第7話 夜与から香へ。

香は、お守りを握りしめ、涙が止まらなかった。

「自分を大切に…、長谷川さん、私が大切に出来るものは、菊菜ちゃんに、もらった言葉だけです…」

誰もいなくなった教室で、ボソッと呟いた。



次の日、香は昨日より十五分くらい早く学校へ来た。そうすれば、夜与に会わなくて済むかもしれないと思ったからだ。

“自分を大切にする”そう言われて、抑えていた何かが心からはみ出してきそうでならなかっただからだ。



「おっす!葉月」

「うわっ!長谷川さん!」

突然大声とともに夜与が現れた。

それに驚いた香は思わず、夜与の後ろを見た。

「何?誰かいんの?」

「いたら困るから見てるんです!」

「何、誰が居たらいたら困るの?」

「菊菜ちゃんですよ。こんな所見られたら、また菊菜ちゃんを不快な想いにさせてしまいます!」

「葉月ってそんなに美崎に嫌われたくないの?」

「当たり前じゃないですか!じゃぁ、もう私行くので!」


そう言い終わると、香はさっさと自分の教室に行ってしまった。

「何なの?あいつ」

独り言を呟き、疑問を抱きつつも、笑いが込み上げる夜与だった。

「あ!夜与!おはよう!」

にやけがやっと収まった瞬間に、後ろから菊菜の声が背中に覆いかぶさってきた。

「あ、おう。はよ」

(あいつ勘良いな)

香でもないのに、一瞬、『よかった』と思った夜与。


「なぁ、美崎と葉月っていつからの知り合いなの?」

「え?そんな事聞いてどうするの?」

「いや、別に大した理由はないけど」

「ふーん…ま、いっか幼稚園からの幼馴染だけど?それがどうかしたの?」

「そんな前から!?」

廊下中に夜与の声が響いた。

(あいつ、よくそんな昔からの付き合いで、美崎に毒されなかったな…)

心の中で、菊菜に毒づきながら、いよいよ解らなくなってきた。

菊菜のいじめともとれる言動に、十五年以上も晒されてなお、あの素朴さを保つ香に、夜与は明らかに惹かれ始めていた。

「何?なんなの?」

「あ、いや、二人全然性格違そうだけど、そんな昔から一緒にいたんだって、それに驚いただけ」

「?そう…」

足元が少し冷たくなった。

時間が止まった。

「どうした?美崎」

時空を戻そうと、夜与が菊菜に尋ねた。


「あたしは打ち上げ花火で、香は線香花火ってだけの事よ」

そっと、小さな声で呟いた。

「え?はな?」

思わず本音を吐露した菊菜の言葉は、危うく夜与に聞き取られしまう所だった。

「あ、いや、別に!でも、なんで朝から香の話しなきゃいけないの?」

「あ、そうだな。マジ何でもねぇから。気にすんな。行こうぜ」

そう言うと、足早に教室に向かう夜与。

そんな風に明らかに変な夜与に、

「ねぇ、夜与、なんで、“夜与”って呼ぶの認めてくれたの?」

「…ん――、美崎が葉月の言う通りの人間だったから…かな?」


『泣いた顔を誰にも見せない人』


そう言った香の言葉を信じた夜与は、昨日見た菊菜の涙に、『悪い事をした』と思っていたのだ。


放課後、香はいつも通り、ゴミ捨てを押し付けられ、焼却炉にやって来た。

すると、後ろから、

「葉月!」

香にとって、一番聞きたくない声がした。

「長谷川さん」

「何、今日もか」

「関係ないじゃないですか!長谷川さんこそなんで今日もゴミ捨てなんですか!?」

「や、葉月に会えるかな?って思ってさ」

「え?私ですか?何か用ですか?」

「ちょっと美崎の事で聞きたい事があってさ」

「菊菜ちゃんの事ですか!?」

香の顔が一気に華やいだ。

「任せてください!菊菜ちゃんの誰より詳しいです!誕生日ですか?好きな食べ物ですか?憧れている女優さんですか?」

エンドレスに、菊菜の情報を次々出してくる。

すると、夜与はまた笑いが込み上げた。

「なんだよ!俺といられるところ見られたらやばいんじゃなかったの?」

「だって、今日は菊菜ちゃん、モデルの撮影で午後からいませんから、その心配はありません」

「は?そうなの?んな事よく葉月が知ってるな」

「菊菜ちゃんに言われてるんです。撮影の日は、調子整えておきたいから、顔見せるな、って。なので、撮影日は全部把握しています。だから、今日は大丈夫です」

「何、そんな酷い事言われてるの?」

「酷い?何処がですか?撮影の日に、私みたいな地味な顔見せられたら、誰だってテンション下がります。なるべく菊菜ちゃんの邪魔はしたくありませんから」

「お前、本当に変わってるな」

夜与は、また笑いが止まらなくなった。

香には、何がそんなにおかしいのか、何がそんなに変わっているのか、全く理解できず、ポカーンとするばかりだった。

一通り笑い終えると、夜与は、

「なんで葉月はそんなに美崎の事好きな訳?俺それが全く解んないんだけど」

「長谷川さんこそ解らないです。なんで菊菜ちゃんを嫌いにならなきゃいけないんですか?」

「え?だって写真破ったり、葉月の事散々悪く言われてたじゃん」

「だから、あれは自分で破ったんです。あの写真は…捨てましたから…」

「あんなに可愛く撮れた写真、捨てたの?」

「可愛く…撮れてる…?」

「あぁ俺が見て来た女子の中で一番可愛いと思ったけど」


香の中で、決心が揺らぎそうになった。

菊菜をと夜与を結ばせる、その決心が。


なんでこの人はこんなに優しいんだろう?

なんでこの人は私を真っ直ぐ見てくれるんだろう…?

なんで…。

必死の想いで、涙を堪えた。


「冗談はやめてください!一番はいつだって菊菜ちゃんですから!」

そう叫ぶと、ゴミ箱を抱え、校舎の方へ逃げ出した。


(ダメ!これ以上好きになっちゃダメ!長谷川さんは菊菜ちゃんの好きな人なんだから!)


菊菜と夜与を結びつける、自分で思いついて、自分で決意した自分が、夜与の仕草も笑顔も大笑いするところも、我慢するのはもう限界だった。


(ダメ!)

そう頭で言った瞬間、ぴたりと足が止まった。

半べそかきながら、

「何言ってるの?相手は菊菜ちゃんだよ?ダメも何も、好きになろうがなるまいが、おんなじ。菊菜ちゃんに敵うはずないんだから。邪魔…しなければ良いかな?好きでいても…良いのかな?密かに思ってるだけなら許されるかな?」


初めてだった。香が菊菜の手の中にあるものに手を伸ばしたのは。

と言っても、それを手中にしようなどと思ったわけでは決してなかった。

只、本当に只、破れた写真の代わりに、心の真ん中に飾っておきたくなる、そんな言葉だった。




『俺が見て来た女子の中で一番可愛いと思った』



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