32話 不安定な値の溶解

32話 不安定な値の溶解


温泉は不安定な値を溶解する。自宅の風呂は節約しているので、たっぷり浸かることがない。向こうの方で泳いでいる兄妹に混ざりたいが、僕はもう大人だ。


ふと思った…大人ってなんだろう。僕はまだ子どもなのだろうか。


「お兄ちゃん、隣いいかな」


「は、はい。大丈夫です」


30代ぐらいのお兄さんが話しかけてきた。おそらく泳いでいる兄妹の父親だろう。どこかで出会ったことのある顔だったけど思い出せなかった。


「やっぱり温泉はいいねぇ。お兄ちゃんは一人?」


「女の友だちと来ています?」


「おっ!彼女か?」


「微妙な関係ですね。彼女ではないです」


「へぇー、面白そうだね、話聞かせてよ」


「は、はぁ、えっとですね…」


僕は萌衣との関係について話した。そして気がつくと、石森玲や月崎玲についてもお兄さんに話していた。


・・・・・・


「なるほどねぇ。誰と付き合うとか、誰に想いを寄せるとか自由だと思うよ。でも一つだけ教えられることがある」


「教えてください」


「自分の心に正直になることだね。石森玲に想いを伝えることを優先に考えているなら、まずはそれをすることだね」


「はい。でも石森玲はきっと…それが怖くて」


「そうやって、うじうじして引きずる方が後悔しないかな。もしかしたらその解は案外いいものかもしれないよ。いい?答えは求めるまで分からない。未来を勝手に決めつけない」


確かにお兄さんの言う通りだ。石森玲に会いに行かなければ清水萌衣にも月崎玲にも想いは向けられない。まずはこの三十話で絡まってしまった連立方程式を解かなくてはならない。


「奏斗くん。まぁ悩むことは悪いことじゃない。だけど必ず最後に答えは出さなければならない。解けないまま放置するのは自身のためにならないからね。読者のためにもならない」


「読者?」


お兄さんが僕の腕を引っ張る。やはりお兄さんとはどこかで一度会っている。この手を僕は知っている。


「さぁ一緒に泳ぎに行こう。子どもたちが呼んでいる」


僕は大人という存在を軽くだけど理解した。


子どもと大人の違い。それは責任感だ。


・・・・・・・・・・


露天風呂から見上げる夜空は綺麗なものだった。湯気は黙々と上に登っていく。岩の上に積もる雪を湯の中に入れるとフワッと優しく溶けていく。


「お姉ちゃん一人?」


「と、友だちと来ました」


「男の子?」


「ま、まぁ」


「凄いわねぇ。中学生だけで泊まりに来るなんて」


「一応高校生です」


「あ、ごめんなさい…」


目の前の女性は20代ぐらい。胸は私の倍以上あった。少し分けてくれてもよいのではないだろうか。女性はこちらを見てニコリと微笑んだ。


「お姉さんは一人ですか」


「家族で来たのよ。夫と子どもたちは今頃男湯の方で遊んでいると思う。こんな広いお風呂見たら泳ぎたくなっちゃうね」


「じゃ奏斗も」


「奏斗くんは彼氏?」


「彼氏じゃないです。友だちというか微妙な関係ですね」


「微妙な関係?なんかその話気になるなぁ。教えてよ」


お風呂という場所は不思議だった。全てをさらけ出すからこそ感情や想いも隠すことは出来ない。私は気がつくとお姉さんに恋愛相談に乗ってもらっていた。


・・・・・


「へぇ。徹くんと付き合うために手伝ってくれる奏斗くんを好きになっちゃったのかー、いいねぇ青春って感じがするよ」


「私の青春関数は凸凹ですけどね」


「そういうのがいいと思うのよ、想って想われ想いを想う。その道はたとえ凸凹でも青春は一度きりだからさ」


「でも奏斗にも好きな人がいて」


「そっかぁ、でもね、想いは伝えてみなくちゃ。夫はよく言ってるよ、答えは求めるまでわからない、未来を勝手に決めつけないって。行動あるのみだよ」


「ですよね」


「大丈夫。萌衣ちゃんなら伝えられる」


成功と失敗の天秤。今天秤は失敗に傾いている。何もしないで放置しても天秤は決して動くことは無い。でもほんの小さな物体を成功の受け皿に置いてみる。もしその小さな物体が大きな密度を保持していれば成功に天秤は傾くはずだ。


まずは私の想いを伝える。想いの密度を信じる。


「…ありがとうございます!なんか伝えられる気がしてきました」


「よかった!想いは必ず届くよ」


そもそも私は想いを伝えるために奏斗と旅行に来たんだ。それは美穂とも話し合って決めたことだ。


・・・・・・


私が奏斗と旅行に来たのは美穂の勧めだった。奏斗から渡された北海道招待券を持って美穂を誘って見たが拒否をされた。


一度美穂と真剣に話をした。


『萌衣、正直に教えて欲しいんだけど、奏斗と徹どっちが好きなの?』


『それは…』


『あれこれ想いとか考えなくていいから。素直にどっちが好きなの?親友なんだから萌衣をしっかりと理解したい』


体育祭後、徹との関係はぎくしゃくしている。視線が合っても私から目を背けている。徹とも一度話をしなければならないことは分かっている。


事実、今の私は奏斗が好きだ。その想いは徹を上回る。徹と話し合うことは小説を壊すことになる。【徹と付き合う】という冒頭の目的を満たすことは出来ない。


『私は徹が好きだった。でも今は奏斗が好きになった。でも奏斗は玲のことが好きで…』


もう一つ。月崎玲が石森玲であることは直接玲から聞いている。奏斗は月崎=石森であることを知らない。=で結びつくことを教えれば物語は結末に向かいそうだが、それは月崎に止められている。


『…そうだったのね。正直に教えてくれてありがとう。じゃ北海道には奏斗と行くべきだね』


『え?』


『めっっっっっちゃ北海道の海鮮物食べたいけどー、ま、お土産頼んだよ⸜(* ॑꒳ ॑* )⸝』


例え失敗するとしても想いを伝えたい。断られるとは思う。それでもいい。伝えようとしなければ伝わらないんだ。私はモブキャラプチトマトじゃないんだから。

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