第25話 疑似再開

 目を覚ますと、そこは白で一色に塗りたくられた何もない空間だった。


 でも無駄にだだっ広く、地平線が見える。


「なんだ、ここ……」


 痛みは完全になくなっている。


 信乃の姿はどこにもない。


「もしかして、俺、死んだ?」


 あれだけボコボコにされたなら無理もないかもしれない。


 いくら逆行時計と言えど、信乃の猛攻には耐えきれなかったということか。


 我が幼なじみながら恐ろしい――


『あー、テステステス』


 突如頭上から聞こえてきた言葉に、弾かれたように顔を上げる。


 そこには、あり得ない人がいた。


「梓、さん……?」


『聞こえるか? 聞こえねーのなら……まあ、どうしようもねえな。完全に詰んじまったってコトだ。ま、聞こえるのなら問題ねえ』


「あ、あの梓さん」


『あー、何か言おうとしても無駄だぜチガ坊。ここにいるアタシはただのイメージだ。これはオマエの脳に施された録音術式だ。分かりやすく言えば、脳にカセットテープがぶっささっていると思え。オーケイ?』


 普通に即死だそんなもん。


 けど大体イメージはできたぞ。


 俺は死んでるんじゃなくて、梓さんが植え付けた録音が再生中ってことか


『この録音が聴かれてるってことは、信乃が鬼になっちまって、しかもアタシはとっくにくたばったってことだよな……そうなって欲しくはなかったが、過ぎたことを嘆いたってしょうがねえ。外した馬券が帰ってこないのと一緒だ。くっそゴルシの野郎なんであのタイミングで立ち上がんだよ……』


 説得力皆無だぞ滅茶苦茶嘆いてんじゃねーか


『それで、だ。今のチガ坊には三つの選択肢がある。一つは、信乃の完全な下僕になって未来永劫弄ばれる。解放したてならまだしも、完全に馴染んじまったら人の世はオシマイだな』


 絶対に嫌だな。


『もう一つは、死を選ぶ。村雨を使えばチガ坊の異能に干渉されずに死ぬことが出来る。あんま薦めたくねーが……無限の苦しみよりは、幾分マシだ』


 村雨に斬られたときのことを思い出す。


 あれは事故に近いものだったので信乃を責める気は全然ないが、あのままだったら、俺は確実に死んでいた。


 村雨を首で跳ねたら、間違いなく死ねる。


 だがそれも、俺だけだ。


 他の人間は、信乃によって大勢殺される。


『最後が……抵抗だ。恐らくアイツは村雨を放棄する。村雨は妖魔の業を否定する妖刀。鬼になったアイツと村雨の相性は最悪だ。信乃がどんな妖術を身に付けていたとしても、村雨に干渉することだけは絶対にできねえ』


 そう言えば、妖魔化した信乃は村雨を一切使っていない。


 でも、俺は信乃みたいに剣の扱い方を知らない。


 そんな状態で、信乃の相手になるかと言えば大分怪しい。


『死ぬ気で覚えろ。つーか死んで覚えろ。何回も何回も死んでコツを掴め』


 冗談じゃない、が、それが一番確実な方法だ。


『けど、チガ坊は完膚なきまでにトーシロって訳じゃあねえ。なにせアタシの弟子だからな』


 弟子……?


『おっとネタバレしちまったか。ま、遅いか早いかの違いだし問題ねえか』


「いや、何がなんだかサッパリ分からねえんだけど」


『えーいゴチャゴチャうるせー奴だな。こんなんだから顔の割にモテねーんだよ』


「大きなお世話ですよ! つーかこれ本当に録音ですよね!?」


 完全にリアルタイムで話しているようにしか見えねーぞ。


『たりめーよ。アタシレベルになりゃ、あーこのタイミングでチガ坊が突っ込んでくるなーって予想が付くんだよ』


 大分まゆつばだが、梓さんならそうかもしれないと思ってしまうのが梓さん


 一番マシなのが、戦うことだ


 でも、それは――


『オマエが考えている通りだ。信乃を殺す可能性もある』


 非情な現実を梓さんは突き付けた。


「さっすが梓さん……キツいな。実の娘に容赦なしかよ」


『親だから、だよ。親だから、実の娘にパンピーを殺して欲しくねーんだ。自分でカタを付けられねーのがこれ程もどかしいとは思わなかったぜ』


 ちっ、と舌打ちをしながら梓さんはがりがりと頭を掻いた。


 やっぱり、二人は親子なんだなあとつくづく思う……胸部の格差はさておくとして。


『……けどな。殺すってのも、信乃に勝ってからの選択肢の一つにすぎないぜ。それだけは絶対に忘れんな』


「じゃあ、あいつを元に戻すことも――」


『おっとそろそろ時間だ。ちなみにこの術式は終了と同時に爆発――』


「おい待てこれ脳内にあるんだろ。脳が吹っ飛ぶってコトじゃあねえか!」


『――しねえ。いっぺん言ってみたかったんだ』


 ぎゃはは、といたずらっ子のように笑う。 


 この人は、本当に……


『ま、せいぜいがんばれよ。ついでに孫が出来たら仏壇なり墓の前に連れてこい。オーケイ?』


「随分と気が早すぎやしませんかね」


 そして残念ながら、俺と信乃はそんな関係じゃない。


 なりたいかと言われれば、まあそのなんていうかだ。


『そうかぁ? アタシが信乃産んだのは丁度今のおまえらくらいの歳だぜ?』


 これ本当に録音なんだろうな、マジで生きてる展開あるんじゃねえの?


 疑わしい目を向けていると、梓さんは思い出したのように指を鳴らした。


『あーそうそう。これはマジなんだが……この術式はもう一つ効果があってな。録画が終了するのと同時に――封じられた記憶を全て解放する』


 録音が終わったのと同時に、視界が黒に染まる。


「梓さん! どう言うことですかそれは――」


 戸惑う俺の意識を、膨大な記憶の奔流が押し流していった。



 目が覚める。


 純白の世界も、梓さんもそこにはなかった。


 代わりに感じたのは、体をちぎられたことによる激痛。


 今度の趣向は、腸はどこまで伸びるのかゲーム、と言ったところだった。


 横目で見ると、信乃は拗ねた様子でこちらを見ている。


「あ、やっと起きた! もう、何も反応なくなったと思ったら意識失ってるんだもん。ちゃんとボクの許可を取んなきゃ駄目じゃない」


「いちいち取ってられるか、そんなもん」


 悪態をついて立ち上がる。


「……うん? 何か雰囲気変わったね。何かいい夢でも見れた?」


「あれをいい夢って言うのは若干抵抗はあるけど、まあそんなところだ」


 そう言って、


「へえ……いいね。ボクと殺り合おうっての?」


「元からおまえはそれがお望みなんだろ。いいぜ、徹底的に付き合ってやるよ」


 大正解、と言わんばかりに信乃は嗤う。


「ボクは大歓迎だけどさあ……脚、震えてるぜ? 生まれたての子鹿みたいじゃあないか」


「バカヤロー、武者震いって言うんだぜ……!」


「いいね。かかってきなよ。たっぷり遊んで犯して殺してまた遊んであげるからさ」


「殺されるの以外は大歓迎だぜ。その姿じゃなければな!」


 啖呵を切って走り出したときには、信乃は俺に肉薄していた。


「く――」


「遅い遅い。うっかり眠っちゃうくらい遅いね!」


 爪が俺の脇腹を抉り、ばちゃりと肉のブロックが地面に落ちる。


「そりゃ、おまえに比べたらな……!」


 痛みをこらえながら、魔力を纏った拳を信乃に叩き付ける。


 信乃はそれを、口で受け止めた。


「やっば――」


 引っ込めるより早く、口が閉じられる。 


「が、ぎいっ――!」


 骨が縦に潰される


「駄目だぜぇ。ライオンの目の前に肉をぶら下げるようなものだってこと、ちゃんと理解しないと――」


 言い終わるのを待たず、俺は食われた右の拳で信乃を殴った。


 確かな手応え。


 でも、骨を砕くまでには至っていない。 


「……マジ? 千草さぁ、正気?」


「生憎と、痛みよりおまえの方が優先順位が高いもんでな……!」

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