第5話 見えた成果と二つの想い

「ミーティング始めるぞ」

 部活動時間が始まってそうそう、全員を部室に集めた。

「一体何を話すっていうのよ」

「話すというよりかは……まずはこれを読んでもらう」

 颯が取り出したノートは昨日夏芽と共に作成したものだった。表紙部分に名前が書かれており、各部員に一枚ずつ用意されているようだ。

「何ですかこれ?」

「中を見てみたらわかる」

 杏は不思議に思いながらページを捲った。杏は途端に息を呑む。

「これ、私のデータ……!?」

「具体的にはお前らのフォームや守備動作をまとめた。それに伴った課題や、カウントごとの配球の意識も書かれてる」

 フォームの改善点や、守備の足運び。読み打ちの方法や、自分の弱点。それらが図示とともに書かれている。事細かに書かれているようで、読むだけでも半日は掛かりそうだ。

「立川くんって二日しか私達を見てないよね?」

 涼音が尋ねてくる。確かに颯は一昨日の練習と昨日の練習試合しか見ていない。

「それでこれだけの情報量、それも全員分」

「て、適当書いてるに決まってるわ!」

 美恋の疑いももっともかもしれない。

「俺は色んな選手を見てきた。同年代も、大学生や社会人チームもだ。同じチームになったり、対戦したことが多かったからな。だから選手の特性や弱点は数多く見てきたつもりだ。逆に言うなら、二日分でわかったことだけしかそこに書いていない」

 驚愕の波が部員たちに広がっていく。部員の間でノートを見せあい共感し合ったり、既にフォームの検証などを行う者も現れた。ノートの内容を否定的に受け取る者はおらず、むしろ新しい道具でも得たかのように喜びあっている。

 杏が緊張の面持ちで手を挙げた。

「な、何でこんなことをしてくれたんですか……? 私達に教える気は無いって……」

 部室がしんと静まり返った。今までの姿勢や、試合中黙り込んでいた颯からは考えられないような行為だった。

「……俺は気づいて欲しかっただけだ。相手が社会人だって知ったら、お前たちはすぐに勝てないと踏んだ。確かに体力も体格差も違うし、実際にお前たちは大敗した。だが初めから諦めるような姿勢は、自分たちの強さを信じていないという裏返しだ。だから俺は、お前たちに強さを気づかせたかった」

「強さを……」

「そのノートは言うならお前たちの鏡写しだ。己を知る術にして貰えればいい」

 颯は美恋に視線を写した。

「当然、ノートを無理に読まなくていい。それは個人の自由だ」

「……ふん」

 再び部室が活気づき始める。自分たちへの新たな見方が、可能性を感じ高揚をもたらしているのだ。

「ところで、夏芽からもお前たちに話があるようだ」

「え……!?」

 唐突な指名に夏芽は目を丸くした。

「……しっかりと、本音を言うんだ」

 耳打ちをする颯は、夏芽に位置を譲る。夏芽が皆の前に立って、夏芽の言葉が待たれていた。

 伏せていた夏芽の顔がおそるおそる上がる。皆の視線が夏芽を見ている。そのことに気づくと、夏芽はより、口を横に結んだ。

 震えた手で制服を握る。言葉を出そうとする度に、臆病な自分が口を塞いだ。

 夏芽にとっては永遠とも感じる静寂が流れて、見かねた颯は喋りだす。

「勝負の話にたらればは禁物だが……昨日の試合を振り返って考えた。エラーやもう一歩で届かなかったプレー、もう少しで得点だったプレーを踏まえて点数を計算してみた。結果は、4対5だ」

「……それって」

「ああ、勝ってるんだよ。お前たちは間違いなく強いチームだ。例えば脚の速い杏はランナーになれば掻き回せる上にその守備範囲も魅力的だ。美恋は積極的に振っていけばもっとヒットを打てる。涼音はあっさりとバットを振らなければ長打の期待はさらにできるだろう。そして――」

 颯は夏芽を指差した。

「優れたエースだ。カットボールは空振りをさせる変化球じゃない。あくまでバットの芯を外すのが目的だ。だから凡打が多く、守備機会が増える。エラーを無くせばアウトはしっかりと取れるはずだ。夏芽、お前の実力は確かなものなんだ。だから……自分をもっと信じろ。お前はエースとして役割を果たしている」

 夏芽は瞳を震わせた。そして皆を見る。もう目は逸らさない。深呼吸をして、息を整える。しっかりと芯を持って立ち、口を開いた。

「私の……我儘に付き合って欲しい。野球部を廃部にしたくないの」

「夏芽……」

「昔話をするとね。小さい頃私はガキ大将みたいな感じだったの。何人かで集まって街中を走ってた。その一番最後をついてくる子が居たんだけどね。その男の子は運動はあんまり得意じゃなくて、人の陰に隠れるような子だった。でもその子が野球をやってるって聞いて、マウンドに立っている姿を見に行った。私はその時――凄い感動したの。あんなに小さくて臆病だったのに、マウンドで力強く投げる姿を見て、純粋に憧れた」

 小さい体を必死に動かして、流れる汗を気にもせず、球を投げ込んでいく。

 夏芽の心に、鮮やかなインクが落とされるようだった。

「それから野球を好きになって――私の人生は間違いなく変わった。この野球部が続いていって、試合を見てそんな風に経験ができる子が少しでも居たら、いいなって思う。それが私が野球部を廃部にさせたくない理由」

 自分の世代やチームだけじゃなく、夏芽はこれからの人達に繋げていきたかった。

「陳腐な理由って思うかもしれない。私みたいに頼りない奴が何を言ってるんだって思うかもしれない。でも、本心なの。どうか私と……一生懸命野球をして下さい」

 夏芽は皆の前で頭を下げた。目を瞑って静寂を堪える。次第に上がっていく声は否定なんかじゃなく、夏芽の想いに賛同する声だった。

「ようやく言ったね~」

「任せて下さい!」

「みんな……!」

 夏芽が颯の方へ振り向いた。安堵したような顔で、涙が決壊しかけていた。

「俺の言った通りだろ。誰も否定なんか――」

「待って」

 美恋が部室の中の声を遮る。

「夏芽の言いたいことはわかったわ。でも私はソイツが必要だとは思えない」

「ソイツって、颯のこと……?」

 美恋が頷いて、颯の方を睨みつける。

「前にも言ったけど、ソイツは自分の部を廃部に追いやっているのよ。このノートに書かれたことだって、鵜呑みにすれば身を滅ぼすだけかもしれないわ」

 それに、と美恋は続ける。

「私、知ってるのよ。どうして急にソイツがうちにやってきたのか。それは、ソイツが夏芽のことを好きだからよ」

「なっ……」

「ええっ」

 夏芽と颯が驚くと同時に、他の部員も美恋の言葉に反応していく。

「な、何を根拠に」

「見たらわかるじゃない。一緒に帰ったり、他の部員とは夏芽の扱いが違ったり。とても普通とは思えないわ」

「た、確かに」

「夏芽をかなり信頼してるみたいだしねー」

「ちょ、ちょっと、杏! スズまで何言ってるの!」

 夏芽が否定しようとはするが、部員たちはざわめきだしてもう収拾がつかない。

「ソイツは夏芽に近づきたいがために、この部を利用しているだけなの」

「わ、私が颯を連れてきたんだよ」

「あら、それは颯にとっては好都合だったわね」

 どうやら何を言おうとも、美恋が自分勝手に解釈をする。いや、ただの暴論だとはわかっていても、自分の発言が部にとって影響があることを知っていて、あえて滅茶苦茶を言ってるのだろう。美恋の努力や実績は全員が把握しているため、部員の美恋への信頼は厚い。夏芽が部を目立って先導をしてこなかったため、部を引っ張るのは美恋の役割のようになっていた。

 だからこそ美恋の発言を、部員は浅慮に呑み込んでしまう傾向にあった。

「言いたいことはそれだけか?」

「はぁ?」

「お前が俺を拒む理由は何となくわかるが……俺もお前をそろそろ否定しよう」

「……何ですって」

「お前の発言は、部の団結に水を差す行為だ。俺を否定したいがためにそんな行為を繰り返されるようなら、堪ったもんじゃないからな。――正々堂々と勝負しようぜ。お前も同じスポーツマンで野球選手なら、グラウンドで俺を否定して見せろ」

「私のバッティング技術を見てそんなセリフが吐けるとはね。いい度胸じゃない。いい? あんたが負けたらここを出ていって」

 頭でも突き合わせるかという距離で、二人は啀み合う。まとまりかけた部の中で、一つの亀裂が入ってしまった。


 一時間後に、颯と美恋の対決が行われることとなった。颯が投手、美恋がバッターとなる。

 美恋はフリーバッティング。グラウンドの端では颯が肩を慣らしていた。

 颯に夏芽が駆け寄る。

「は、颯。流石に女子と勝負するのは……」

「球は触っていても、半年以上マウンドに立ってない。そのブランクでアイツを簡単に打ち取れるとは思えない。それに、アイツも勝てると踏んでいるらしいからな」

 美恋は社会人と対戦すると知った時気が沈んでいたが、颯との対決はまるでそのような様子がなかった。むしろ今バットを振る美恋の目には闘志が宿っている。

「負けるかもしれない、ってこと……?」

「それはアイツ次第だが」

 颯はバットを振り続ける美恋を見た。

「あの様子なら問題ないだろう」

「……そう」

「あとお前はこの騒動が収まるまでは俺に近づかない方がいい」

 颯に話しかける夏芽に部員たちの懐疑的な目が向けられている。美恋が言う疑惑を、真実なのかと測りかねているのだろう

「……もしかして怒ってるの? 私が巻き込まれたから」

 夏芽の言葉に、球が不自然な方へ飛んでいってしまう。

「……そうだな。俺の過去を否定するのも、指導を信用できないのも別にいい。だが、美恋自身の皮算用にお前を巻き込んだ。仲間を傷つける行為も腹が立つが、何より――その行為を続ければ去年の俺と同じことになりかねない」

「颯……」

「わかったら行け」

 夏芽は頷いて、部員たちの方へ踵を返した。

「あ、あと」

 颯が一言を添える。

「俺はお前を……好きなんかじゃないからな」

 夏芽は自分の胸が少し痛むのを感じた。開いた口の口角を何とか上げて応える。

「わかってるよ」

 颯から足早に夏芽は離れていった。 


 美恋は力半分にスイングをする。長打こそは少ないが、球はほぼほぼ真芯で捉えられていた。自分は好調だと笑みが溢れた。

「いい感じだねぇ」

 球を投げる涼音が言う。

「でも相手は実戦から離れてるとはいえ、全国級のピッチャーだよ。渡してくれたノートは読むべきなんじゃない」

「いらないわよ」

 涼音が杏に目配せをすると、一瞬の内に杏が美恋のノートを持ってきた。

「えー、『相手が勝負せざるを得ない展開に持っていく。ただし――』」

「読まなくていいわよ!」

「本当に意地を張るねぇ」

 涼音は美恋の反応を見て楽しんでいる。

「美恋が部を守りたいから立川くんを突っ張るのはわかるけど」

「何わかった気になってるのよ」

 涼音は、颯の指導でもしも去年の男子野球部のようになってしまうのが怖くて、部を大事に思う美恋が颯を拒絶しているのは理解していた。

「でもそれだけかな。もっと理由があるんじゃない?」

「……別にないわよ」

 力が入ったのか、振り抜かれた球は大きな軌道を描いて飛んでいった。

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Replay ball 荒海雫 @arakai

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