第15話 悪夢

 私がふと気づくとそこは実体のない世界だった。

 だって、自分の手が、腕が、身体そのものがふんわりとした何とも感覚の宿らぬ状態になっていたのだから。


 そっか……。ここは夢か何かの世界かしら……。


 私はいち早く、そう理解する。

 もう、小学3年生のころから、こういう変わった世界観は慣れてしまった。

 別に私は美琴と違って、ファンタジー小説の世界観を願ってやまないわけではない。

 むしろ、そういう小説は美琴と出会って初めて目に触れるようになった。

 家で読む本と言えば、「各界の偉人の伝記」とか「日本の歴史」といったタイプのものばかりで、あのような書物に出会うことはなかった。

 とはいえ、私にとってはこういった世界観は、本を読むより前から……、小学3年生のころから形成されていた。


「だって、と出会ったのもその頃だものね……」


 私、神林翔和にとって、恐ろしき守護霊との出会いは、小学3年生のころに遡ることになる。




 私は生まれたときから、身体の弱い母と一緒に家にいることが多かった。

 幼稚園には行っていたものの、人づきあいがそれほど得意ではなく、また物心ついたころには、病弱な母がいつ死んでしまうのかと不安になり、一緒にいてることが当たり前になっていたのだ。

 父は仕事熱心な人で、病弱な母を家に置いたまま週に2~3日しか帰ってこなかった。

 だが、母はそれに対して、文句を言うこともなく、私を育ててくれた。

 養育費は十分なほどに父から受け取っていたらしく、私と母は何不自由なく生活をすることができた。

 唯一問題になったのは、食材の買い出しとか外に出なくてはならないことだった。

 まだ、幼い私には買い物をするための外出が難しく、母も病弱で体調の良いときにしか買い出しには行けなかった。

 近所に住む母の姉にお願いすることが多く、母も申し訳なさそうにしていた。

 私が小学生になると、母の姉は私を連れて、近所のスーパーなどによく連れて行ってくれた。

 店の人や商店街の人たちに顔を覚えてもらうことで、買い物に行けるようにするためだった。

 私はそのうち、一人で買い物にも行けるようになり、母もすごく褒めてくれて、母と二人で仲良く暮らしていた。

 しかし、私が小学2年生のころに悲劇が起こる。

 父が突如としていなくなったのだ。

 死んだわけではない。私と母の生活費は、以前に比べると減額はされたものの、毎月のように母名義の口座に振り込まれていた。

 だが、私には何が起こったのか分からないまま、時が過ぎようとしてしまった。

 私は納得がいかずに、体調のよさそうな日を狙って母に問い質した。

 母は私をそっと抱きしめて、謝罪してきた。


「……ごめんね。お父さんはもう翔和ちゃんの前には戻れないの……」

「……どうして!? 何で!? お父さんは!? 私のお父さんなんでしょ!?」

「……本当にごめんね……」


 母はその後、泣き崩れた。

 私には父が消えた理由までは理解が出来なかったが、ただ、母が私を気遣って、何も話してくれないということだけは理解した。

 すべてを自分で被ろうとしているのだろう、と。

 ただ、母の涙を見た後、私はそれ以上何かを言える状態ではなくなった。

 そこまでして病弱の母を苦しめようなんて、私には不可能だった。




 そして、月日が流れ、小学3年生になった。

 私は母に頼まれて、近所のスーパーに買い物をした帰り道で見てしまった。

 父が別の女性とそしてその子どもと一緒に歩いているところを———。

 荷物こそ落とさなかったものの、私の気持ちはどん底まで叩きつけられたような思いだった。

 一体、あの女と子どもは誰———?

 私は歩いて後ろをつけていった。

 父とその女は談笑しながら歩いている。子どもだけが手を引かれながら、興味なさそうに一緒に歩いているようだった。

 20分ほど歩いたところで、一戸建て住宅に入っていくのが見えた。

 やはり、父とその女は私に気づかずに談笑しながら、玄関をくぐり抜けていく。

 と、そのとき、気だるそうな少女と目が合った。

 感じからすれば同い年くらいの少女と。

 私は何だか見つかってはいけないような気持ちになり、そっと電柱の陰に隠れる。

 その子は何も言わずに私の方に近づいてきて、電柱の傍に寄ってくる。


「あなた、この辺に住んでるの?」

「……え?」


 いきなりその少女は私に話しかけてきた。

 私は突然のことで、どう反応を返せば良いか困るが、怪しまれないようにあくまでも普通を装った。


「いいえ。隣町に住んでいるの。買い物ついでにちょっと散策地域を広げてみたの」

「そうなんだ! 凄いなぁ……。今、何年生?」

「私は小学3年生よ」

「あ、じゃあ、私と同い年だね!」


 その時、初めてこの子が笑顔を見せた。

 幼さの残る可愛らしい顔をしている。なかなか無邪気な顔をする女の子だったんだな。

 何でさっきまではあんなにも興味のない表情をしていたのだろう……。

 いや、それよりもあれは私の父だ。

 私が家の方を見つめると、少女は私を見つめて、


「どうかしたの?」

「いいえ、単にお父さんとお母さんはすごく仲がいいなぁ……と思ってね」

「ああ、お父さんが最近、毎日帰ってくるようになったの。だからじゃないかな?」


 そう。私たちの前からいなくなったと思ったら、こんなところに……。

 その時、私は瞬時に理解した。

 私の父だったはずの男は同時に、この目の前の少女の父であるということも……。


「あ、もうこんな時間だ。そろそろ私も家に帰らないと……。ねえ、最後にあなたの名前を聞いてもいいかしら?」

「ん? 私? 私は美琴。相沢美琴っていうの。あなたは?」

「私は翔和っていうの。また、機会があれば遊びましょうね!」

「うん!」

「でも、次出会うまでは、今日出会ったことは、お父さんやお母さんにも内緒にしようね!」

「え? どうして?」

「二人だけの秘密って何だか、特別な友達って感じがするでしょ?」

「そうだね! じゃあ、美琴も秘密にしておくね!」

「ありがとう。じゃあ、またね!」

「うん! バイバイ!」


 美琴と名乗った少女は楽しそうに家に飛び込んでいった。

 きっと私のことは秘密にしてくれるだろう。

 あの子は友だちがいなさそうだから、きっと私という存在を大事にしてくれるはず……。

 私は家に帰宅して、母と夕食を取った後、自室で一人、憎悪と戦った。

 いや、戦ってはいなかったかもしれない。憎悪をむしろ解放してやっていたのかもしれない。

 出ていった父を恨んでやる———。

 幸せそうなあの女を恨んでやる———。

 あの少女を不幸に陥れてやる———。

 私はその気持ちが高まったときだった……。

 突如、時が止まったように冷たい空気が流れたのは……。


『……ソンナニ 憎イノカ……?』


「……え? 何? お母さん!?」


 私は怖くて叫んではみたものの、母がやってくる気配はない。

 周囲を見渡して気づいたが、時計そのものの針すら止まったままだ……。

 今、この空間は完全に凍り付いた。


『……オ前ノ 望ミヲ 叶エテヤロウ……』


 心を突き刺すような冷たい声が私の脳内に響く。

 私はあまりの恐怖に震え始める。瞳から自ずと涙が溢れ出てきてしまう。


『……恐レル 必要ハ ナイ……。コレガ 運命 ダ……』


 次の瞬間、私の前に大きな蜘蛛が姿を現す。

 私は悲鳴を挙げて、部屋の端まで逃げる。


「喰われちゃうの!? 私、ここで死んじゃうの!?


『……我ハ 夜蜘蛛……。オ前ハ 死ナナイ……。喰ワレル側ノ 存在ナノダカラ……』


 刹那。

 ヒュンッと風が私の顔を薙いだ。

 目の前にいたはずの夜蜘蛛は姿を消した。いえ、私の中に入ってきたんだわ……。

 私はそのまま意識を失い、その場に倒れた。




 気づいたときには、母が私の頭を撫でてくれていた。

 と、同時に腕輪をしていることに気づく。

 母は私を見つけて、その場で異変に気付いたらしい。

 知り合いの霊能者(母は退魔師と言っていた)に見てもらったところ、使役霊が憑いたとの説明を受けたらしい。

 とはいうものの、私自身が特殊な身体を持っているわけでもないことから、霊力の枯渇による死が免れられないと判断され、腕輪による霊力補完を行いつつ、共生できるようにしてくれたらしい。

 私は説明の中身が半分もわからなかったが、それよりも母の顔色が良くなったのに気が付いた。


「……お母さん、具合がよくなったの?」

「ええ、実は翔和ちゃんに使役霊が憑いてから、身体が軽くなったの……。何だか憑き物でもなくなったかのように……」

「そうなんだ! 良かった!」


 事実、夜蜘蛛が言うには、母には憑き物があったらしく、それを最初の『食事』として頂いた、と。

 その憑き物のおかげで私の霊力が枯渇することがなかったらしい。

 何とも運がいい話だ。

 夜蜘蛛は私が抱き続けた憎悪を餌にして、成長し続けた。

 そして、ついに私の思いを具現化することで3つの出来事は完遂された———。

 最後の出来事、相沢美琴を殺害することによって………。




―――――――――――――――――――――――――――――

作品をお読みいただきありがとうございます!

少しでもいいな、続きが読みたいな、と思っていただけたなら、ブクマよろしくお願いいたします。

評価もお待ちしております。

コメントやレビューを書いていただくと作者、泣いて喜びます!

―――――――――――――――――――――――――――――



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る