18話 ド・モルガンの法則

18話 ド・モルガンの法則


想いというものは常に変化の連続性だ。これしたい、あれしたい、そんな欲求は数分後には別の欲求に変わっている。玲を想う気持ちは、たった一つの文章で揺らぐ。


萌衣との1ヶ月ぶりの再会。


夏休み中、グラウンドで遠目に萌衣を見ることはあったが、話しかけるのをやめていた。それは萌衣の想いの方向性が変わらないようにするためだった。萌衣は「徹に告白する」という正しい道を歩んでいた。


(ちがうか。僕の想いの方向が変わらないためか)


何もしなくても萌衣は正しい選択肢を選んでいる。現に僕は萌衣に何もしていない。僕が居なくとも萌衣は今の選択肢に立っていた。たぶん「誤った数字」を抱えようとしていたのは僕の方だ。


学校の最寄りの駅で萌衣を待つ。Twigramで隼也が文香に追いかけられている動画をゆったり眺めていると目の前に人が立った。顔を上げるとムッとした表情の萌衣がこちらを見ている。


…確実に機嫌悪いよな。


「や、やぁどうしたの?」


萌衣は答えない。今までに感じたことの無い雰囲気に怖気付く。何か不味いことをしただろうか。思い当たる節はない。


「ん」


「ちょ、ちょっと、」


萌衣は短く返事をすると表情を変えないまま、僕の手を引っ張る。僕は走って萌衣の横に並ぶ。手を離さなかった。


萌衣と手を繋ぐのは初めてだった。萌衣は何も想うことなく手を掴む。なんだろう、思っていたのと違う。


この歳になって、手を繋ぐなんて色々考えてしまうじゃないか。あういうこと、こういうこと、未来、過去、現在。


しかし残念ながら、久しぶりに人と繋いだ手は、全くもって想いが伝わってこなかった。


・・・・・


レストランライゼリアに着いた。萌衣は、ムッと立ち上がり水を汲みに行く。


僕の目の前に氷の入っていない水を置いた。以前、水をお願いしたとき、氷は入れなくていいという会話を覚えていたのだろう。


「あ、ありがとう」


「ん」


萌衣は表情を変えないまま席に座った。そして水をがぶ飲みする萌衣。氷を口の中で砕く。


「徹とはもう付き合わない」


「またどうして」


「もういいの!」


周囲の客が僕らに注目する。萌衣は腕を組んでメニューを僕に渡す。


「頼んでいいよ。私はもう決まってるから。もちろん奏斗の奢りだけどね」


「なんかおかしくない!?」


萌衣はうんと高いステーキを注文する。僕は安いドリアとサラダを注文する。ドリンクバーはどうするか聞かれたので断った。(作者もドリンクバーは基本頼まない。元取れないからね)


「徹は美穂と別れたらしい。で、私に告白してきた」


「付き合えばいいのに」


「はぁ?」


萌衣は、机を叩いて立ち上がる。周りの客が萌衣に注目する。萌衣は少し冷静になると静かに座った。


「ごめん」


「まぁいいよ。で、徹に告白されてどうしたの?」


「当然断った」


少し嬉しかった、というのが感想である。上手くいってしまったら、僕の前に萌衣はいない。複雑な心境にかける言葉がない。断った理由も聞くまでもなく分かる。


「ん」


徹は、美穂と別れたから萌衣に告白したという単純な理由では無いだろう。そのことも萌衣は分かっている。だけど納得いかない気持ちは、萌衣と同じだ。


「諦めるのは違うと思うな」


萌衣は重要なことに気がついていない。僕はこの数週間、のんびりしていた訳では無い。僕は「とある」人と会っていた。萌衣のいないときに、萌衣の方程式に触れていた。


・・・・・・


数週間前

Twigramの未読メッセージ3件


①隼也「夏期ワーク数学1ページ目の解5、やり方どうでもいいから答え教えて」


②雄大「amの過去形って何?」


③杉原美穂「


「杉原美穂!?」


午前10時、僕は飛び上がり、醒めない視界の中、必死に目を凝らして確認する。


どこからどう見ても萌衣の親友、美穂からのメッセージ。美穂のTwigramには萌衣とのツーショットの写真が沢山あげられていた。


『突然すみません。滝本奏斗くんですか?萌衣の友だちの杉原美穂です。萌衣のことについて聞きたいことがあるのですがいいですか?』


直接本人に聞けばいいのだが、本人に聞けない内容だから僕のところに来たのだろう。


『単刀直入に聞きます。奏斗さんは本当に萌衣のことを好きなのでしょうか』


好きではあるが、そんな単純な返答を求めていないのは短い文章でも伝わる。聞きたいのは「僕が萌衣のこと」を好きなのかどうかでは無い。「萌衣が僕のこと」を好きであるかどうかなのだろう。


萌衣は自覚していないようだけど、想いが表情に出やすい。親友の美穂は、早いタイミングで萌衣の想いに気付いていたのだろう。


返答に困る。事実、美穂は徹と付き合っている。正直に伝えたら美穂はどうするつもりなのだろうか。分からない。


『萌衣が好きなのは僕ではありません』


『じゃ萌衣が好きなのは徹くんですか?』


ド直球過ぎんだろと突っ込む。萌衣の方程式を導くことも大切だけど、美穂の想いもある。親友との関係性は崩したくないというのは僕も同じ気持ちだ。


『直接お話出来ませんか?』


そして僕は萌衣の方程式に触れることになる。


・・・・・・


「ごめんなさい。少し遅れました」


体育祭の練習終わりの美穂。完全なダル着スタイルの僕。美穂の肌は体育祭練習とテニス部練習でこんがりと黄金色に焼けている。


ファミリーレストラン希望庵に来た。ここはとにかく炒飯が美味い。そして拉麺も美味い。そして餃子は世界一美味い。少し冷めてしまってもその旨みが損なわれることがなく、一定に保たれる野菜の旨みが染み込んだ肉汁。


「敬語じゃなくていいよ、同じ学年だし」


「わかった。じゃ、まずはごめんね。休みの日に呼び出して」


美穂は杏仁豆腐を注文する。希望庵に来た時は半炒拉餃セットを注文するのが僕なりのルールだけど、我慢して杏仁豆腐を注文。脂っこいものを求めていたが、杏仁豆腐を注文してからは不思議と杏仁豆腐の味を求める僕の唾液腺。


「いや、大丈夫。暇だったから」


「で、さっそく私の聞きたいことなんだけど、私が徹と付き合っていることは知ってる?」


「萌衣から聞いてるよ」


「萌衣はおそらく徹が好きだった。それなのに、何故奏斗くんと付き合ったのか、それが聞きたいこと」


確かに僕と萌衣の関係性に不思議に思うのも分かる。僕たちは別々の方程式を生きていた。それが偶然にも交点を生んでしまった。関わってしまった。


しかし、萌衣の好きな人が徹であることを言っていいのか迷った。もしそれを告げたら美穂はどうするつもりなのだろうか。


「分かった。話すよ。なぜ僕が萌衣と付き合っているのか。確かに萌衣の好きな人は徹。」


次話につづく



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