第23話 鬼
「違うの、千草。あたしは、そんなつもりじゃ……」
心に、亀裂が入る。
忌まわしい記憶が蘇る。
嫌だ。
繰り返したくない。
また千草を――してしまうのは。
「駄目ではないですか我が主。クラーヴィスは空間と空間を繋げる鍵。同士討ちをさせることも容易ではないことを想定していないと、このようなことになりますよ」
「て、めえ……!」
無感動な花譜の声に突き動かされたように、千草がおぼつかないながらも立ち上がる。
「あなたも無理はしない方がいいですよ。村雨に斬られたのです。傷が癒やされるか、あなたが事切れるかどちらが早いでしょうね?」
「うるっせえんだよ……よくも、よくも信乃に俺を斬らせやがったな……!」
「最初からそれが目的です。お嬢様の心を折るのに、あなたほど適任はいませんでしたから」
千草も歯車の一つに過ぎないと花譜は言った。
「オーケイ、もう喋らなくて、いいぜ。お喋りな奴ほど、真っ先に死ぬってジンクス、マジにしてやる――」
言葉が途切れ、千草の体が崩れ落ちる。
手足に力を込めようとしても、何も手応えがない。
「無理に動いたので、死期が早まったようですね。お嬢様への想いには共感しますが、あなたにもう用はありません――」
クラーヴィスを大上段に振り上げる。
「あ――」
信乃の目が、クラーヴィスに向く。
震えを抑えて、村雨を握りしめる。
このままだと、千草は確実に死ぬ。
例え無駄だったとしても、千草は守らなくてならないと思った故の行動だった。
そしてそれも、花譜の計画だった。
絶が手を下そうが下すまいが、千草は死ぬ。
彼を使った目的は、こちらへの意識を逸らすことに他ならない。
「がっ――」
突如、信乃は背中に異物感を感じた。
まるで、心臓に触れられたような感覚。
振り向くことはできないが、背中に差し込まれた花譜の鍵が、極めて致命的なものであると言うことは直感で感じ取っていた。
「クレイス――効果は術式の開閉でございます」
一瞬で空間を跳躍した花譜の言葉に、血の気が引いた。
花譜が今行おうとしているのは、術式の無効化。
背中に刻まれた術式は、信乃の妖魔化を防ぐためのものだ。
それが無効化されればどんな結末を迎えるかなど、考えるまでもない。
「やめ――」
「お目覚めください。昼寝の時間は終わりです。我らが主よ」
かくして、鍵は回された。
がきん、といやに大きな開錠音が響いた瞬間、
「あ、ああああああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫と共に、信乃の肉体が変貌していく。
全身に赤色の刺青が張り巡らされ、手足に生えている爪が長く凶悪なものへと変わる。
肌と髪は色素を失ったように白く、瞳は鮮血をそのまま固めたように赤く染まった。
額から生える、鬼の力を表す角は二本。
変わっていくのは、外側だけではない。
信乃の人間としての精神も、妖魔のそれに変わっていく。
「ああああ、ぎ、ぎゃ、はは――ぎゃははははははははははははははははははははははははははははは!」
悲痛な絶叫は、やがて喜悦に塗れた笑い声に変わった。
人を守らんと奮闘していた対魔師の姿はなく、そこにあったのは人の世に絶望を振りまく鬼の姿だった。
「嗚呼……まさに、まさにこれこそ。最強の妖魔、時の鬼。ついに私の目の前に……!」
花譜は、信乃の姿に見惚れながらも、跪くことは忘れなかった。
「ははははははははははは……はぁ、いいね。ここまで気持ちよく笑ったのは五年ぶりだ! まったく母さんも酷いよなぁ。あんな窮屈な姿にボクを縛り付けようなんてさぁ。子供はのびのびあるがままが一番ってね」
ひとしきり笑った後、信乃はこきこきと首をならした。
「……で、結局君は何なの?」
信乃の一言に、花譜は頭を垂れた。
「花譜でございます。鍵の鬼にして、貴女様の忠実な下僕です」
「ふうん……」
ぽん、と花譜の肩に触れる。
崇拝する存在に触れられたことに無上の喜びを抱いたのと同時に、花譜の首から下の体が、灰になって吹き飛んだ。
「え……?」
「あのさぁ……何勝手に下僕面してんだよ。そんなこと認めたおぼえはひとっつもないぜ?」
呆然とした表情のまま固まった花譜の頭部を拾い上げると、そのままかぶり付いた。
真っ赤な果汁が辺り一面に飛び散っる
ぐちゃり、ぐちゃりと咀嚼し、ごくりと花譜の肉を飲み込んだ
「おお、イケる。やっぱり妖魔の肉も悪くないね……あ」
倒れ伏している千草に気付いた。
「ああゴメンね。千草をまずなんとかしないと。ボクったらうっかりさんだぜ」
けらけらと真っ赤になった口で笑いながら死に体の千草の体に触れると、一瞬で傷が塞がった。
意識もはっきりしたものに戻る。
「信、乃……?」
「うん、そーだよ? ボクの名前は四宮信乃。君の幼なじみさ」
ぎゃははと、信乃は笑って、再び花譜の頭部にかぶり付いた。
千草の胸に去来したのは、安堵ではなかった。
どこも異常がないのに、震えが止まらない。
千草が信乃に抱いた感情は、紛れもなく、恐怖だった。
――怖く、ないの?
かつて人間だった彼女の言葉を思い出す。
そして千草は答えた。
――ねーな、多分。
虚勢でも何でもない本音。
その言葉を撤回する気にはならなかった。
今、目の前にいる信乃と比べたら、今まで遭遇した妖魔なんて子供だましだ。
本当に信乃なのか、なんて疑問は野暮だ。
目の前にいるのは、間違いなく信乃だった――
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