第33話 敗北

 ここまで話を聞いて情人でいられる人間なんていやしない。

 それは私とて同じことだった。

 小学生の頃に出会い、中学時代からの大親友だと思っていた翔和に私は……私の家族は……私の人生は狂わされた。

 もちろん、原因が私の父であることは分かる。

 でも、この酷い仕打ちを私が許せるほど、心優しいものではない。


「あんたねぇっ!!」


 私は椅子を蹴って、直径5mほどあるテーブルを飛び越える。

 ルールでは、現実世界で生きている人間を傷つけるなどの干渉をしてはならない。

 それは分かっていた。

 でも、私はそれを破ってしまうほど、今、心は穏やかではなかった。

 ただただ、許せなかった。


「私を殺すというの!?」


 翔和がそう叫ぶと同時に、私の目の前にはヒュノプスが現れる。

 ダメ! 止まれない!

 私は勢いを殺すことができず、ヒュノプスを壁のように蹴って、後退する。


「あれ? ボクを殴ったりしないの?」

「私はね、その女に一発殴らせてほしいだけよ」

「どうして?」

「はぁ? さっきの話を聞いていたでしょ?」

「うん。聞いていたよ」

「じゃあ、私の怒りは理解できるかしら?」

「もちろん、理解できるよ」

「じゃあ――――」

「―――でも、翔和ちゃんの気持ちも理解できるよ」

「ええっ!?」

「だって、すべての原因は二人の父親が起こしたことなんだからさ。同じ血を受け継いでいる同士、不毛な戦いを止めてしまったほうが良いとボクは思うよ」


 ヒュノプスは私に、優しい口調で諭すように話してくる。

 込み上げてきた怒りを押さえつけようとしているのは、目に見えている。

 ただ、私の怒りはその程度で収まるわけがない。

 そもそも美鼓姉さんは違うと翔和は言っているけれど、そんなことを信用することはできない。

 何しろ、美鼓姉さんの病気は、不治の病と言われていたけれど、私の考えでは不治の病ではなく、未知の病だったのではないか、と。

 それに今思えば、美鼓姉さんの身体にうっすらと出ていた黒い紋様の様なものは、タナトスの胸にあったのを見た記憶がある。

 とすれば、美鼓姉さんの病気は、夜蜘蛛の呪いとも思える。

 それを苦にタナトスに協力してもらって他界した。

 直接、翔和がやったわけではないとしても、これは翔和が殺したも同然だ。

 私としては、当然ながら納得できるはずもない。

 私は再び、翔和に向かって走り出す。

 ヒュノプスが無表情で私の方に近づいてくる。

 もちろん、それは承知の上だ。

 私は左手を広げて、翔和の方に突き出す。

 浮遊霊の類が翔和の近くに何体も現れる。


「ひぃっ!? な、何なのよ、これ!!」


 そう。私はこれを狙っていた。

 私はもとより翔和を殺す気なんて、これっぽっちも持っていなかった。

 もちろん、一発殴らせてくれるなら、殴らせてほしいとは思っていたけれど……。

 とにかく、私としては翔和に私を殺した罰を受けて欲しかった。

 恐怖という名の罰を―――。

 ヒュノプスは、人差し指を浮遊霊に向けて一閃する。

 浮遊霊の魂が、すべて回収されて、ヒュノプスのもとに集まってくる。

 ほえぇ~、死神ってすげぇ……。

 今までタナトスと一緒にいてたけれど、こういうのは見せてもらってないから、魂が集まってくるとか本当に凄い。


「……美琴ちゃん、君は少々厄介だね!」

「ええ、だって憎悪の念が凄いんですから!」


 今度は右手を翔和に突き出す。

 さらに溢れ出てくる浮遊霊。

 再び、ヒュノプスの人差し指が一閃することで、それらは悲鳴にも似た叫びを上げつつ消える。

 私はその瞬間に、翔和の間近に接近して、一発殴ろうとする。

 すると、今度はヒュノプスがデコピンのように指を弾く。

 私には何をしたいのか分からなかった、が、その答えはすぐに私に届いた。

 バヂンッ!!!

 空気の塊が私の脇腹を弾いてきたのだ。


「……ぐぅうっ!?」


 痛い。本当に痛い。

 アイツ、わざと痛みの大きい脇腹を狙ってきやがった。

 私はそのまま勢いを殺せずに、翔和から引き離されるように転がされる。


「……本当、もう少しレディに対して優しく接してくれてもいいんじゃないの?」

「ふっ。美琴ちゃん、それって言ってる意味わかってる? 今、君が翔和ちゃんを攻撃しているからボクとしては使役者を守ることに必死なんだよ? それなのに、手加減しろとか……。それに手加減は今もしてるって。その身体、君のモノじゃないんだろうから、扱いにくそうだし……」


 ははぁ~ん。どうやら私の身体がすでに霊体ではないことを見抜いているらしい。

 まあ、私の身体は実際は淫夢魔の美夢のものを依り代にしているから、そもそも霊体などという脆いものではない。


「とにかく、君は翔和ちゃんに対して、何がしたいの? 殴りたいの?」

「うん! 殴りたい!」

「何言ってるの!? 美琴、バカなんじゃないの!?」

「はぁ? こちとら、私も含めて家族もろとも殺されてるんだから、その罪滅ぼしに一発ぐらい殴らせてくれてもいいじゃない」

「意味が分からないわ! とにかく、ヒュノプスは私を守ってよ!」

「はいは~い。翔和ちゃんのお願いだからねぇ~」


 軽い口調でにこやかに反応するヒュノプスが私の方を見直す。


「美琴ちゃんはちょっとおイタが過ぎたようだね。使役者からの命令だから、許してね」

「私は別に翔和を殺そうなんてしてないわよ。ただ、殴りたいだけ」

「うーん。それも嘘だよね?」


 ヒュノプスは私の方に足音一つ立てずに歩いて近づいてくる。


「君さぁ、翔和ちゃんを怯えさせたいんでしょ。そして、精神的に追い込みたいって感じかな」


 あ、バレてんだ。

 そう。私がやろうとしていたことは、翔和を殺すことでも、殴ることでもない。

 精神的に傷つけていくということだ。

 そのために浮遊霊なども呼び起こして、襲撃させた。


「やっぱり君は面白いね。ねえ、もっと浮遊霊出せる? 結構な数を呼び出したし、わざわざ移動するときも霊力を消耗して素早く動いていたでしょ? なかなか面白い芸当を身に着けているね。でもさぁ、もうあまり霊力ないんじゃないの?」


 ヒュノプスは笑顔で私にそう言ってくる。

 言われた通り、私の霊力はもうそろそろ底を尽きかけている。

 とはいえ、身体が消えようとしないのは、美夢のおかげなんだろう。


「私はまだやれるけど?」

「そう。じゃあ、受け止めるよ」


 ヒュノプスがそう言い終わろうとした瞬間に、私は霊力を使った渾身の一歩を踏み込んでいた。

 普通ではありえない瞬足で、翔和との距離を縮め、右手に宿した禍々しいまでの怨霊を叩き込もうとする。

 翔和は気づいたときには私が目の前にいて、悲鳴を上げる余裕すらない。

 これでおしまい!

 と、思った刹那。

 再度、私の脇腹に鈍くかつ激しい痛みが襲う!


「んなぁっ!?」


 私がそちらに目をやると、そこにはヒュノプスが私の脇腹に直接拳を入れていた。

 ヒュノプスもとんでもない速さで私の真横に近づき、私が翔和に怨霊を叩きつける瞬間に、一発叩き込んでいたのである。


「んがぁぁぁぁぁぁぁ………」


 私はそのまま横に弾き飛ばされ、床に伏せる。

 ダメだ。霊力も使い果たして、脇腹の一発が思った以上にダメージが大きい。

 霊力がすべてそちらの治療の方に持っていかれていて、動くことすらできない。

 何より、何度も霊力の助けを使って走ったり飛んだ足は、筋肉が極度の緊張状態を起こしていて、痙攣して使い物にもならない。

 私は涙目になりながら、顔を上げる。

 そこにはヒュノプスが私を見下ろしている。


「やっぱり君って凄いねぇ……。感心しちゃった。消すには本当に惜しい存在だよ……」


 ヒュノプスは私の身体を抱き起こす。

 

「ねえ、翔和ちゃん。美琴ちゃんってボクの好きにしてもいいかな?」

「構わないわよ。できれば私と会えないようにしてほしいけれど……」

「うーん。できるかなぁ……。まあ、ちょっとその前に面白いゲームをしたいと思うから、この子、もらうね」


 私が話せないからって、好き勝手言っちゃって……。

 とにかく、ヒュノプスとは目を合わせないようにすることだ。

 タナトスからそう教わった。この死神は昏睡状態で成仏させる、と。


「痛みに耐えつつ、ボクの瞳と視線を交錯させようとしないでおく頑張りは認めてあげるよ。でもね………」


 ヒュノプスは私の顎を左手で掴み、無理やり目線を合わせてくる。

 ヒュノプスの蒼い瞳が紅蓮のものに変化し、私の瞳を直接、貫かれたような感覚が走る。


「……あ……あぁあぁぁぁ………」

「抗っても無駄だよ。もうすぐ、君は閉じ込められる。ボクの紅蓮の瞳と交わったんだからね……」


 私はプツンと意識を無理やりシャットダウンさせられたように、意識が飛び、真っ暗な闇に覆われた。




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