第35話 呼び慣れない
試験が終わった。
金曜日に全部の科目が終わるようにされていた試験が終わり、教室内はクラスメイトが試験終わりの解放感からか、とても楽しそうに話している。
しかし俺は……試験期間中、ずっと違うことを考えていた。
今回の試験、あまり手応えがない、というよりは解いた覚えがあまりない。
もちろん空欄は一つもないのだが、試験中も違うことを考えてしまっていたから、適当に解いてしまった感がある。
見直しもしてないし、今回はヤバいかもな……。
俺はその悩み事のタネを思い返し、その人……香澄をチラッと見る。
香澄は汐見さん席に座りながら話していた。
「香澄ー、今回のテストどうだった?」
「まあ、普通だったわよ」
「平均で何点くらい?」
「……八十五点くらいかしら」
「それで普通ってすごいねー。私は多分、平均で六十点くらいだと思うけど」
「部活を頑張りながらそれだったらすごいんじゃない?」
「ふふっ、そうかなぁ?」
席は少し遠いが、そんなことを話している声は聞こえた。
くっ、いつもなら香澄のところに行くのに、この一週間、ずっと行けてない。
「誠也、試験どうだった?」
健吾が俺のところに近づいてきて、開口一番でそう言った。
「……ちょっと、全然ダメだったかもしれん」
「えっ、マジで? 誠也が珍しいな、何点くらいだ?」
「平均で、九十点いけるかどうか……」
「めちゃくちゃ高いじゃねえか、赤点ギリギリの俺を舐めてんのか」
「別に舐めてはないが、もっとしっかり勉強しとけとは思うな」
一般的には九十点は高いとは思っているが、俺が普通にやれば百点は取れるはずだったのだ。
いつもより平均点が十点も下がっているといえば、俺がどれだけミスをしたか、集中出来ていなかったのかわかるだろう。
俺が集中出来なかった理由は、単純明快。
香澄ちゃ……香澄への、呼び捨て問題だ。
この問題が試験のどの問題よりも、断然難しい。
土曜日に香澄を呼び捨てすることに決まり、月曜日からずっと「香澄」と呼んでいるのに、まだ慣れない。
どれくらい慣れていないかというと――。
――いつものプロポーズが、この一週間1回も出来ていないくらいだ。
これは、まずい。非常にまずい。
俺としてもここまで慣れないとは思わなかった。
だけど十年間もずっと「香澄ちゃん」と呼んでいたのに、一週間で慣れろという方が無理があるのかもしれない。
呼び方に慣れないだけだったら問題ないのだが……香澄、と呼ぶのが緊張して、なんだか恥ずかしくて、いつものように接することが出来ないのが一番の問題だ。
この一週間、香澄と接した数や時間が、いつもの一日くらいの総量である。
俺としてはもっと香澄と話したいし絡みたいのに、呼び捨てというハードルが邪魔をしてくる。
「久しぶりの部活、楽しみだ。一週間勉強してたから、体が鈍ってるだろうなぁ」
「嘘ばっか、帰りに近所の公園でボール持って練習してたでしょー?」
健吾の言葉に反応したのは、汐見さんだった。
気づいたら汐見さんと一緒に、香澄もこちらに来ていた。
「えっ、な、なんで奈央が知ってるんだよ?」
「一昨日、近所のコンビニに行こうとして公園の前を通ったからね。そんなんやってるから、いつも赤点ギリギリになるんだよ」
「べ、別に俺は赤点取らなければいいんだよ。今回も多分、平均は四十点以上はいけたし」
「全然すごくないからね、赤点ギリギリの教科もありそうだけど」
「……ぶっちゃけ、物理とか怖いな。油断しててあまりやってなかった」
「ほらー、それで補修とかになって部活出れなかったら本末転倒だよ?」
「ぐっ、何も言えねぇ……!」
……なんか心配する母親と生意気な子供みたいなやりとりだな。
だけどこの二人はいつも呼び捨てで呼び合ってるから、参考にしたいのだが、俺と香澄とは関係性が違うようだから難しい。
二人ともおそらく全く遠慮がない、いい関係性ではあると思うけど。
「じゃあ誠也、俺は部活行ってくるから。勉強教えてくれてありがとな」
「ああ、どうせ次の試験も教えることになると思うけど」
「うっ、それはマジで頼むわ」
「いいよ別に、俺も教えるのは嫌いじゃないし」
「サンキュ! じゃあ、また来週な」
「香澄、私も部活あるから、行ってくるねー」
「うん、頑張って」
ということで健吾と汐見さんがいなくなってしまい、俺と香澄だけになってしまった。
少しだけ沈黙が訪れて、気まずい雰囲気が流れる。
「……じゃあ俺達も帰ろっか、香澄」
「……うん、そうね」
荷物を持ち、一緒に昇降口に向かった。
昇降口から出て帰ろうとしたところで、後ろから声をかけられた。
「あっ、香澄お義姉ちゃん! とついでにお兄ちゃん」
一声で誰かわかるその声、俺は振り向きながら話す。
「俺はついでかよ、優香」
「もちろん、香澄お義姉ちゃんが本命でしょ。お兄ちゃんなんて付け合わせ」
「まあ確かに、俺と香澄だったら……うん、そうだな」
いつもの調子で「香澄ちゃんがメインディッシュ、だけど俺以外に食べさせるわけにはいかない! 付け合わせで我慢しとけ!」などと喋ろうとしたのだが、やはり呼び捨てに気を取られてしまい出来なかった。
「……はぁ、まだこれなんだ」
優香も俺と香澄の関係がなんだかイマイチなことに気づいているようで、ため息をついていた。
「まあいいや、とりあえず香澄お義姉ちゃん、一緒に帰っていいですかー?」
「うん、もちろん」
「ありがとうございます! お兄ちゃんには聞かないよ、もちろん」
「まあ俺と優香は同じ家なんだから、そりゃ一緒に帰るだろうな」
そうして三人で帰路に着いた。
ぶっちゃけ、優香が来てくれて助かった。
いつもなら邪魔とは思わないが、もう少し香澄と二人きりの時間がよかったと思うところだが……今はダメだった。
早くいつものように戻りたいのだが、なぜこうも難しいのだろう。
「さて、お兄ちゃんとお義姉ちゃん、もうめんどくさいからハッキリ言うけど……もうなんか、めんどくさいよ!」
他の生徒が周りからいなくなり、俺達三人だけになった時に、優香がそう口にした。
「優香、いきなりなんだ?」
「わかってるでしょ!? というか、特にお兄ちゃんだよ! ほら、自分がいつもと違うところを言いなさい!」
「……べ、別に、ないけど」
「あ、あのバカ正直で真っ直ぐなお兄ちゃんが、バレバレな嘘を言うなんて……!?」
なんかよくわからないことで驚かれているが、もちろん優香が言いたいことはわかる。
「香澄お義姉ちゃんも、お兄ちゃんになんか言ってやってよ! このままずっとこの調子じゃ、私や奈央先輩も気になりすぎて死んじゃうよ!」
「……私から呼び捨てで呼んでほしいって言ったけど、私は誠也が慣れるのを待つしかないと思うけど」
「まあそうなんだよねー。お兄ちゃんがここまで意気地なしとは思わなかったよ」
「なんて酷い言い草だ」
「お兄ちゃん、言い返せるの?」
「ぐっ……」
もちろん何も言い返せない。
俺がすぐに「香澄」呼びに慣れていれば、こんな雰囲気にはなってないのだから。
「だけど私や奈央先輩は、早く二人にいつもの雰囲気に戻ってほしいのです! 欲を言えばそれ以上の関係になってくれれば最高です!」
いい笑顔でグッと親指を立てた優香、何か嫌な予感がするな……。
「お兄ちゃんに足りないのは、香澄お義姉ちゃんの名前を呼ぶ数だと思うんです!」
「数?」
「十年間も『香澄ちゃん』と数千回、数万回も呼んできたんだから、いきなり『香澄』呼びになっても慣れないのは当たり前。しかもまだ数十回しかその名前を呼んでない」
確かに、それは俺も思ったことだ。
「しかもお兄ちゃんは香澄お義姉ちゃんを避けてるから、呼ぶ回数はあまり増えない」
「さ、避けては……」
「避けてるよね? だってお義姉ちゃんから夜に電話で――」
「ちょ、ちょっと優香ちゃん!? 内緒にしてって言ったよね!?」
香澄ちゃんが優香の口を押さえた。
結構勢いよく押さえたから、少し痛そう。
「ぷはぁ! とにかく!」
優香はなぜか無傷のようだった。意外と優香も俺や父さん譲りなのかわからないが、身体が強いからな。
「お兄ちゃんとお義姉ちゃんには、強制的に一緒に過ごしてもらう――つまり、デートを決行してもらいます!」
ビシッと、俺の方に指を向けて言い切った優香。
デート、男女が二人きりで出かけること、つまり香澄と二人で遊ぶ。
ぶっちゃけ昔から二人で遊んだことはあるし、高一の時にも二人でどこか出かけたことはある。
だが高校二年生に上がってからは二人で遊んだことはない。
それなのに、この状態のままデートをする?
「優香、それは少し無理がある」
俺は思わずそう言ってしまった。
もちろん香澄とデート出来るのは嬉しいが、今の状態で出来るとは思えない。
「お兄ちゃんには拒否権はありません!」
「理不尽じゃね?」
「むしろあると思ってるのが驚きだよ。お兄ちゃんのせいでこうなってるんだからね?」
「……ごめんなさい」
さっきから何も言い返せないことが多い、まあ俺が悪いのがいけないから仕方ないが。
「お義姉ちゃんには拒否権はあるけど、大丈夫ですよね?」
「まあ、誠也がいいなら」
「俺は拒否権はないけど、香澄がデート出来るのは嬉しいから」
「……うん」
香澄は少し複雑そうな顔をして頷いた。
ということで、俺と香澄は明日デートをすることになった。
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