第20話 暴かれた真実
カマイタチに切り刻まれたときも、家鳴りに串刺しに俺は恐怖を感じたかと言われれば、極めてビミョーなところだった。
「別に、何の感情も無かったって訳じゃあないんだぜ。あんなよく分からねえ奴らが存在するってことには確かに驚いた。でもそれが怖かったかって言われるとな……いつからか、その手の感情とは無縁になっちまったみてーだ」
たははー、と笑ってみせる。
別に強がっても、中学二年生のときに煩っていた病が再発してもいない。
それが千ヶ崎千草の本音だった。
あるときを境に、俺からは恐怖心と言うものがすっぽり抜け落ちている。
理由はよく分からないが、確かにそうなのだ。
そんなものがあったら、あんな廃墟に意地でも入らないだろうし、信乃を庇うために妖魔に切り刻まれることをよしとは思うまい。
マンションに入ることもなく、ただ指をくわえて見ているくらいししか出来なかっただろう。
「それ、普通じゃないって分かってる?」
「対魔師とかいう普通もへったくれもねー仕事しているおまえに言われたくねーよ」
俺だって理解してるさ、それくらいはな。
逆にこれがまともだと言い張る奴がいるのだとすれば、そいつはまあまあイカれている。
「でも……そうだな」
俺が恐れることがあるとすれば、強いて言うなら、
「大切な奴が死んじまうのは、怖いかな」
これくらいだった。
誠や甚太が理不尽に死ぬのは嫌だし、両親もまあ、そうだ。
呉沢? 勝手にくたばってろ。
「もちろん、おまえもだぜ信乃。おまえがどう思ってるかは知らねーけど、あれだ、おまえがあんな化け物にやられるなんて、死んでもごめんだ」
やべ、途中で恥ずかしくなっちまった。
「……だから、マンションまで来たの?」
「そんなところだ。たまたま蹴破ったところにおまえがいてくれて助かったよ」
頼るべきは幼なじみの勘だな、いやホント。。
「まさか、別にあれくらい一人でなんとかできたなんて言うつもりじゃねーだろうな。言っておくがそんなことは絶対にないね。中にいた連中はもっと死んでたし、そうじゃなかったらおまえが死んでた。保証してやる」
たった一人であの数の妖魔を倒すことは、信乃にとってどうということはないのだろうが、それはあくまで逃げ遅れた奴がいなければの話だ。
人を庇いながら戦うのは神経を使うし隙も出来る。
だからあそこまでボロボロになるんだ。
俺がいなくてもなんとかできたなんてのは嘘っぱちだ。
「だから、俺にも戦わせてくれよ。盾くらいにはなってやれると思うからさ」
「絶対にダメ。全く関係無い人間を巻き込むなんて、四宮の沽券に関わるわ」
「なに他人行儀みたいに言ってんだよ。幼なじみだろ、俺達」
「だからダメって言ってるの!」
まるで駄々っ子のように、信乃は叫ぶ。
「あたしだって、千草のことは大切に思ってる! だから巻き込みたくないの! だから傷ついて欲しくないの! たとえ逆行時計が使えるとしても、絶対に嫌なの!」
その感情論以外の何物でも無い言葉が、不思議と一番腑に落ちた。
けど、俺だって引くわけにはいかない。
「俺だってそうなんだよ! 不死身でもないのにあんな無茶しやがって、それを黙って見てろってのかこのスカタン!」
「なんですって料理下手!」
「まな板!」
「好きでこんな胸じゃないんだ顔だけ男!」
ぎゃあぎゃあと、聞くに堪えない罵声が飛び交う。
ここまで鮮やかな平行線は、中々無いんじゃないかと思うほどだった。
そりゃそうだ。
二人揃って、目指しているものが違うんだから。
俺は信乃に傷ついて欲しくない。
信乃は俺に傷ついて欲しくない。
どうしろってんだ、まったく。
レバーハンドルを下げて水を止める。
台所に留まる理由が無くなったので、仕方なく信乃の隣に腰を下ろした。
信乃はそっぽを向いている。
完全にご立腹のようだ。
この分からず屋め、と言わんばかりである。
それはこっちの台詞だ。
ちったあ自分が背負ってるのがどれくらいのものか考えろってんだ。
大丈夫だと言い張っているが、潰れるのなんて目に見えている。
とっくに潰れたのにずっと気付かないのもな。
目を合わせることも無いまま、黙ってテレビを観る。
つーか、それしかやることがない。
自分の部屋に戻るのはなんとなく負けた気がするし、スマホも部屋に置いてきてしまった。
きっと信乃も同じ気持ちだろう。
あいつは筋金入りの負けず嫌いだ。
以前格ゲーを一緒に遊んだときも、勝つまでやるとか言って最終的に真夜中までやるハメになって揃って寝不足になったことは今でも覚えている。
無人島を脱出するとかしないとかで盛り上がっているテレビとは反比例するように、俺達は見事にギスギスしていた。
今のこの状態は、さながらサウナの我慢比べと言ったところか。
さっきまでは和やかに夕飯を食っていたと言うのに、なんだこの変わりよう。
「……」
「……」
しかし、あれだな。
ここまで会話もないと、少し気まずい。
だがここで喋ってしまえばその時点で負けな気がする。
別に信乃の考えに反発しているだけであって、信乃のことが嫌いなったわけじゃないのだ。
しかし信乃には負けたくないという気持ちも確かにあるのだ。
なんだこの二律背反、世界一意味ねえ。
しかし意味があるかないかで判断できたら、人間もうちょっと楽に生きていけると思わなくもないわけで――
そう一人で悶々としていると、ぽすっと肩に何か乗せられた。
観てみると、信乃が俺の体にもたれかかりすーすーと寝息を立てていた。
「……おい、このタイミングで寝るかフツー? 俺のひとり相撲みたいで滅茶苦茶気まずいんだが」
俺の愚痴が聞こえているはずも無く、信乃は実に安らかな表情で寝ていた。
口の端にヨダレが輝いているのはまあご愛敬っつーことで。
「ま、さすがに疲れるか」
本来であれば、一週間は安静にしてないと行けない傷だ。
それにも関わらず、スーパーに行って料理も作っておまけに俺と口喧嘩までしたのだ。
疲労が限界突破して強制シャットダウンしてもおかしくない。
色々言いたいことはあるが、起こすのはしのびない。
「ったく、しゃーねーな」
俺は苦笑しつつ、テレビのボリュームを下げた。
「……その、ごめん」
玄関先で、信乃は申し訳なさそうに肩を縮こまらせた。
リビングで寝てしまったの事は彼女にとって凄まじく恥ずかしいことだったらしい。
「気にすんなって。何もやってないからさ。寝ている間にスカートめくりとかしてないしてない」
「不安になるようなこと言うのやめてくんない!?」
スカートを抑える姿も可愛い幼馴染みである。
「本当に大丈夫なのか、アパートまで送っていかなくても」
「いいって言ってるでしょ。それとも、あたしが夜道で襲われるとでも思ったワケ?」
「むしろおまえを襲うようなバカには同情するね。ま、俺もぶちのめすけど」
そんじゃ、と手を振りながら踵を返す。
さーて、さっさと風呂に入って寝るとしますかね――と思ったが、がしっと信乃は俺の手を掴んで離さない。
「どうした信乃。やっぱり寂しいのか?」
「違う。今まで忘れてたけど返して、パンツ」
ギリギリと、腕にかけられる力が強くなっていく。
「い、いいだろそれくらい。見舞いの品で色々持ってきたし妖魔退治も手伝ったし、特別報酬みたいな感じでここはひとつ――」
「お見舞いはありがとうだけどいい訳無いでしょ! 大人しく返しなさいよこのパンツ泥棒!」
「俺が盗んだんじゃねえよ! 盗んだのは花譜だっつーの!」
「はぁ? 誰そいつ。実在しない人に責任押しつけてんじゃあないわよ!」
その言葉に硬直した俺のポケットから、信乃は自分のパンツを回収した。
「これでよしっと……って、どうしたのよ千草。急に固まっちゃって」
「信乃、今、なんつった? 花譜が実在しないとか、冗談よな?」
はははと引きつった笑いを浮かべる俺に、信乃は首を傾げながら決定的な言葉を口にした。
「えっと……その花譜、さんって人? 私はまるで知らないけど」
胸焼けしそうなほどの違和感を覚えながらリビングに戻ると、そこに奴はいた。
さっきまで信乃が座っていたソファーに、当たり前のように花譜は座っていた。
「……なにもんだ、テメェ」
「マナーがなっていませんね。ここは今晩はと挨拶をするのが普通でしょうに」
「生憎と、無礼には無礼で対応するのが俺の主義でね。信乃の知り合いを名乗る不審者には、特にな」
「知り合いとは一言も言っていません。あなたが勝手に勘違いをしたにすぎません」
「はっそりゃすいませんね……で、さっさと質問に答えろよ。結局何なんだよ、おまえの正体は!」
ぱちくり、と花譜は目を瞬かせる。
「……まさか、知らずに接していたのですか? なるほど、勘違いをしたのも道理ですね。私は人間ではありませんよ。それと対になる存在と言えば、ご理解頂けますか?」
「ああ、嫌と言うほどに名……」
人間と対になる存在なんて、妖魔以外あり得ない。
花譜はあっさりと、正体を明かした。
「妖魔ぁ? なんだってそんな奴が信乃に忠誠なんか誓うんだよ」
「決まっているでしょう。信乃様が妖魔だからです」
そして同じようなあっさりさで、とんでもない爆弾が投下された。
「あなたは知っていますか? 何故、対魔師達が人間であるにもかかわらず、本来は妖魔の力である対魔術を行使できるのかを」
「さあな。そんなの知らねえよ」
「では教えてあげましょう。対魔師の血筋は、妖魔の血を取り込むことで人の範疇から外れた力を手に入れ、その力で私達妖魔と戦うのです。あなたの逆行時計は少しイレギュラーですがね」
そこまで言って、ずずっとお茶を啜る。
「それがどうした。妖魔の力だかなんだか知らねえが、信乃が妖魔なんて話とどう繋がるんだよ」
「話を最後まで聞いてください。そのような経緯故、対魔師は全員妖魔の血を引いています。産まれてくる子供が先祖返りを起こしても、なんらおかしい話ではないでしょう。信乃様はまさしくそのケース……さら彼女は鬼だった。彼女が妖魔として覚醒すれば、妖魔の頂点へと君臨できるでしょう」
話のスケールがでかすぎて、今ひとつピンとこない。
「意外ですね。あなたは、信乃様が人ならざる者であったとしても拒絶の意思が見られない」
「妖魔とか人間とか知らねえけど、結局アイツが信乃ってことに変わりはねーんだろ。なら、ぶっちゃけどうでもいいな」
「……そうですか」
「つか、信乃はどう見ても人間だろうが。鬼っつたって、角の一本も生えてやしねえ」
俺の指摘に、花譜が少し不機嫌そうな素振りを見せた。
「当然です。今の信乃様は人間の在り方に縛られている。背中の術式があったでしょう? あれが妖魔としての成長を妨げている元凶です。だから信乃様は今も、窮屈な人間という存在から偉大なる鬼へ覚醒する事が出来ないのです。故に、私は信乃様を解放して差し上げたいのです」
「……おい、どう言うことだそれ」
「簡単な話ですよ。信乃様を縛る術式を無効化し、鬼として覚醒させるのです。そのために、マンションにお嬢様と貴方を誘い込んだのですが……なるほど、あなたが絶を殺したのはそのような食い違いがあったからなのですね。あの子も覚悟はしていたでしょうが……」
はあ、と嘆くように嘆息する。
「おい、じゃあ何だよ。あのマンションの家鳴りとか蜘蛛野郎とか、全部テメェの差し金だって言うのかよ!」
「ええ、そうです。あそこまで危機的状況に追い込めば、反転してくれると期待したのですが、結果は散々でした」
大勢の人間が死んだんだぞ、とは言わなかった。
口にしたところで、白々しいことこの上ないことが分かっていたから。
躊躇いなく人を殺せる奴に、ましては人ではない奴に人の命の尊さを説くなんて、どう考えても無駄だろう。
「……信乃様の事を大切に思っているのなら、私達に協力してくれませんか? 信乃様をあのような歪な存在から、本来のあるべき姿に解放するために」
花譜は立ち上がり、俺に向かって手を差し伸べてくる。
それとほぼ同じタイミングで、花譜の手を弾いた。
「嫌だね。おまえは、人を守りたいって言う信乃の信念に唾を吐いたんだぜ。そんな奴に俺が手を貸すわけねえだろうが」
今の信乃は、見ず知らずの他人の命を本気で守ろうとする大馬鹿だ。
歪だろうが間違っていようが、その信念は悔しいほど美しい。
それを完膚なきまでに否定した挙げ句本当の姿に解放してやるだと?
俺よりも思い上がりが甚だしい奴がいるとは思わなかったぜ。
花譜は僅かに赤くなった手をしげしげと眺めながら、再び俺の方を見た。
その目に宿るのは、隠しようのない殺意。
「残念です――あなたとは同志になれると思ったのですが」
瞬間、背中に焼け付くような痛みが走る。
切られたと思い振り向くが、そこには何もない。
攻撃はそれだけで終わらず、俺の体に次々と傷が走って行く。
蜘蛛の糸とは違う何か。
その正体がなんであるのか、意識を失う直前視界に映り込んだ。
それは巨大な鍵だった。
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