25話 僕と石森の五日目

25話 僕と石森の五日目


 五日目。院内学級最後の平日。エレベーターに乗って8のボタンを押す。身体が一瞬ふわっと軽くなり6階で扉が開いた。玲はランドセルを隠そうとする。


「って何それ」


「何って僕も今日はランドセルで来たんだよ」


「なんで」


「だってここは玲にとって学校なんでしょ。学校だったら僕もランドセルで来なくちゃ」


 玲は不機嫌そうに赤いランドセルを背負い直した。エレベーターは再び上昇していく。僕と玲は無言で8階に着くのを待つ。


「そういや、奏斗は今日が院内学級最後だっけ」


「うん」


「そう」


 元気のない声の玲。僕はいつものテンションを取り戻させるためにからかう。


「もしかして僕がいなくなるの寂しい?」


「寂しくないし!やっと邪魔者がいなくなるから清々するわ」


 エレベーターが開いて玲は頬を膨らませながら院内学級に早足で歩いて行った。僕は玲を笑顔で追いかけた。


・・・・


「奏斗、今日は勉強で勝負をしよう」


「学校に行っている僕が負けると思う?」


「よし!じゃ負けた人は勝った人のお願いを1つ聞くっていうのはどう?」


「わかった。やろう」


 先生から国語、算数、理科、社会のテストをもらう。席に座って一斉に問題を解き始める。学校に行っている僕が負けるわけがなかった。


 自信満々でテストを終えて先生に採点をしてもらう。2人でお互いの点数を見る。そこに並んだ数字はありえないものだった。


「よし、合計得点は私が340点。奏斗が290点。私の勝ちね」


「負けた…」


 予想もしていなかった結果。開いた口が塞がらない。玲は学校に行っていないのに、学校に行っている僕が負けた。玲はニヤリと僕を下からのぞき込んで笑う。


「あれ、悔しいの?」


「悔しくないし。不正だ不正」


「あー、私の言うこと一つだけ聞く約束だったよね~。でもぉ、まさか私が勝つと思ってなかったからぁ考えてないや。まさかねぇ」


「くそぉくやしいいいいいい」


 玲と過ごした五日間。僕はひと夏の想い出を手に入れた。この想い出は忘れてはならない。もう僕は玲には会えないのだろう。


・・・・・・


「短い間だったけど今日で奏斗君とはお別れになります。奏斗君、一言ありますか」


「はい」


 僕は院内学級の教壇の前に立つ。ピシッとした姿勢。僕に注目する視線。本当に短い間ではあるが、いつもとは違う経験をさせてもらった。


「一週間だったけどありがとうございました。小学校に戻っても頑張りたいと思います」


「よし、じゃぁ、院内学級代表として玲さん、一言ある?」


「えっ、私!?別に何もないですけど」


「ごめんね奏斗君。玲さんはこう見えても恥ずかしがり屋だから」


「先生、余計なこと言わないでよ!」


 玲は腕を組んで鼻を鳴らす。僕は呆れた表情で玲を見た。頬を膨らませている玲だったが泣くのを必死にこらえているようだった。


 年下の子たちから似顔絵や手紙をもらう。最後の最後まで玲は何も言わなかった。院内学級が終わり、玲が一緒にエレベーターに乗ってきた。僕らは何を言っていいか分からず無言になる。


 6階に着いてエレベーターが開く。別れ際に玲は口を開いた。


「あと二日いるんでしょ」


「うん」


「向日葵公園行ってみるといいよ、夜の景色最高だから」


 そして玲は振り向かず歩いて行った。エレベーターの扉が閉まり、3階へと下降していく。先生からは、土日に玲に会いに行って欲しいとお願いされた。でも、ただ会いに行くだけで良いとは思わない。


 このまま玲と別れれば普通の学校生活が戻ってくる。想い出を大切にしたいと想いつつ、玲と出会ったことは数年間で忘れていく。脳内に残る玲の表情は次第に靄がかかり、やがて記憶からも消えていく。


 僕は、玲をもっと知らなければならないと思った。玲を忘れてはならないと思った。


 僕は…

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