第56話・深淵からの挑戦・オーバーすぎたテクノロジー
サテライトワンのパイロットたちは、動揺を隠せない。
衛星軌道上を周回している未知の存在『ブラックナイト衛星』。その至近距離まで到達して観測を開始したのはよかったが、モニターに表示されている観測データを見て、頭を捻るしかない。
「ミスター劉、これは厄介な代物です」
「そうだよなぁ。目の前にあるのに存在しない。でも、触れることはできるんだろう?」
──ガチッ
宇宙空間だからか音はしない。
サテライトワンがゆっくりとブラックナイトに近寄り、アームを伸ばして表面に触れる。
目視データによるとブラックナイト衛星の大きさは全長15mから435m。質量比などは観測不能であり、今、目の前に存在するのは20mほどの黒い幅の太い黒曜石のナイフのような形状である。
「サテライトさんや、寸法計測値が変動するのはどうしてだ?」
『この衛星らしき存在は、この場に見えてここに存在していません。目に見える位相空間の存在、そうお考えください』
「位相空間ってことは、アマノムラクモの次元潜航でいけるってことだよな?」
『いえ、位相空間とは多元にわたり存在します。そのため、次元潜航を行なっても、同位空間に出ることはまずありえないことの方が多いのです」
「なるほどなぁ。厄介な代物だということは理解したよ。それと、この波長はブラックナイト衛星が出しているものなのか?」
劉がモニターに映っている未知の波長を指さす。
位相空間にあって、外に向けて放出されている波長。これがなんなのか、劉にも見当もつかない。
「そのようです。全くもって理解不能ですね」
劉の横でサテライトワンを操るサーバントの華佗が、頭を傾けながら呟く。
位相空間を越えることができる電波など存在せず、アマノムラクモにある波長のサンプルと照らし合わせても、該当するものは一つしかない。
人の発する脳波の中の一つが、時間も空間も超えるというデータはあるものの、それは理論値であり現実的に存在する例は一つしかない。
ミサキが、次元潜航したアマノムラクモから外に発する命令以外は、この例は存在しないと思われている。
ゆえに、ミサキ以外がこのようなものを発しているのが、サーバントには理解できないのである。
「データは録音もしくは保存できるのか?」
「すでに行なっています。一定の時間で頭に戻る、歌のような波長です。保存完了後に、アマノムラクモに、帰還します」
「了解。しっかし、中国にいた時は、こんな超接近なんて考えられなかったわ」
「あなたはアマノムラクモの国民です。ミサキさまの臣下であります」
「わかっていますよ。でも、これからもっと増えるぞ」
「そうなのですか?」
「ああ。日本のクルーも何人か検討しているらしいからな」
そう話しているうちに保存は完了、サテライトワンはゆっくりと大気圏に突入すると、アマノムラクモへ帰還した。
………
……
…
「ふぅ。今日は日本人が三人か。ヒルデガルド、審査結果は?」
「マイロード、特段問題はありませんわ。彼らも宇宙開発研究所登録の研究員として迎え入れることができます」
今朝方、日本人クルーを担当していたサーバントから、亡命希望リストが手渡された。
及川祐希
神田川涼
羽田野純一
女性一人と男性二人、これが今回の亡命希望者だ。
うちとしても問題はないし、アマノムラクモのオーバースペックな観測システムで研究したいというのは、彼らにとっても夢なのだろう。
現に、劉くんは今日、サテライトワンで衛星軌道上で調査活動を行なっている。
『ピッ……宇宙を観測するために、衛星軌道上に監視衛星を配置することをお勧めします』
「宇宙法遵守していないから、無理じゃね? それに、わざわざ打ち上げなくても、サテライトワンならすぐに移動できるし。サテライトワンを量産して衛星軌道上に待機してもらってさ、定期的に交代してもらうのはあり?」
『ピッ……可能です。手配します』
「宜しく。さてと、このリストの亡命は受け入れる、すぐに国民カードを発行して、住居も移ってもらってくれるか?」
「了解です。第一層の住宅街でよろしいのですね?」
「ああ。教育用サーバントの……左慈にアマノムラクモのルールを教えるように伝えておいて」
「御意」
すぐにヒルデガルドが動く。
これでアマノムラクモの国民は五人と大勢。
まあ、ほとんどサーバントだけどさ、ある程度の自立思考で生活しているサーバントだから、国民だよね?
「この件はこれでおしまい。さてと
次はどうするか……」
やることが多すぎる、のんびりしたくてもなかなかそうもいかないのは如何してなんだろうか。
………
……
…
「全く……JAXAに報告する俺の立場を理解しているのか?」
「……くっそう、俺も独身だったら」
「告白に失敗したら、俺もアマノムラクモに亡命するかな」
日本中継船居残り組の飯田、立花、大野の三人は、観光区画の自室で荷物を纏めていた羽田野たちにぼやいている。
まさか亡命希望書類があっさりと受理されるとは思っておらず、このあとの日本政府への報告をどうするか頭を悩ませていた。
これで全員が亡命するというのなら、アマノムラクモで回収した降下船を持っての亡命となるため、日本政府としても黙ってはいないだろう。
だが、今回は優秀なアストロノーツを三人も失った。
JAXAの責任追求待ったなしというところであろう。
「まあ、日本に未練がないわけではないですけど。ミサキさま曰く、日本とも国交を結んだら、観光で遊びにいけるからあまり気にしなくていいって言われましたよ」
「パスポートが取れるかどうかは分かりませんが、左慈さんがいうには、アマノムラクモの国民IDカードでなんでもできるようにするっていってました」
「この一枚で、クレジットカードにも保険証にもなるんですよ? しかもミスリル銀の身分証明カードで、本人以外は使えないそうですから」
そんな便利なものを、軽々しく国民に発行する。
いや、国民にしか発行していないのだろう。
「今は国民が少ないから、盗難の心配はないのだろうが。もしも盗まれたらどうする?」
「あ、これ、盗難防止対策されているらしいですよ。登録者から一定の距離が離れると、ただのミスリルの板になるそうです」
「それで、登録者がもう一度触れると、機能が再開するって。錬金術でなんとかしたって話していましたね」
魔力反応型保護システム。
ミサキは、そう説明していた。
本人の魔力にのみ反応してカードをデータ化するシステムで、一定距離が離れると保護システムが作動してデータが消滅する。
本人がカードに触れ直すと、再び魔力反応でデータが再生するという便利グッズを超えたカードである。
「……そういう技術こそ、日本に持って帰って……いや、もういい。それで、引越した後は、俺たちの手伝いはできなくなるのか?」
「いえ、ミサキさま曰く、それは構わないって。ただ、研究施設で結果を残さないと、カードの限度額が削られるそうです」
「……海外に行くときに現金は必要だろうが」
「あ、アマノムラクモ内の専用キャッシュディスペンサーで引き出しもできますよ。今はドルと元しか無理だそうですけど」
「限度額は一日一万ドルまでだそうですが、ここじゃ使い道がないから無視してます」
聞けば聞くほど緩いシステム。
国民を甘やかしていると思えばそれまでだが、そもそも成果を上げないと限度額が下がる。
しかも、国民になるための審査もあるので、『与えていい対象を吟味して』渡しているのだと飯田たちは理解した。
「さて、それじゃあ荷物を置いてきたら探索を再開しますか」
「まだ、何もわかっていないに等しいですからね。ワクワクしますよ」
「私は明日、衛星軌道上までいって月の観測です」
聞けば聞くほど頭が痛くなる。
日本がここに至るまでの苦労を、目の前の三人は一瞬で手に入れることができたのだから。
「こりゃあ、まともに報告すると第二、第三の亡命者がでそうだよなぁ」
「いや、無理でしょ? ここにくること、もしくはアマノムラクモ関係者との接触が、亡命条件らしいですから」
「この太平洋の、航路から離れた場所に単独でか? それは無理だろう」
亡命難易度の高さが、国民の流出を防ぐ壁になってくれて、一同はホッと胸を撫で下ろしていた。
◯ ◯ ◯ ◯ ◯
月面から射出された、重量4600トンの巨大な槍。
これが重力落下速度で地表に突き刺さったとしたら、一体どうなるか。
まず、簡単な例としてあげるなら、札幌市の中央区は消滅する恐れがある。
また、その時の衝撃波、噴き上げられた塵により太陽光が遮断され、気候変動が起きる。
進入角度や大気との摩擦熱による質量の減少など、幾つもの要因によって破壊力は変動するが、少なくとも落下地点から直径三キロメートルは確実に消滅するだろう。
そして、過去に起こった、最も近いケースとしては、1908年に起きた隕石の衝突。直径40メートル級の隕石が、ロシア・のツングースカ上空で爆発し、最大規模の天体衝突を引き起こしている。
この時の爆風の破壊力は凄まじく、周囲2000平方キロメートルにわたり森林の樹木がなぎ倒された。
この衝撃が発生するならば、先の札幌をケースに出したパターンなどは子供騙しのようなものである。
ちなみに、槍の速度は時速100km。
地球到達までの時間は、おおよそ3844時間である。
地球時間で160日後にやってくる破壊兵器の存在は、NASAを始め世界中の天文台で観測された。
………
……
…
「落下位置のシミュレーションは?」
「予測不可避な事態を想定しても、アジアのどこかということしかまだわかりません」
「アメリカには来ないか……いや、安心はしていられないな、少なくとも気候変動の余波は必ずあるはずだ。仮称『月の槍』が地球に到達する前に、なんとしても月の槍を破壊するか軌道を変えないとならない」
「観測衛星からのデータでは不十分です。各国に協力を仰ぎますか?」
「各国の宇宙開発関連施設に連絡‼︎ 可能な限りの対抗策を提示してもらえ‼︎」
NASA責任者の檄が飛ぶ。
同時刻、アメリカ国防総省からも緊急事態宣言が発令された。
………
……
…
中国、中国国家航天局。
北京にある北京航天飛行制御センター研究施設では、戻ってきたばかりの中継船乗組員たちが報告を終え、研究施設で体を休めている。
「あの二人は、うまいことやったよなぁ」
「そうだな。まあ、色々と上でも動いていたんだろうから、そのことについて俺たちがどうこういうことはないよ」
「帰ってきたのは全員、家族がいるからなぁ」
もしも身軽であったら、自分もアマノムラクモに残っていた可能性があるというのだろう。
まあ、全ては結果であり、過ぎてしまった現実ゆえに仮説はもう通用しない。
──ピーッ、ピーッ
すると、緊急呼び出しコールが室内に響く。
『帰還したアストロノーツは、すぐに管制塔へ、繰り返します、帰還したアストロノーツは、すぐに管制塔へ』
突然の呼びだしに、一同、急いで管制塔へと向かう。
そこは緊張に包まれており、全員が固唾を飲んで正面モニターを見ている。
「何があったのですか?」
「月軌道上にある月観測衛星『嫦娥一号、二号』が消失した。そしてNASAからの緊急連絡と、衛星軌道上の宇宙観測衛星『皇天三号』が、月から射出された未確認物体を観測した」
「時速100kmで地球に向かって飛行中、160日後には大気圏に突入し、地表に激突すると予測されるのだ。お前たち、あれに何か見覚えがないか?」
そう問われても、まだ帰還したばかりで持ち帰ったデータの解析も終わっていない。
「いえ、わかりません。降下予測地点は何処なのですか?」
「NASAはアジアのどこかと説明しているが、現時点で算出されたデータをもとに解析すると、我が国のどこか、という結論に達している」
「対抗策は? いまから宇宙船を打ち上げて迎撃するのですか?」
「そのような設備はない。そもそも、宇宙空間に迎撃用ミサイルを打ち出すことなど不可能に近い。出来るだけ地球から遠くで、ほんのわずかでも軌道を変えるしか方法がない」
衛星軌道上に対隕石用迎撃ミサイルでもあったなら、素早く対応ができていただろう。
だが、それは宇宙法により禁止されており、兵器を宇宙に備え付けることなど表向きはできないことになっている。
「なぜ我が国なのか。いや、単なる偶然なのだろうが」
悲痛な顔で呟く司令官。
その管制塔から少し離れた研究施設のある部屋では、月から回収された未知のプレートが、静かに微弱な通信を送っていた。
監視カメラでも、電磁波観測装置にも反応しない通信。
月の槍は、その通信を頼りにゆっくりと軌道を修正しつつ、地球に向かって進んでいた。
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