第22話 必殺の一撃
指がなった瞬間、クラーヴィスが消えた――否、刃先に発生した空間に吸い込まれた。
反射的に跳躍したのと同時に、信乃が立っていた場所にクラーヴィスの刀身が飛び出し、再び虚空に吸い込まれていく。
戦慄する。
使い手である花譜本人は、剣を振るう必要はない。
ただ、クラーヴィスをどの座標に移動させるか設定するだけて良いのだ。
「参ったな、これ」
クラーヴィスの攻撃を避けている間に、どんどん花譜から離れていってしまう。
接近戦を得意とする信乃としては、歓迎できるものではない。
クラーヴィスは神出鬼没。
避けた時には、既に新しい座標に姿を現し攻撃するので、標的である信乃に休息の時間を与えない。
信乃の体には、次々と傷が刻まれていく。
千草に巻いて貰った包帯がこぼれ落ちるのを視界の端に見る度に、なんともいえない喪失感を味わった。
昨日の傷を上書きするように付けられる傷に、体が悲鳴を上げる。
信乃はそれに取り合わなかった。
彼女にとって痛みは、体のどのパーツが傷ついているかを知るためのものに過ぎない。
結論から言えば、これ以上戦うのは危険だ。
このまま戦い続ければ、確実に取り返しのつかないことになる。
その結論に信乃の感想はこうだ――そんなの、知ったことか。
「大丈夫ですか我が主。息が上がっているようですが」
「だから、主じゃあ無いって言ってんでしょ……!」
肌を這っているのが、血なのか汗なのか分からなくなっている。
それに引き換え、花譜は汗一つかいていない。
昨日の連戦のダメージが残っている信乃のコンディションは、お世辞にも良いとは言えなかった。
勝利の天秤は、どう考えても花譜に傾いていた。
「もういいでしょう、我が主。いつまで手を抜いているつもりですか?」
「生憎、そんな余裕ないっての……」
「笑止。鬼である自分を受け入れば、私などあなたに指一本触れたくても叶わないでしょうに」
――また、それか。
忠臣を名乗る鬼の口から発せられる度に、信乃の心に苛立ちが溜まっていく。
だがそれでも、僅かに残る勝機を見逃すまいと、その瞳は敵の姿を的確に捉えていた。
四宮家は、平安時代から続く対魔の家だ。
鬼を筆頭とする妖魔が、人の世を脅かしていた時代。
彼らに対抗するため、当時の四宮家党首は一計を案じた。
自らの肉体に、鬼の血を取り込むことで、その力を我が物にしようと試みたのだ。
妖魔の血は強大な力をもたらす反面、人を蝕む毒でもある。
どう考えたって正気の沙汰じゃない。
案の定、血を取り込んだ党首、妻、子供、合計七名のうち、六名が狂い死にという結果に終わったが、生き残った末子は、党首の目論見通り、妖魔を滅する力を得た。
その力は、妖魔が減少している今でも健在だ。
時代の変化によって、対魔師の存在は表の社会では世間に明らかにすることにはならなくなったが、妖魔と戦い人の世を守護する対魔師の在り方は変わっていない――当人達がどう思っているかはさておくとして。
十五年前、四宮家の家を揺るがす事態が起こった。。
鬼の血を引くなんて生温い、鬼そのものが生まれたのだ。
信乃と名付けられたその鬼を殺すように言い寄る人間は、分家どころか本家の中にも存在した。
それを責めることはできない。
彼らの立場を考えれば、信乃を殺せというには極めて真っ当だ。
妖魔の中で最強にして最悪と名高い鬼は、本能的に人を殺める存在だ。
善とか悪とかそう言う人の概念が当てはまらず、自由気ままに人の世を蹂躙する。
思考回路や価値観が根本的に異なる鬼と人は、共存することは出来ないのだ。
本来立場的に下のはずの分家がここまで強く出たあたり、よっぽど切羽詰まっていたのだろう。
しかし信乃の母である四宮梓は、それを突っぱねた。
「鬼だぁ? んなの知った事かよ。文句があるならかかってきやがれぶちのめしてやる」
と、出産後で疲弊している様子を見せずに、いつもの調子で――いや、それ以上の剣幕で啖呵を切って見せた。
何人か戦いを挑んだらしいが、結果は推して知るべしだろう。
梓は鬼の力を封じる術式を用いて、信乃を人間として育てた。
そして信乃は、自分の正体を知らないまま育った。
五年前の夏の日。
一番仲が良かった幼なじみから、もうすぐこの街から引っ越すと告げられた、あの日までは。
ギィン、とクラーヴィスが宙を舞い、地面に突き刺さった。
信乃の脇腹を標的に射出された直後、信乃が村雨が弾いたのだ。
クラーヴィスが再び虚空に沈み、信乃に刃を突き立てようとしても、信乃は次々とそれを弾いていく。
最早クラーヴィスなど眼中にない。
信乃の瞳に映っているのは、呆然としている花譜だけだった。
「何故……? なぜ、クラーヴィスの攻撃を、それも見ずに捌けるようになったのですか」
「あんたの攻撃は、剣を見ても特に意味がないのよ。何せ空間と空間を飛び越えてやってくるんだから、攻撃が終わるのと同時に新たな攻撃がやってくる。逆に言えば、攻撃のタイミングは慣れてしまえばどうという事は無いってコト。問題は、どの座標から飛んでくるかってことなんだけど……灯台もと暗しって奴ね。あんたの目を見れば、一発だったわ」
「目……なるほど、そういうことですか」
花譜はクラーヴィスを出現させる座標を目視して決めていた。
その動きを信乃に見られていたことで、撃ち出される座標まで読まれていた。
「感服でございます。さすが我らの主」
「人間としての、ならいいんだけどね……」
「それは出来ません。私の使命は貴女の解放。その成就のためならば、この命など惜しくありません」
「そう……なら、あんたを殺す。あたしが、人間であるために――!」
「不可能です。例えあなたが人間であろうとしても、他ならぬ人間がそれを許さない。それは貴方が一番理解しているはずです」
知ったような口を、とは言えない。
同業者のからは心ない言葉を浴びせられたことは数え切れないし、絶大な影響力を持っていた梓が死んでからは、妖魔である事を槍玉に挙げられ四宮家内の立場も決して良いものとは言えなくなった。
家を出て一人暮らしを始めたのも、それが原因だ。
「確かにね……それでも、あたしは責めない。同じ立場だったら、あたしも絶対そう言う事をしてただろうから」
「絶対に違いますね。どうせ貴方は手を差し伸べて、利用するだけ利用されてボロ雑巾のように捨てられて、それでもよかったと笑っているのがオチでございます」
「ただの買いかぶりだっての!」
そんな遵奉精神の具現化みたいに言われても困る。
村雨でクラーヴィスを弾き、花譜に向かって駆けた。
道中何度もクラーヴィスが道を阻んでくるが、信乃は全て弾き、被弾を防いだ。
「まったく、困った人です貴女は――」
「初対面の人に言われるほど落ちぶれちゃいないっての――!」
叫び、村雨を振り下ろす。
鮮血が飛び散る。
村雨の刃は、対象を斜め一文字に切り裂き、生きていくのに重要な内臓を悉く破壊した。
まさしく必殺。
戦いを終わらせるのには充分な一撃だった。
斬られたのが、花譜の前に転送された千草でなければ。
「なん、だ? これ……」
花譜を庇ったかのように現れた千草は、口から血を、腹からは内臓をこぼれさせながら崩れ落ちた。
「くそっ、たれ……なんなんだよ、これ」
体が一気に冷えていく。
逆行時計は既に発動しているが、傷の治りが異様に遅い。
意識が徐々に輪郭を失っていく。
ヤバい。
これは何か、ヤバい。
今まで受けてきたダメージとは明らかに違う。
一番近い感覚はそう、入学式前日に鉄パイプの下敷きになったときのものだ。
それは、死に近づいていると同義だった……
「あ、あ……」
目の前に倒すべき敵がいるのも忘れ、信乃は震える手に握られた村雨に目を落とす。
あらゆる妖術をものともせずに斬る妖刀。
どれほど強力な妖魔であろうと、村雨から身を守る術は持ち合わせていない。
逆行時計による擬似的な不死を持っている千草も、例外ではなかった。
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