第6話 お姫様が帰ってきた。
その日は、いつもなら夜与に引っ付いて離れない菊菜が、夜与のもとへ行かない。
笑顔も少ない。
(まさか…夜与、香の事…ううん!ないって!あんな暗い子相手にされるはずないじゃない!)
脳みそをぐるぐる揺らして香の影を頭から消し去った。
その日の放課後、いつものように、ゴミ捨て係を言い渡され、焼却炉やって来た香。そこで夜与とばったり出くわした。
「あ!葉月!何、葉月いつも捨ててんの?」
「あ、長谷川さん。これはもう日課のようなものなので」
「そーなんだ。葉月らしいな。嫌がってる感じしねーし」
「別に、本当に嫌いじゃないので。四月に高校入った時は桜が咲いて、花が散った後の葉桜も奇麗で、二学期に入ったら、太陽が強くて明るくて、みんなグラウンドでサッカー部や野球部の練習が一番長くて、その精一杯の声が元気をくれます。三学期は陽が、この前長かったなぁ、なのに、もう夕焼けが奇麗で…。外に出るのは好きなので。景色が変わっていくのを見るのは楽しいですよ」
とニコニコしながらゴミを焼却炉に入れた。
「やっぱ、美崎とは違うな。あいつ葉月に対してなんであんなに偉そうなの?俺の事も下の前で呼び捨てにするし。つい、馴れ馴れしいとか言っちまった」
「え?何?悪い?」
「悪いですよ!菊菜ちゃんに呼び捨てにされるのは認められた証拠じゃないですか!」
そう、香は自分の夜与へ生まれてしまった初めての好きを封印する事にしたのだ。
「え?でも、葉月だって呼び捨てにされてんじゃん」
「私は“ちゃん”が取れるのに十年かかりました。でも、長谷川さん学園祭の後すぐにもう呼び捨てでしたよね?それってありがたい事です!」
「…」
「…?どうかされましたか?は…せが…わさ」
「あははははははっ!」
「な、何ですか?」
きょとんとする香。
「お前本当に美崎の事好きなのな。俺から見たら美崎の奴隷みたいに見えるのに」
「奴隷…良いですね!それ!
「はぁ?なんで?」
意味不明な言葉を連発する香に、笑いながら夜与は尋ねた。
「だって!菊菜ちゃんですよ?奇麗で明るくてリーダーシップも申し分ないですし、モデルだって大活躍してるじゃないですか!それに泣いた顔を誰にも見せない強い人ですし、菊菜ちゃんの奴隷なら喜んでします!」
「あははははははははははははっつ!」
もう笑いのツボを押された夜与を止められる人はいなかった。
「…?」
一体何が楽しいのか、なんでこんなに笑っているのか、香には見当がつかない。
「何ですか?私、そんなにおかしな事言いましたか?」
「言った!いっぱい言った!あー腹いてぇー!!」
『奴隷を喜んでしたい』と言った後に笑いとともに疑問が浮上した。
「なんでそんなに美崎の事好きなの?」
「言ったじゃないですか!菊菜ちゃんは私の憧れなんです。私も菊菜ちゃんみたいに自分を大切に出来るような、人生、もっと楽しいと思います」
「…」
突然、夜与は笑うのをやめた。
「そうだな。“自分を大切にする”か…、それは確かに葉月には出来てないな。葉月はもっと自信を持つべきだな。他人をそんなに大切に出来ると思うぜ?」
笑うのをやめて、真顔で自分にも自分を大切に出来ると思う、と言われた香は何かが喉まで込み上げてきた。
そんな事言われることはなかった。
自信を持て、とは言われることは少々あったが、自分を大切に出来る、と言われたのは生まれて初めてだったからだ。
「…私、もう行きます。菊菜ちゃんがこんな所見てたら不快に思うと思うので」
「なんでそうなの?美崎の事ばっか…」
「いいんです!!…私は一生菊菜ちゃんの奴隷で。菊菜ちゃんに嫌われるくらいなら、長谷川さんに嫌われた方がずっとましですから!」
「美崎ってそんなにいい奴なの?俺苦手…」
と言いかけた時、
「菊菜ちゃんはすごくいい人です菊菜ちゃんがいたから、今の私がいるんです!!」
そう強く感情を込められた空気を残して、香は空になったゴミ箱抱え、教室へもどって行ってしまった。
その後ろ姿に、小さな“光”が夜与には見えた。
夜与が教室に戻ると、一人、菊菜が夜与を待っていた。
「あれ?美崎じゃん。お前今日掃除当番じゃないだろ?なんでいんの?」
「あ…うん」
気まずそうに菊菜は後ろを向いた。
「ごめんね、長谷川。急に名前呼び捨てして…。せめて、君つけるべきだったよね?みんなにも誤解させちゃったし。迷惑だったよね。ごめんなさい。それだけ言いたくて…じゃあ、また明日」
机の上の鞄を持つと、菊菜は素早く夜与の入って来たドアとは逆のドアから出て行こうとした。
すると、夜与が菊菜の腕をつかんだ。
びっくりした菊菜は思わず振り返った。
その顔は涙で歪んでいた。
メイクも少し取れ気味な程。
その涙に、香の言葉が蘇ってきた。
『菊菜ちゃんは人に涙を見せない強い人』
その菊菜が泣いている。
「…何泣いてんの?って俺のせいか…。朝は悪かった。みんなの前で慣れ慣れしいとか言って…。傷つけたよな」
「長谷川…」
「良いよ、夜与で。じゃあな」
それだけ言うと、夜与は帰って行った。
ポカンとする菊菜だったが、その顔はすぐ笑顔に変わった。
「よかったぁ…」
そう言った直後、菊菜はパンパンと顔をは叩き、涙を拭いた。
「らしくない!何よ!あれくらいで泣くなんてあたしらしくない!」
最初は、ただの見栄だった。
自分には夜与くらいレベルの男しか似合わない、そう思っていた。
それが…この恋が見栄で始まったものだとしたら、見栄はもう何処にもなかった。
菊菜は、香に接する夜与を見るたびに、夜与に惹かれていった。
呼び捨てにしてたことを断われた…たったそれだけの事で。
一包香は、あるものの為にちょうどいい居場所を探していた。
昨日、ゴミ捨てに行ったとき、夜与からもらったあるもの…、それは、歪に張り付けられた一枚の写真、香のお姫様の写真だった。
そして、安泰な場所を見つけた。
母親にもらった、お守りの中に、そっとしまった。
「これ、あん時の落ち込み具合見てたら解ったから、俺が全部引っ付けた。なんか汚ねぇけど、一応渡すわ」
それは、香の写真だった。
「長谷川さん…ありがとうございます…」
そんな風に胸が熱くなるくらい、泣いてしまうほど嬉しかった。
見え方や、テープの貼り方や、折れた筋なんかも色々ついて、本当に『汚い』写真だったけど、香は感激した。
お姫様が帰ってきた。
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