第9話 見栄からの本気

次の日、香の足は何処か軽かった。

下駄箱で、靴をいつものように履き替え、そっと、後ろに、何だか気配がして振り返った。

「おわっ!」

と夜与が驚いて香から一歩遠のいた。

「え!?」

と香も驚いて香も一歩後退した。

「お前、俺来るの解ったの?びっくりさせようとして抜き足差し足で来たのに…」

「あ、いらしてくれてたらありがたいな…と思いまして。振り向いた次第です」

「え?俺?」

「え?あ、いえ、き、菊菜ちゃんです」

「あぁ。なんだ。俺がびっくりしたわ」



お互いが、二人だけの空間にいるみたいな感じだ。


「あ、じゃあ…。二度も驚かしてしまってすみませんでした。では」

そう言うと、香は真っ赤になった顔を隠しながら去って行った。

「美崎ね…。あぁ驚いた。でもやっぱあいつ可愛いわ」



「可愛い?誰の事?」

「おわっ!!」

夜与はさっきの三倍驚いた。

「あ、美崎か…。や、別に。おはよう」

「ん。おはよう。教室行こう!」

そう言うと、菊菜は夜与の腕を引っ張って、教室へ向かった。

「みんなおはよー」

「あ、菊菜、長谷川!おはよ」

「なんか、二人、本当にお似合いだよねー。羨ましいー、美男美女!」

「あはは!やめてよ!また夜与に怒られちゃうじゃん!ねぇ、夜与!」

「あぁ、誤解を招くのは良くないな」

すっと菊菜の腕を解き、自分の席に着く夜与。

腕の行き場がなくなった美崎は、少し下を向いて、誰にも気づかれないように、深呼吸した。


菊菜は、自分で思うよりずっと夜与が好きになってた。

最初は顔だけだった。

『私に釣り合うのはこいつくらいね』

くらいに思っていた。

でも、今は違った。

『泣かせてごめん』

そう言われたあの日から、菊菜は自分でも自分が本気で、夜与を真剣に想い始めた事に気が付いのだ。


そして、昨日。

「ゴミ捨ては俺が行くわ」

とみんなが嫌がる作業を、自分からかって出た夜与に、疑問を抱き、一緒についていった。


「なんでゴミ捨て、自分から行くって言ったの?」

と菊菜は率直に聞いた。

「あぁ、外の空気、良いじゃん。景色とか、毎日どっか変わってて…見てると意外と面白いから」

ほとんど香の受け売りだった。

しかし、夜与は自然と本当にそう思うようになっていた。

その夜与に、また、菊菜は惹かれたのだ。



何とも皮肉な菊菜と香と夜与。



香の受け売りの作業を、香がしていると、ダサく思え、夜与がしてると素敵に思え、好きになって行ってるのだから。


「夜与ってそんな風に思う人だったんだね。意外だったかも」

そう言うと、素直に、

「良い人なんだね、夜与って」

「それ、葉月が好きだって言ってるようなもんだぜ?」

「え?どういう事?」

「俺も葉月に言われて気付いたんだ。外の景色は葉月に言われて気付いたんだ。

外の景色は毎日変わる。それが良いって」

「そう…なんだ。それで夜与もゴミ捨て、好きになったの?」

「んー…まぁ、そんなとこかな?教室戻ろうぜ」

そう言い、教室に戻ろうとした時、ふと、グラウンドの端っこにある、大きなに目をやると、木の向こう側にひらっとスカートが揺れたのを見た。


(いやがった)

ちょっと嬉し気に教室への帰り道の途中で、夜与が、

「ん?まだごみ残ってるじゃねーか。わりぃ!ちょっと捨ててくるわ!」

「あ、じゃあ、あたしも…」

その声は夜与には聞こえなかった。

只、聞き取れないほどのスピードで、走って行ってしまっていた。

急いで、焼却炉に戻ると、焼却炉の当番までいなくなった時間に、香が捨てていた。

夜与は、その姿をしばらく愛でたあと、

「葉月!明日はもっと早く来いよ」

と大きく手を振った。



その姿を、菊菜は見てしまった。

そして、夜与が好きなのは香だという事も解ってしまった。

どうしようもない敗北感に、怒りを通り越して悲しくなった。


「あたしが…香に…負ける?」



次の日、下駄箱での二人のやり取りを、菊菜は見ていた。このままでは本当に夜与が香のものになってしまう。

そう思った菊菜は、昼休み、裏庭に香を呼び出した。



「菊菜ちゃん、どうしたの?」

明らかに楽しい話しはしないな、と悟った。

長い沈黙が香の頭からつま先まで緊張を与えた。

そうして、しばらく経つと、重々しく、菊菜はやっと語り掛けた。



「香…。お願いがあるの」

「え?あ、うん!菊菜ちゃんのお願いなら何でも聞くよ!何でも言って!」

香は、水を得た魚のように、瞳がキラキラした。

菊菜から頼りにされたと思い込んだ香は、喜んで菊菜にそう言った。



しかし―…、

「夜与を…夜与を諦めて」

「え…?」

唐突な菊菜の言葉に、香は言葉を失った。

「私は夜与が好き。夜与と付き合いたい。夜与の一番近くに居たい。だから香、夜与を…夜与をあたしにください」

「…菊菜ちゃん…」

「お願いします」

戸惑う香を置いていくように、怒涛のように言葉をつ続けたかと思うと、次の瞬間には、深々と菊菜は香に香に頭を下げた。



「菊菜ちゃん…」

今まで、菊菜が香頼み事…いや、命令は何度もして来た。

けれど、こんな風に頭を下げたり、敬語を使うのは生まれて十何年初めてだった。

そんな、菊菜の真剣さを痛いほど感じた香に、残された道は一つしかなかった。



「あ、当たり前ですよ!菊菜ちゃん。夜与さんが私なんて相手にするはずないじゃないですか!それに、諦めるも何も、私、夜与さんの事、好きなんかじゃないですよ?本当ですよ?万が一好きになったとしても、菊菜ちゃんと私、どちらかが告白して、選ばれるとしたら、菊菜ちゃんしかいませんよ!」



「…本当?」

「はい!本当です!」

「ありがとう、香。それだけ。呼び出してごめん。じゃあね」

そう言うと、菊菜はそっと裏庭からいなくなった。



「そうか…そうだね…好きでいるだけでも、ダメだよね…。菊菜ちゃんの目障りだよね…?馬鹿だなぁ…私」


笑顔で香は泣いていた。


「好きでいさせてください…か。そんなの、ダメに決まってるよね。ごめんね、菊菜ちゃん。もう諦めるから。苦しめて、ごめんなさい……」

そう呟くと、香は、焼却炉に向かい、まだ火のついてない焼却炉に夜与がつなぎ合わせてくれた写真を、涙一杯にして、捨てた―…。

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