第3話 香の生徒手帳
戸惑ったのは香だけではなかった。
菊菜は入学式した時からずっと夜与の事が好きだったのだ。
と、言うより、自分に似合うのは夜与しかいない、そう思っているほどの高飛車な菊菜だった。
そんな大事な時に、菊菜が訳の分からない男子と踊っている最中、香が意中の夜与と踊っている…。
これは事故だ。
滅茶苦茶になる前に、手を打たなければ…。
夜与があの香の無敵ぶりを、もし夜与が知ったら…。
そんなサイレンが、菊菜の頭から、香の頭に流れ込んできた。
香はこれ以上はダメだ…と思い、勇気を振り絞って、
「あ、の…私もう良いんで…それでは…」
「ちょっといい?名前、なんての?」
「あ、ミスの子ですよね?美崎菊菜ちゃんです。確か長谷川さんも同じクラスなので、ご存知かと思いましたが、まだご存知なかったんですね…じゃあ」
「アホ!誰が、美崎の聞かないといけないんだよ。お前だよ、なんての?」
その瞬間、二つのファイヤーの輪がすれ違った。
そして、恐ろしいほどの念力で後ろを通り過ぎたのが菊菜だと、香は直感した。
「名乗るほどのものではありません!しっ失礼します!!」
「おい!」
夜与は呼び止めたが、菊菜に精一杯の香は、そんな言葉は聞こえなかった。
急いで菊菜と夜与から離れ、消えるように、まだ後夜祭が続く校庭からいなくなった。
ただでさえ地味で目立たない香なのに、まさか、菊菜の好きな人と踊ってしまった。
地獄だ。
―二日後―
学園祭の片づける時、菊菜は、夜与の傍を離れなかった。
「夜与!これ何処置けばいい?」
「美崎…、なんで突然下の名前呼び捨てにすんだよ…」
計算通りミスの座を手に入れて、そして、密かに確信していた、夜与のミスターも現実となり、後はどう夜与を振り向かせるかどうか…だけじゃない。
後夜祭の時、夜与と香ペアがすれ違った時、たまたま聞こえてきたのが、夜与が香の名前を知りたがった事だった。
夜与は、もしかして香を…。
そんな小さな、けれどとても苦しい…。
菊菜が、お姫様を続けられるのか…心配で、心配で仕方なかった。
「え?悪かった?でも、ほらミスとミスターだし?お似合いじゃない?」
「俺、別にミスだのなんだの興味ないし。美崎、それ、あっちだから。じゃあな」
(チッ)
心の中で、菊菜は舌打ちした。
(ま、焦る事ないか…。どうせ香が夜与に相手にされるはずないんだし)
そう思ったら、七五三の時の写真を思い出した。
(イヤ…イヤないないない!香誰にも見せてないし、あんな臆病な子に夜与を落とせるはずがない!)
二回心を落ち着かせ、菊菜は片づけに戻った。
その時、菊菜は、何より大きな可能性を残したままにしてしまった。
「うっ…重い…」
クラスでも引っ込み思案の香は、クラスみんなの言いなりだった。
まぁ言いなりと言っても、いじめとは言えなくても、キツイ作業を頼むのはなんだか自然と香に役が回ってきていた。
この時も、重いゴミを、運ばされていた。
焼却炉までたどり着く寸前、三年生の男子とぶつかって、荷物をばらまいてしまった。
「あ、ごめん、ごめん」
そう言っただけで、先輩は行ってしまった。
「ん…もう…、あ、メガネ落としちゃった…何処?」
視力が相当悪い香は、必死に探すも、ばらまかれたごみにまみれたキョロキョロしていると、メガネが宙に浮いた。
「あ…ありがとうございま…」
「やっぱあん時の女子だろ、お前」
「はい?」
まだ、メガネを返してもらえてない状況で、良く解らない会話が続く。
「ホイ!」
そう言うと、香にメガネを返した。
そして、メガネをかけた香は、その助けてくれた人が、夜与だと解ると、すぐ夜与との差を一気に離した。
(菊菜ちゃんに殺される!!)
菊菜の好きな人とこんな地味な奴が話すのなんて、菊菜の怒りが爆発する。
子供時代から培われた危機意識だ。
「あ、ありがとうございました!では!」
「一緒に運んでやるから、待て」
「結構です!」
その後、荷物を何とか集めると、ふらふらしながら焼却炉へ向かった。
その時、大事な大事なものを落とした事を知らぬまま…。
夜与は一言でいえば、自分下手な感じの女の子を好きになる傾向があった。
だからか、菊菜は、少し苦手な感じの女子だった。
その時点で、菊菜はスタートダッシュもさせてもらえてない事になっていた。
「あ、あいつ、ゴミはしっかり持ってくのに、生徒手帳落としたままじゃん」
香は、持ってきたゴミを捨て終わり、教室に戻った。
その時、制服の胸ポケットの異変に気付いた。
(あれ?あれ?どこ行った?嘘!落としちゃったのかな?)
香は軽くパニクッた。
「これあいつのだよな?名前…開いてもいいか?でも、なんか大事なもん入ってたら悪ぃしな…」
悩む夜与。
香が落としたのは、生徒手帳だった。
香は、菊菜に対してどうしても、その手帳は他人に開かせることを許されない、パンドラの箱を、その手帳を、拾ったのが、夜与だったのだ。
そしてそして、夜与は、菊菜にたいして、決してしてはならない事をしてしまった。
夜与が教室に戻ってくると、菊菜が笑顔で近づいてきた。
「夜与、もうほとんど終わったよー!もう何してたの?」
「なぁ、美崎、この手帳の持ち主知ってる?美崎顔広いだろ?」
「え、うん。一年生なら大体…なんで?」
「ごみ捨てに行った時、メガネ落とした奴がいて、それ、落としてって…」
「フーン…見せて。…げっ!」
その手長の見開きを見て、菊菜は危うく我を忘れて手帳をひっちゃぶりたくなった。
それに、えげつない菊菜の声に、夜与は少し引いた。
「あ…!ごめん!この手帳がどうかしたの?」
「いや、どんな奴なのかな?って普通に興味?持っただけ。知らない?」
「うん!知ってる!」
「じゃあ、組と名前教えてくれれば俺が返す…」
「それは良いよ!この子知ってるし。あたしが返しておく!!」
そうすると、鞄の中に手帳を押し込んで、素早く持つと、全速力で教室から出て行った。
「何あれ…」
余りに所作が乱れた菊菜を変に思いながら、いつも明るく花がそこに咲くような菊菜が、何だか、一片菊の花びらが、落ち、枯れたようだった。
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