第5話 まさか―…。

香は、その舞台に上がってしまった。

もう…精一杯、消さなきゃいけないほどの想いに、鈍感で恋話なんてした事も無かった、香が捨てなきゃいけないもの、消さなきゃいけない事が香の心に生まれてしまった。


同時に、菊菜に花を持たせるしかない自分に、とてつもない後悔が残った。



「菊菜ちゃんみたいに可愛かったらな…私も男の子に…夜与さんに…相手にしてもらえたのかな?」

メガネに大粒の雫がぽたぽた落ちた。

「私…なんでこんな意気地ないかな?一度も…頑張った事なかったもんな…。こんな私、選ばれなくて当たり前だよね…。菊菜ちゃんはこんな私をくれてたのに…」


香は、急に今までの自分の人生が間違っていたように思えてならなかった。

菊菜を尊敬する気持ちは変わらない。

嘘もない。

菊菜の言葉に香がどんなに喜びの気持ちを抱いたか…誰も知らない。

香にはその言葉が誇りだった。

全てだった。

宝物だった。

キラキラ光る、目に見えない、まさにだったのだ。


それが、こんな風に自分を否定する日々に追い込んできていたとは、想像もしていなかった。



「菊菜ちゃん…私、このままで良いんだよね?菊菜ちゃんが正しいんだよね?私…こうするしかないんだよね?」


その時、初めて、菊菜の存在を言い聞かせなければ、菊菜を否定しそうで怖かった。


けれど、このまま菊菜と香はずっとお姫様と召使。

それでも、明日から、今日と変わらない道を歩くのだ。

と思っていた。


しかし、香の知らない場所で三つの想いが動き始めるのだった。





次の日、香が玄関で靴を履き替えていると、

「おっす!葉月!」

と声がした。

しかし、香は返事をしない。

「葉月!」

それでも振り向こうともしない。

「葉月香!!」

「へ?」

三回目の呼びかけで、やっと香が振り向いた。

「あ!は!長谷川さん!お…おはようございます!」

菊菜の迫真の演技に、自分は写真を破られてしまうほど性格も悪くて、そうやって自分を悪者にして、自分の存在を夜与の中から消したつもりでいた香は、二度と聞くことはないと思っていた夜与の声に、反応することが出来なかったのだ。



「なんですぐ答えねぇんだよ。目だけじゃなくて耳も悪いのかよ」

「あ、イエ、私、男子から挨拶されるの高校入って初めてで…気付かなかったと言いますか…解らなかったと言いますか…」

しどろもどろになって言い訳している香を見て、夜与は吹き出した。


「あんた面白いな!じゃあ俺が初めての男友達な!」

「な…っ何を言うんですか!私なんて夜与さんの友達になんてなれません!」

「なんで?」

「え、だって私ですよ?地味で暗くて引っ込み思案でブスで…」

といつも、そこらへんは自分の思ってる自虐発言を次々並べ始めた香に、

「ブスはない!」

「へ?」

「葉月は奇麗だよ。顔も心も」

「へ?」

「『へ?』ばっか言うなよ!昨日、美崎の事かばったろ?写真、破いたのは美崎だろ?階段の下で聴いてたんだよ。本当は誰と誰が喧嘩してるのか分からなかったから、喧嘩が終わって見に行ったら、葉月が落ち込んでてさ」

「それでなんで菊菜ちゃんが破いたって解るんですか?」

「だって、あいつ戻ってきたじゃん。それみりゃ解るだろ、普通」

「それだけは違います!菊菜ちゃんが優しくて、来てくれたんです!それだけは事実です!」

余りの白熱の怒りに、夜与が少し困惑した。


香に、昨日と全く別の反応をとったのは、ここから始めないと先には進めない。

そう、香は思ったからだったのだ。


菊菜と、夜与を結びつける。

そう、決めた。


「ふーん…そうなんだ。美崎ってなんか騒がしいって言うか、派手じゃん?俺、そう言うの苦手なんだよな…俺は葉月の方が断然一緒に居やすいけど…。葉月は美崎といて楽しいの?」


「楽しいなんてそんな言葉じゃ足りません。菊菜ちゃんは私の憧れなんです。それに嘘はありません」


そう、香は菊菜に嫉妬したり、不快感を覚えた事はなかった。

いつも活発で、元気で、明るくて、みんなに愛されてて、男女ともに引っ張っていけるリーダーシップも兼ね備えている、そんな菊菜は香の憧れだった。


写真を破られたのは悲しかったけれど、それは菊菜に認てくれていたことを裏切ったせいだと思っていたし、泣いたのだって、菊菜に近づきたい…そう思っていたのに、一ミリも成長しない自分が許せなかったからだ。


その話を嘘偽りないと解った夜与は、また一つ、香の心の奇麗な所を見つけたのだった。



「夜与、おはよう!」

「あ、菊菜ちゃん」

「ん?香…なんで夜与と話してんの?」

「美崎、んな良い方すんなよ。まずおはようだろ?」

「あ、うん!おはよう、香」

「おはようございます。私、お二人の邪魔なので、もう行きます」

「あ、葉月」

その声は香の耳には届かなかった。

「どうしたの?夜与、香がどうかした?」

「教室行こう!夜与!」

「あ、あぁ…」



菊菜に腕をつかまれ、引っ張られてゆく廊下で、もう見えなくなった、香の小さな後ろ姿にどうしようもなく、惹かれた夜与。

ファイヤーで踊って、時たま吹く風で、香を隠していた仮面が少し割れて、すんごく心に残った。

名前も知りたかった。

何組かも知りたかった。

何が好きで、何が苦手で、得意な教科は?運動神経っていい方?

そんなに考えてしまうほど、夜与はどうしようもなく、本人さえ把握しきれないほど、香を好きになった。



「あ、菊菜、おはよ―…って何?ミスとミスターがもう付き合ってるの?お似合いだもんねー」

教室に入るなり、菊菜の取り巻きの女子の一人が二人をひやかした。

と言うより、菊菜にゴマをすった。


「やっだー!そんなんじゃないよ。下駄箱でたまたま一緒になっただけ。ね?」

「あぁ」

「嘘ー、だって腕組んでんじゃん!」

「あ、それ、マジやめて。美崎」

「え…」

盛り上げのに必死な取り巻きと、菊菜を一瞬で知らけさせるトーンの声で夜与は菊菜の腕を振り解いた。

「あ、ごめん、夜与…」

「あ、それとそれ、下の名前で呼び捨てにすんのもやめてくんない?馴れ馴れしい」

「え?あ…うん、ごめん…」

立場を失う菊菜。その菊菜をかばうように、なんだよ。、夜与、そんな言い方しなくても良いじゃん、菊菜ちゃんは悪気ないんだし、なぁ?」

今度は男の取り巻きが菊菜をかばった。

「お、おう」

「別に。俺、美崎だけそうしてる訳じゃないし。ほかの女子とおんなじに接してるつもりだけど?それが悪いの?」

「そ、そうだよね。ごめんね、長谷川」

菊菜が居心地悪そうな顔をして夜与に謝り、その場はしらけたまま授業が始まってしまった。


菊菜の中で、嫌な予感がした。

朝、夜与が香は親し気に話していたのに、菊菜には容赦なく冷たい。


まさか―…。

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