第24話 人間じゃない

 俺は絶句したまま、だが目を離すことができなかった。


 残忍で、酷薄で、圧倒的だった。


 信乃の正体が妖魔だと聞いても、特に驚くことはなかった。


 奇妙奇天烈な異能を持っているのは俺も同じだから、信乃が妖魔だったとしても誤差の範囲内だろうと、そう思っていた。


 元々対魔師は妖魔の血を引いているのだから、ししとうみたいに先祖返りを起こしても不思議じゃねーだろ、と。


 でも、ここまでなんて聞いていない。


 外見は面影を残しているが、それ以外は俺が知っている信乃じゃなくなっていた。


 敵は死んだ。


 花譜に思うところがないわけじゃないが、普通に自業自得なので信乃を責める気にはならない。


 だが、信乃の秘めたる力を解放して大勝利なんてオチになるはずがないなんてことも、分かっていた。


 大雨が通り過ぎたらハリケーンがやってきたようなものだ。


 この訳の分からない空間から今の信乃が解き放たれたらどうなるのかなんて、考えるまでもない。


 信乃が本家で良い扱いを受けていなかった理由がようやく分かった。


 連中は見下していたのではなく、恐れていたんだろう。


 一目見ただけで災厄を振りまくと分かっている怪物を。


 つかつかと信乃がこちらにやってくる。


「ふふっ、ようやく二人きりだね、千草!」


 普段だったら絶対に言わないことを、満面の笑みで言った信乃は――俺に手を延ばした。


「え?」


「え?」


 信乃の行動が、一瞬理解できなかった。


 まるで、俺に手を差しのばしているような――


「もう、そのまんまだよ。それともボクと手を繋ぐの、嫌?」


 ……不覚にも、可愛いと思ってしまった。


 口元血だらけだけど。


「あ、ああ悪い」


 鋭利な爪に気をつけながら、その手を握る。


 肌の熱がじんわりと伝わってくれる。


 自分のバカさ加減に呆れ返る。


 妖魔だか鬼だか知らないが、信乃は信乃であることに変わりないのだ。


 多少キャラが変わっていても、それだけは絶対に変わらない。


 それなのに、俺は怖いと思ってしまった。


 バカだ。


 あまりにもバカすぎて死にたくなる。


 これじゃあ、四宮を蔑んだ奴らとまるで変わらない。


「ごめん、信乃」


「んー? どったの?」


「一瞬でも、おまえのことを怖いと思っちまった。だから、ごめん」


 謝罪の言葉を口にした俺を不思議そうに見ていたが、やがてぎゃはっと笑った。


「別にいいよ。恐怖って感情は、生命に関わると体が判断したことによる警報みたいなものだからね――っと」


 ぶちんと、俺の腕が毟られた。


「え――?」


 腕がなくなっている。


 スプリンクラーのように


「ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」


「でもね、やっぱり体が出す警報は、素直に従った方がいいぜ? こんなことになるからさ」


 信乃は毟り取った俺の腕にかぶり付いた。


 ぐしゃぐしゃばきばきもぎゅもぎゅ


「んー! やっぱり千草は美味しいなあ。5年ぶりだから、余計美味しく感じるね。なんかこう、禁欲後の自慰行為みたいなさぁ……ってあー!」


 信乃が捕食している腕が消滅し、俺の腕が修復された。


 けれど、奇妙な喪失感は依然として残っていた。


 それだけ信乃に腕を食われたことは唐突だったのだ。 


「何するのさー! ボクがまだ食べてるでしょうがぁ!」


「くっそ……なんだよ、それ」


 妖魔を食うのならばギリギリ許容できたのに、人まで食うのかよ、こいつは――!


「ボクは妖魔なんだぜ? 人を食うのなんて当たり前じゃあないか」


 信乃の声で、信乃じゃない奴が喋っている。


「二重人格とか……どんだけギャップがあるんだよ、くそっ……!」


「ぶぶーハズレ。あのボクもこのボクも、考え方が少し違うだけで同じボクという一つの人格だよ。まあ、本来の在り方からすれば、ボクの方が『本物』ってことになるかもだけどね!」


 金槌で殴られた気分のまま、一人で立ち上がる。


「何、する気だ、おまえ……」


「何するって、遊ぶんだよ。千草と一緒にね!」


 ぎゃはっと、無邪気な笑みを浮かべる。


「遊ぶ……? スマブラなら、大歓迎だぜ」


「違う違う、そう言うゲームじゃないよ。体一つで、事足りるものさ!」


 そう言って、信乃は俺の脾腹を貫いた。


「ふふ、暖かいね、千草のナカ。最っ高だよ」


 引きずり出した腸をロープのようにして、俺の体をブンブンと振り回した。


 捻り曲がった建物に叩き付けられる度に体がひしゃげ、意識が明滅する。


「がっ、ぎっ――」


「まだまだ、いくよ――!」


 信乃は地面を蹴って肉薄し、踵落としを食らわせ俺を地面に叩き付けた。


 その時の衝撃で腸がちぎれた。


 腹が、異様に軽かった。


 それも一瞬のことで、逆行時計は千草の体をすぐに完全な状態へと巻き戻してくれた。


「ぎゃはっ、いいねいいねぇ! どれだけ無茶苦茶に壊してもすぐ治っちゃうんだからさあ! 千草、最高だよ! 千草はやっぱり、最高の玩具だ!」


 褒められているのに、全然嬉しくない。


「体も温まったことだし、本気でいくよ!」


 まだ本気じゃなかったのかよ、と言おうとしたときには、上顎が頭ごと引きちぎられていた。


 それからは、俺は悪態をつくことすらできず、ただの絶叫製造機と化した。


 舌を抜かれ、体を真っ二つに引き裂かれ、内蔵を食われ、四肢を纏めて引っこ抜かれ――人間だったら、とっくに意識を失ってくたばっているはずなのに、それができない。


 生きていることを放棄したくなる激痛なのに、俺は生にがんじがらめに縛られていた。


 逆行時計。


 俺が事故に遭ったときに発現した異能。


 どんな致命傷だろうが一瞬で修復してしまうがために、俺は死ぬことすら許されなかった。 ――待てよ。


首を体から引き抜かれながら、疑問を抱く。


 あまりにも、都合がよすぎる。


 俺にとってではない信乃に――今の信乃にとって、都合がよすぎる。


いくら壊しても元に戻る最高の玩具。


 信乃から頂戴した中では最高レベルの惨事というのも悲しい話ではあるがそれはさておき、だ。


 逆行時計の存在がなければ、こんなことにはなっていない。


 なんでだ?


 なんで、俺はこの力を持っている?


 なんのために、俺はこの力を持っている?


 分からない。


 水中の泡を掴むようにあやふやなまま、俺の意識は突如断線した。

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