26話 僕と石森の六日目(1)

26話 僕と石森の六日目(1)


 六日目。昼ご飯を食べた午後一時。僕はエレベーターに乗っていた。エレベーターは上昇していき、6階で止まる。先生からもらった紙を頼りに廊下を進んでいく。


 目的があり玲に会いに来たわけではない。先生に言われたので、仕方なく玲に会いに来た次第だ。


(607号室…)


 その紙と病室のネームプレートを交互に確認する。そこには石森・安西という名前が書かれていた。玲は安西さんと部屋を共有しているのだろう。ゆっくり部屋を開いて中を覗くが玲の姿は見えない。


「あっ、君は奏斗君?」


「は、はい」


 病室にいた安西さんが声をかけてくれた。安西さんはベッドから腰を上げてニコリと笑う。大人のお姉さんという雰囲気で、20歳ぐらいの女性だった。


「玲ちゃんは今ジュースを買いに行ってるところだから、すぐに戻ってくると思うわ。少し待ってみたら」


「ありがとうございます」


 僕は玲の帰りを待つことにした。安西さんはテレビをつけてバラエティー番組に切り替えてくれる。安西さんは玲について少しだけ話してくれた。


「玲ちゃんは本当に強い子だと思う。私は事故で腰から下の感覚がなくなっちゃったの。死にたかったのに動けないから死ぬこともできなかった。そんなある日、玲ちゃんと出会ったの。玲ちゃんは本当にすごい子だよ。あの子には親もいなければ心臓に病気があって長く生きられない。それでも笑顔だし、いつも生きる希望をくれるわ」


「親がいない…」


 そのとき、病室のドアが勢いよく開く。リンゴジュースの紙パックにストローを差して飲む。だぼだぼのTシャツに短パン。サンダルを履いた玲が立っていた。


「なんで奏斗がここにいるの!?はぁ?ありえない!」


「奏斗君が会いに来てくれたんでしょ。嬉しいんじゃないの」


「安西さん、余計なこと言ってないよね」


「言ってないよ。玲ちゃんが奏斗君の話を嬉しそうに話していたこととか話してないよ」


「今言ってるじゃん!」


 玲は紙パックを飲み潰し、ゴミ箱に投げ捨てる。僕の手を取って病室からどこかに連れていこうとする。玲は振り返って安西さんに声をかける。


「トイレは大丈夫?ジュース買っといたからよかったら飲んでね」


「ありがとう。大丈夫だよ」


「わかった。何か困ったら連絡してね」


「うん」


 玲は手を引っ張り歩いていく。ある程度歩いたところで、僕の手を引っ張っていることを知り手をはたく。


「なんで手を繋いでいるのよ」


「知らないよ。玲が引っ張ったんでしょ。というかどこに行くのさ」


「屋上。安西さん余計なこと話すからね」


 エレベーターが開いて玲の後を追う。屋上はテラスのようになっており、中央には木が生えている。そして色とりどりのブルサルビアやオリエンタルリリーなどの花が綺麗に咲いていた。


「安西さんに何か聞いた?」


「まぁ。親がいないこと。心臓の病気のこと」


「んもう。まぁいいか。どうせもう会わないから教える」


 玲はベンチの右の端に座って、僕に座るように促す。僕は隣に座った。


「私は生まれつき心臓が弱くて、小学1年生になる春、親に捨てられた。捨てられたと言っても、この病院の入口で寝ていたところを発見された。たぶん親は私を育てる自信がなかったんでしょう」


「そして院内学級に入ることになった」


「そう。その年、日本初の院内学級がここに設立されたの。親はそれを知って、この病院に置いていったんだと思う。私は最初の児童として院内学級に入ることになった。あのランドセルは、発見されたとき隣に置いてあったもの」


 玲は続けた。


「私は親を憎んでいない。私は立派な大人になって親に再会しようと思った。でもそれも叶わないと気づいたのが小学4年生。私には寿命があることを知る。あと一年ぐらいかな。生きる意味ってあるのかなぁ」


 僕には玲のように生きることも死ぬことも深く考えたことはない。与えられた環境の中、時間を無駄に使って生きてきた。生きることも考えずに生きてきた。命は有限ではあるが、それを考えるのは未来の話だと思っている。


「ごめん、僕には分からない」


「そうだよね。まぁ残りの一年は必死に生きていこうと思う。まだ死ぬ前にやりたいことがあるからね」


「死ぬ前にやりたいこと?」


「近くの山を昇った先にある向日葵公園に行きたい。あそこには夜しか見られない、願いを叶える幻の蝶がいるっていう噂があるの」


「確かにここら辺、蝶有名だよね」


「まぁ今の私には向日葵公園に行くことすら難しいんだけどね。心臓悪くて長時間運動は出来ないから。でもその蝶を見ることが出来れば病気が治ると思う」


 明日で僕は入院が終わり東京へ帰ることになる。このまま6日目が終わっていいのだろうか。


 答えは否だ。

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