地獄




 部室は二つの教室の仕切りを取っ払ってあるせいで、とても広い。

 先に辿り着いていた三人の少女達は適当な椅子を見繕い、真ん中に並べて座っていた。


「瑠美奈、サッカーは?」


 不安そうに瞳を揺らしながらヴィクトリアが聞いてくる。

 うんざりした表情は隠せない。


「もうやんない」


「私のせい?」


「違うから。火恋も高校ではサッカーやらないから、俺もやらないだけ」


「……そう」


 中学の時から、何度も何度もこいつは自分を責める。正直面倒なだけだからやめて欲しい。


「藍川くんって、あの動画の人なんだよね?」


 クラスメイトの誰もが陰でこそこそ話す程度に留めていた話題をダイレクトに決めて来るのは、シャルロット天使長。


「そうだけど、何?」


「怖い怖い。顔怖いって」


「瑠美奈はその話されるの苦手だから、やめてあげて」


 優斗が苦笑いを浮かべながらフォローしてくれるが、なおさら苛立つだけだ。


「動画って何ですか?」


 詩島がきょとんとした表情で首を傾げた。


「知る必要はない」


 ヴィクトリアがあっさりと切り捨てて、この話題はひとまず終わりの空気を見せる。

 丁度いいタイミングで、総合芸術部の顧問がやって来た。

 長い黒髪を後ろで一つに束ねた、妙齢の美しい女性教諭だ。レディーススーツをばっちりと着こなしており、仕事が出来そうな印象を受ける。


「遅れてごめんね~。顧問の音海おとみ つきです。よろしく」


「よろしくお願いします」


 詩島が先頭でぺこりと頭を下げたので、何人かが釣られるようにして頭を下げた。


「知っている人もいるかもしれないけど、ここは文芸部、写真部、映画部、漫画研究部、天文部が合わさった部活です」


 音海先生は教室の端っこにある棚を鍵で開けると、分厚い日誌を取り出して、鍵と共に詩島に手渡す。


「基本的に活動内容は自由。ここ数年は活動実績が無いから予算は少ないけど、何か欲しい場合はプレゼンしてくれれば話を付けます」


 今しがた詩島に渡した日誌を指で叩き、生徒達の顔を左から順に見渡していく。


「この日誌には活動記録が残っているから、何をすればいいのか分からないという人は、これを参考にしてみて」


 よく通り、よく聞き取りやすい声。ハキハキと喋る明るい先生ではあるが、それはそれとして部活動は割と投げやり。


「皆ついてきて」


 彼女はいきなり生徒達に席を立つように促すと、どこかへと先導し始めた。

 教室を出て、向かった先は階段。しかも、上りの。


 四階の上は屋上しかない。


 音海先生は上着のポケットから鍵を取り出すと、扉を解錠して屋上への扉を開いた。

 薄暗い階段に、眩い光が差す。思わず目を細めてしまうほどの、明るい青空。


「天文部の活動の一つに、夜間観測があるの。親の同意書と、最低三名の部員を連れてくるという条件を満たしてくれれば私が鍵を貸すから」


 俺は先生の後ろに付いて、外へ出る。


 景観の良さも売りの一つである仁和令明の校舎屋上から眺める景色は、言葉では良い表せないほど素晴らしかった。

 海も、山も、街も、全てが見渡せる。


「良い景色……」


 ぼそりと、シャルロットが呟く。完全に同意見だった。


「星に興味がある人がいたら是非。割と高性能な天体望遠鏡が四階の準備室にあるから」


「夜間観測、してみたいです」


「僕も……見てみたい」


 詩島と優斗は天文部の活動に興味があるようだった。いや、優斗が興味があるのは詩島の方かもしれない。


「天体観測となると、龍の尻尾が邪魔だな」


 北海道にある軌道エレベーターを起点に、日本列島全土に亘って空に浮かんでいるおびただしい数のソーラーパネルが星々の光を阻む。

 大気圏内の空を浮かんでいるのではなく、宇宙で静止軌道を取っているので、移動か廃棄にならない限り一生そこにある。


「ルーミ、寒い」


「そうだね。ここはいつも寒いから、夜間観測時は防寒具必須で」


 こうして、簡単な活動内容の紹介が終わる。


 滅多に顔を出さないので、何か用がある時は職員室を訪ねる事と言い残して、音海先生はあっさりと去って行った。


 何となく解散の雰囲気となったので、俺はバッグを持って遠慮なく立ち上がる。


「じゃあ、俺は帰るわ」


「右に同じ」


 明日美も追従し、当たり前のように金魚の糞ゆうとも着いてくる。


「あ、わ、私も一緒に帰る」


 ヴィクトリアが珍しく慌てたようにして、俺の左隣に並んだ。明日美は左側が見えないので、わざわざ顔を向けてまでヴィクトリアを睨みつける。彼女はレジーナや世駆兎には甘いが、それ以外には排他的だ。


「ヴィカって俺らと同じ方向だっけ?」


「違うけど……学校出るまでは一緒でしょ」


「そう言われるとそうだな」


 いつも険しい表情をしているヴィクトリアだが、俺と一緒にいる時は何か困ったような表情をすることが多い。

 今日も困り眉で、目を忙しなく動かして挙動不審だ。


「藍川は……明日から部活来る?」


「バイト無い日は顔出すと思う」


「明日美ちゃんは?」

 

 便乗して、優斗が明日美に問いかける。


「ルーミが行くなら」


 明日美は素っ気なく答えた。


「じゃあ、皆一緒だね」


 優斗がそう言って笑う。

 俺と明日美は多分白けた表情をしていたと思う。ヴィクトリアは無言で無表情だった。


 翌日以降、俺は日常的に地獄を見ることになるとは、この時、露ほども知らなかった。


 異変が起きたのは、部活動に参加するようになってから少し経った頃。


 運動部の活気ある声掛け、放課後のひと気のない学校の雰囲気が好きで、俺は何となく部室に足を運ぶことが多かった。


 詩島は毎日やって来て小説を読み、シャルロットは来たり来なかったり、ヴィクトリアは俺が参加すれば参加すると言った感じで、割と人が集まる事は多い。

 とはいえ、活動らしい活動は全くしておらず、結局、部活動としては機能はしていなかった。


 いつも通り明日美と共に部室へ向かうと、聞き慣れない男達の声が廊下に響いてくる。


「詩島さんは、知ってる? ABEXって言う有名なFPSゲームがあって――」


「えふぴーえす?」


「家にパソコンあるなら、今度入れ方教えるけど。興味があるならやってみない?」


 盗み聞きで足を止めそうになる前に、さっさと部室へと入る。

 教室が静まり返り、詩島 小麦子と、彼女の周りに陣取る三人の男達が俺へ視線を向けた。


 誰だこいつら。


「どちら様?」


「え、あ、あ……俺は、総合芸術の部長です。高山たかやま わたる……」


 さっきまで廊下に響くほどだった声量が一転してか細いものとなる。

 部長と言うと二年生か、三年生の先輩ということか。


「俺は新入部員の藍川 瑠美奈です。よろしくお願いします」


「世界 明日美です。よろしく」


「あっ、よろしく……」


 二人で適当に頭を下げ、さっさと空いてる席を引っ張って窓際に座る。


 詩島に群がっていた三人の男子生徒は、全員二年生だった。


 部長の高山 航。

 残りの二人はそれぞれ菊池 まさると、円谷つぶらや 幸大こうだいと言うらしい。


 俺が来てからは、急に声量を下げてぼそぼそと喋るようになったが、詩島の傍からは離れなかった。

 明確な異変が現れていた部室に、俺は嫌な予感をしていた。

 

 その予感は的中し――


「ロッテちゃん、一緒にタッグバトルしない?」


「いいわよ」


「詩島さん、この漫画もおすすめだから、貸すよ」


「ありがとうございます」


「世界さんは何のゲームしてんの?」


「バトロワ」


 幽霊部員だった部員達は日を追う毎に実体を取り戻していき、瞬く間に毎日十人以上の男子生徒が部室に集まるようになっていた。


 楽園は地獄と化し、混沌を極めていく。


 詩島達はすぐにうんざりして来なくなるだろうと思っていた。そうなれば徐々にこの地獄も収まるのだろうと、気長に構えていた。


 だが、詩島とシャルロットは献身的に部室へ通い、枯れた青秋を送る彼らに潤いを与えて回っていた。


 どうなっている?



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