第2話 罠


 わたしが彼女と初めて会ったのは高校生になったばかりの夏だった。

 あまりの暑さに蝉すら鳴くのを休んでいるくらいの日で。


 遊びにも行かずに店を手伝っていたわたしは何気なく外を見て、店の前の駐車場に座っている彼女に気づいた。


 マーキングされたら匂いが取れないから困るなぁとため息をつき。

 店の入り口に近づく前に追い払ってしまおうって戸を開けようとした時、ガリガリに痩せた体を捻って背中をぺろぺろと舐め始めた。


 その動きに合わせてなにかが揺れている。


 なんだろう?って目を凝らして初めてそれがナイロン製の紐であること。

 そしてそれが彼女の腰の辺りをグルリと締め上げていることに血の気が引いた。


 なに、あれ。


 理解ができなくて。

 違う。

 理解したくなくてわたしの思考は止まった。


 そして見られている気配を感じたのかこっちを向いた彼女の目は目ヤニで半分が閉じ三角の顔をしていていかにも野良猫然としていた。

 毛並みもぼさぼさで警戒心剥き出しの猫はぱっと立ち上がるとそそくさと退散していく。


 歩くたびにぴょこんと飛び出た二十センチほどの紐がゆらゆらと揺れて。

 それを見送りながらこれはなんとかしなくちゃってわたしは決心ちゃったんだよね。


 まずわたしがしたことは彼女を探し回り、見つけた時には冷蔵庫から持ち出したウィンナーを手に餌付けして親睦を深めること。

 車の下や物陰に身を低くしている彼女の傍にちぎったウィンナーを投げること数回。

 少しずつ近づいてきてくれるようになった――とはいっても車や物陰から出てくるようになったくらいだけど――彼女の様子を観察すると、そのナイロンの紐は思っていたよりも太くてテニスのラケットに張られているような感じの固くて強いやつだということが分かった。


 そしてそれは思った以上に食い込んで傷になっていることも。


 これは個人でなんとなるものじゃない。

 だからわたしは動物病院に駆け込んだ。


 そこは祖母の犬がお世話になっている病院で、注射やフィラリアの薬をもらいにわたしが代わりに連れて行っていることもあって先生とは顔見知りだったから相談もしやすかった。


「ケージを貸してあげるから捕まえられたら連れておいで。野良猫の避妊手術も県の補助金で無料でできるからその時に一緒にしてもいいし」


 わたしはお礼を言ってケージを手に店へと戻った。


 ケージのドアに長い紐をつけて中の餌を食べに入ったところを引いて閉じ込める。

 そんなに上手くいきっこないって思いつつ、でもはやくナイロンの紐を取ってあげたくて祈るよう待つ。


 失敗したら怖がって中に入ってくれなくなるだろうからチャンスは二回ほど。だからこっちはピリピリする。

 それを敏感に感じ取って彼女もビクビク。


 初日は無理だった。

 そりゃそうだ。


 これは長引きそうだなって覚悟した翌日。

 直撃はないものの台風の影響で風が時々強く吹く。

 罠を仕掛けているとたまたま通りかかった友だちが「なにしてんの?」とびっくりして近づいてきたので説明した。

 そのままなんとなく彼氏の愚痴を聞かされて励ましているうちに「あ!ネコ入ってるよ!?」と友人が声を上げ振り返ったら、彼女が右の後ろ足だけを残して全部入っていた。


 わたしはその時すごい形相をしていたと思う。


 紐に駆け寄りぐいっと引っ張ったわたしと急に入り口が閉まってパニックを起こした彼女。

 友人に礼を言って別れ動物病院に連絡をし、病院には母が車で連れて行ってくれた。


 先生に「あと数日遅かったら手遅れでしたよ」と言われて脱力するくらいほっとした後。


 彼女が妊娠していたこと。

 動けば動くほど締まっていく特殊な結び方をされていたこと。

 避妊手術と共に堕胎したこと。


 それを聞かされて命が助かったからよかったじゃないか。なんて単純に喜べるほどわたしは彼女に軽い感情では向き合えないくらいには他人事ではなくなっていたんだよね。


 そして猫にそんなひどいことをする人間が近くにいるかもしれないと思うと。


 とても怖くなった。


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