第21話 鍵の妖魔
学校に復帰してからの一番の課題と言えば、ことあるごとにあたしに話しかけている幼なじみの対処である。
他の人は、話しかけないでくださいオーラを出せば察して距離を取ってくれるが(いい人達だ……)、千草はそんなのお構いなしに話しかけている。
鈍感と言うわけではなく、知っていて無視しているんだろう。いや、そこは読みさいよ空気くらい。
それでも無視し続けたら諦めるだろうと思ったが、甘かった。
結局、あたしが対魔師であることを知られてしまった。
そこまでならまだマシだったのだが、あろうことか千草は俺も対魔師になってあたしに協力すると世迷い言をほざいたのである。
千草が完全に普通の人で、武術のイロハも分かっていない奴だったらよかったのだが、なまじセンスはあるわ、無駄に不死身だわで、ちょっと訓練すれば普通に対魔師としてやっていけてしまうのだから始末が悪い。
実際、昨日だって千草がいなければ、あたしはもちろん逃げ遅れていた人も死んでしまうところだった。
悔しいが、それは認めざるをえない。
しかしあたしの心は、まるで駄々っ子のように千草が対魔師になることを拒絶している。
あたしを守りたいと言ってくれたことは、正直昇天しかけるほど嬉しかったが、あたしだって千草を守りたいと思っている。
あんな世界に踏み入れてしまったら、千草は普通じゃいられなくなってしまうから。
だから、絶対に対魔師にはさせない。
昨日看病して貰ったが、それはまあ夕食を作ったからチャラということで。
あの時はつい普通に喋ってしまったが、今日からは徹底的に冷たく接するしか無い。
そう、絶対に。
ぐっと決意して、教室の扉を開ける。
教室は授業前の自由時間で大変賑わっていた。
こう言うのを青春って言うんだろう。
少し羨ましく思いながら席について、ヘッドホンを付ける。
ヘッドホンを付ける事が一番の目的なので、音楽を聴くときもあれば聴かないときもある。
聴きすぎると耳が悪くなるしね。
ぼへーっと、特に何もせずに時間の流れに身を任せながらも、視線は教室の扉に固定されている。
別に深い意味はない。
ただ、もうすぐ千草が駆け込んでくる時間かなーと、特に深く考えることなくぼんやり思っただけだ。
それはただの偶然で、習慣になっていることもない。
偶然が一週間続くことも珍しくないはずだ。
「……今日、遅いな」
千草はいつも遅刻ギリギリでやってくるが、それよりも遅い。
授業開始のチャイムが鳴り、与田切先生が気だるそうに教室に入ってきた。
ありゃ、完全に遅刻だ。
「……ん? 千ヶ崎は遅刻か。まあいい、授業を始める」
チョークを手に黒板に今日の授業内容を書いていく先生の背中を見ながら、あたしも授業に専念せねばと切り替える。
遅刻とはいえ、そのうち来るだろう――
その考えが極めて楽観的で能天気なものだと痛感するのは、しばらく経ってからのことだった。
一限目どころか、二時限目も三時限目、そして四時限目になっても――千草が姿を現すことはなかった。
「四宮さん。ちょっといいかな」
昼休みになるのと同時に話しかけてきたのは、氷室誠君だった。
千草の友達。
ちなみに入学式のとある一件で少し苦手な人である。
いい人だとは思うのだけれど。
話しかけてきた理由は何となく分かった。
「千草のこと?」
「うん。四宮さんの方に、何か連絡とか入ってないかなって思って。授業中に色々連絡を入れてみたんだけど、返信どころか既読もされていないんだ。直接電話をかけようとしても、電源を切っているみたいでてんで通じない」
「……」
ラインを見せて貰うと、確かに氷室君の言ったとおり、なんの反応もない。
「ごめん。あたしはその、千草との連絡手段は持ってないの。ラインも電話番号も交換してないし……」
距離を置こうとしているのに、そんなもん交換しようなんて矛盾もいいところだ。
あれ、なぜだろう。
言っただけで悲しくなってきたぞ。うふふ。
「ああ……なるほどね。そう言うことか」
うんうんと、氷室君が何かに納得しているようだった。
何を納得しているかは分からないけど、それを聞き出そうとするのは嫌な予感がしたのでやめといた。
「千草の奴……いったいどこほっつき歩いてんのよ」
いたらいたでその……鬱陶しいが、どこにいるか分からなくても心がかき乱されるとか、とんだ迷惑だ。
がり、と爪を噛んでいると、スカートのポケットでスマホが震えた。
千草か――いや、まさかそんなはずはない。
あたしに連絡を入れてくる人間は片手に収まってしまう程少ない。
画面には公衆電話とだけ素っ気なく表示されている。
「はいもしもし――」
『千ヶ崎千草は預かりました。返して欲しければ、指定の場所に来てください――』
知らない女の声に、あたしは硬直した。
「四宮さん? おーい、大丈夫かい?」
氷室君の声が遠く感じた。
それに返している余裕はなかった。
「……ごめん。相対するから先生に伝えといて」
「え?」
目を瞬かせている氷室君をほっぽらかし、荷物をリュックに詰め込んで背負い、村雨が入っている竹刀袋を手に教室を飛び足した。
その時氷室君が、
「千草をよろしく」
と言った気がした。
電話の主が指定してきたのは表通りから外れた裏路地だった。
並び立つ建物に日光が遮られ、昼だというのにどことなく薄暗い。
「本当に。ここに千草がいるの……?」
村雨に手をかけ周囲を見回していると、ガチャリと鍵が開けられる音が聞こえた。
その音に呼応するかのように、周囲の景色が捲り上がるように変わっていく。
そこは、とても歪な場所だった。
空は赤く、建物が出来損ないのパズルのように中途半端に組み上がっている。
中には高層ビルがねじれているような、歪なものまであった。
まるで、妖魔の結界だ。
結界の大半は実際の場所より規模を拡張させてあるが、ここはそれ以上の広さ。
歪な世界だが、信乃はどこか奇妙な安堵感を覚えていた。
「お待ちしておりました。我が主よ」
弾かれたように振り向くと、そこには見知らぬ和服の少女が立っていた。
「貴方、誰?」
「私の名は花譜。あなたに絶対の忠誠を誓う鍵の鬼でございます」
「鍵の鬼……じゃああんた、妖魔ってワケ」
「ええ、あなたと同じ鬼でございます」
その言葉に、心臓を掴まれたような怖気を感じた。
「……違う。あたしは人間だ。妖魔なんかじゃ、ない!」
自分に言い聞かせるように、信乃は叫ぶ。
「いいえ、あなたは妖魔です。人の世を犯す鬼なのです。拒絶するのはあなたに植え付けられた人の心、ただのまやかしでございます……まあ、口での説得は不可能だと分かっていましたので、ここは一つ手荒な方法を取らせて頂きます――〈クレイス〉」
魔鍵を取り出した花譜は、着物をはだけさせ、胸を露わにした。
胸元に刻まれていたのは、鍵穴を模した刻印。
花譜は躊躇なくクレイスを刻印に突き刺す。
血は出ない。
しかしそれ以上の事が起こることは明白だった。
「――術式、開錠」
鍵を捻った瞬間、膨大な魔力が花譜の体から放出された。
鍵穴の刻印が根を張り巡らせるように全身に広がり、元から色白だった肌が、色素が抜かれたように青白くなっていく。
背後には巨大な鍵束が浮遊し、額からは稲妻を迸らせる角が一本伸びていた。
「では参ります、主よ。私がこの手で、貴方を救ってみせましょう――〈クラーヴィル〉」
そう言うと花譜は、背中の鍵束から、鍵を一本引き抜いた。
それは鍵というより、鍵をモチーフにした剣と言うべきものだった。
「そんなの、大きなお世話だっての!」
村雨とクラーヴィルが火花を散らし合う。
スピードは信乃の方が一枚上手だが、純粋なパワーでは花譜に軍配が上がる。
「くっ――!」
妖魔には様々なカタチがあるが、信乃が一番得意としているのは人型の妖魔だった。
元々武術は人を殺すことを前提に発展してきたものであり、人型の妖魔魔はそれを最大限に発揮できる相手だ。
花譜も人型にカテゴリーされる妖魔であるため極めて有利なのだが、敵もさるもの。
「ふっ――」
振り下ろされたクラーヴィスがアスファルトを抉り、まき散らされた破片が信乃の肌を抉った。
「剣だけに集中するのはいただけませんね」
地面に突き刺さったクラーヴィスを軸に繰り出される回し蹴りが、信乃の体に突き刺さる。
「――このように、追撃を食らうことになりますので」
肋骨が軋みをあげる。
この様子だとヒビが入っていてもおかしくないが、それでも信乃は吹っ飛ばされずに地面を踏みしめその場に留まっていた。
「上等だっての……ここまで近けりゃ、こっちもやりやすいわ!」
叫び、信乃は頭突きをお見舞いした。
視界に火花が散り、額から血が流れる。
「剣術だけがあたしの戦い方ってことは思わない事ね――!」
「やりますね我が主。フルパワーの私をここまで手こずらせるとは」
少しばかり胸をなで下ろす。
『私はあと三回変身を残しています』
なんて言われたらさすがに信乃でもキツい。
花譜はそれだけ、強力な妖魔だった。
多種多様な鍵を駆使して戦うトリッキーな戦法に、信乃はなんとか優勢を維持するのが手一杯だった。
「では、これなら如何でしょう」
クラーヴィスが消えたのと同時に、信乃の背中に焼け付くような痛みが走った。
振り向くと、そこには斜め一文字に切るかのようにクラーヴィスが地面に突き刺さっていた。
瞬間移動したように見えた。
「クラーヴィスは空間と空間を繋げる鍵。先程までは主様の趣向に合わせていましたが、これが本来の使い方でございます」
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