虐めから救ってくれたのに、瑠美奈の暴力は厳しく批判された。

 被害者の親は激怒して、何度も何度も学校に面談しに来る。私も何度か同席させられた。


 瑠美奈に暴力を振るわれた三人の内、一人は後遺症が残るほどのダメージだった。いくら娘が道を外していたとはいえ、一生に関わってくる傷に怒りを覚えるのは親として当然なのかもしれない。


 現場にいた虐め女子は三人だったが、後から合流するはずだった友人一人が、ちょうど瑠美奈が暴力を振るう瞬間を動画に収めており、それが世界中に拡散された。

 私を虐めから助けるために拳を振るっていたなんて言う事情が世界に伝わる筈もなく、瑠美奈の行き過ぎた暴力はネットワークを通じて大炎上した。


 まとめサイトにも、SNSでも取り上げられ、多くの人の目に曝される。


 瑠美奈は顔、名前、住所、学校。全て特定され、見ず知らずの人間から悪意をぶつけられることになった。

 彼の父親が動いて、瑠美奈は新しい住所で一人暮らしをすることになり、一先ず直接の被害からは逃れたらしい。新しい住居は特定されておらず、セキュリティも万全で安全なようだ。


 彼が所属するサッカー部は、瑠美奈の問題行動を理由に活動自粛することとなり、親友の火恋を初めとするサッカー部員は大会に出ることが出来なくなった。

 サッカー部のメンバーは、瑠美奈に理解を示す者、罵声を浴びせる者、半々だった。


 私は敬慕と罪悪感を胸に、よく瑠美奈の下を訪れたが、彼の態度はいつも素っ気ない。

 よく一緒にいる明日美に見せるような笑顔は見せてくれず、いつも一言二言で会話は終わる。私との会話を面倒くさそうにしているような節も見られた。


 学校のどうでもいい男子達は、虐めが収まってからと言うものの、また私に言い寄って来るようになった。

 虐めに気づかなかった、気づいていたら助けていた。助けてあげられなくてごめん。自分を良く見せる言葉を、私に吐きかける。


 肝心の瑠美奈は、私の所に自分からは寄ってこない。

 それが少し……苦しくて、悲しかった。


 卒業を間近に控えたある日、私は瑠美奈と二人きりで話す機会を偶然得た。


 私は瑠美奈に、何度目か分からない感謝と謝罪の言葉を伝えた。

 もういいと言われてるけど、それでも想いは止められない。


 その日は、珍しく会話が弾んだのを覚えている。

 瑠美奈が少し上機嫌だったのもあるかもしれない。


 私はあの時、なぜ助けてくれたのかを聞いた。

 返ってくる言葉は大体想像がつく。それでも、瑠美奈の口から直接聞きたかったのだ。


 胸の内に小さな期待を膨らませて、瑠美奈の言葉を待つ。


 だけど、返って来た台詞は、想像もしていないものだった。




「虐めを見過ごしたのを知られたら、きっとレジーナ達は俺に失望する。それが嫌だったから、仕方なく助けただけ」




 瑠美奈は笑顔だが、いたって真面目で、照れ隠しでも、冗談でも無く、本気で言っているのだと、理解できた。


 私の心が冷たく、凍っていくような感覚。

 同時に、レジーナ、世駆兎、明日美への激しい憎悪の感情が生まれた。


 私は高校に入って、総合芸術部とかいうよく分からない部活に入った。勿論参加する気はない。

 瑠美奈がサッカー部に入るのを確認したら、マネージャーになるつもりだったから。


 そう画策していたのに、何故か瑠美奈は私と同じ部活に入部してきた。


 今は、活動内容があやふやな部活に、毎日来ている。


「ヴィカもこんな部活によく毎日参加するな」

 

「家帰っても暇だし」

 

 少しずつ、少しずつ、彼の中に私を浸透させていく。


 いずれは私も、世界 明日美のように、瑠美奈と親しくなりたい。


 それが私の、たった一つの想いだった。


 



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