第7話 リセット

「――んがっ、どこだぁ、ここ?」


 気付いた時には、俺は近所の公園のベンチに寝かされていた。


 とっくに日は落ちて、周囲は街灯の明かりに照らされている。


 確か俺は信乃を尾行しようとして……それからどうなったのか、さっぱり覚えていない。


「おっかしいな。警官から逃げたところまでは覚えてるんだけど」


 ぼんやりとも思い出せない。


 その後から今に至るまでの記憶が、ごっそりと削れていた。


 それが絶対に忘れてはいけないようで、凄まじく気持ち悪い。


 これ間違えたら赤点確定なのに思い出せない漢字の問題みたいだ。


「今日は失敗か……ま、そんな日もあるよな」


 しかし考えてみると、どうもあの警察官達の妨害が原因に思えてならない。


 思い出せば出すほどムカつく連中だ。


「――おや、お目覚めですか」


 俺と月夜の割って入ってきたのは、一人の少女。


 短く切りそろえられた髪と、整った顔立ちを見るに結構な美人さんなのだが、そのガラスのように無機質な目のせいでどことなく人形のような冷たさがあった。


「誰だ、あんた」


「私の名は花譜。信乃様に絶対の忠誠を誓う者でございます」


 随分と仰々しいが、要は信乃のお手伝いさんってことか?


 俺が引っ越す前は、白黒の市松模様の着物を身に纏った彼女を見た事は無かったから、きっと俺が引っ越した後に雇われたんだろう。


「あんたが誰なのかは分かった。けど、なんだって信乃の俺の」


「信乃様に、どこか適当な場所に転がしておいてとあなたを引き渡されたので、目が覚めるまで見守っていたのです」


「なるほどね……信乃の奴、マジで何やってるんだか」


 どうやら、尾行は信乃にバレていたらしい。


 そしてここまで不自然に記憶がすっぽ抜けているあたり、なんらかの手段で俺は記憶を封じられたのだろう。


 そんな現実離れした事態だが、俺の逆行時計のこともあるしあり得ない話ではないだろう。


 そこまでして、俺に知られたくなかった事……どう考えても、穏やかな話で収まる話じゃない。


「あんたは、信乃が何に関わってるかは知ってんのか?」


「ええ。ですが、教える訳にはいきません。真実は自分で掴み取ってこそ価値のあるものですから」


「はぁ?」


 どう言うこっちゃいと首を捻る俺を無視して、花譜はすたすたと歩き始めた。


「お、おいどこに行くんだよ」


「無論、仕事が終わったので帰るのです。これ以上、私が見ている必要は皆無でしょう?」


「そりゃあ、そうだけどよ……」


 あの様子じゃ、なにがあっても話してくれそうもない。


 ここは見送るしかなさそうだ。


「そうそう、一つ聞き忘れていました」


 そう言って、くるりと花譜が振り向く。


「これで、諦めますか?」


 相変わらずその人形のような容貌に変化は無いが、その声音は俺をどこか挑発しているようだった。


 だから俺は、お返しとばかりにニッと笑ってみせる。


「これしきのことで諦めるかよ。むしろ、引くに引けなくなったって感じだね」


「そうですか。ではご武運を」


 感情が欠片も込められていない激励の言葉を残して、花譜は夜の闇に溶けていった。





 そんなこんなで翌日、学校に向かうと、


「は? 休みぃ?」


 信乃が学校を休んだという一報が誠によってもたらされた。


「うん、なんでも風邪を引いたみたいだね」


「風邪ねえ……昨日はそんな様子はなかったけどな」


「千草、まさかとは思うけど四宮さんに変なことしたんじゃないだろうね?」


「んなわけねえだろ。ちょっち尾行してただけだ」


「すごいわねこいつ。いとも簡単に自白したわよ」


「うるへー、それくらいしか方法が無かったんだよ」


 ゴミを見る目(いつもだけど)で見てくる呉沢に中指を立てながら反論する。


 しかし、信乃か風邪ねえ……


 ためしに想像してみるが、どうもイメージが湧かない。


 あいつが寝込んだことなんて数えるほどしかなかった気がするが、そう言うこともあるだろう。


 昨日の事で俺と顔を合わせたくないからサボったと言うのは考えにくい。


 あのクソ真面目な信乃が学校をサボるなんてことはありえないし、休んだら休んだで怪しさ倍増だ。


 俺が見失ってから体調を崩しちまったってことになるのか?


「ふむ……つまり、お見舞いイベント発生と言うわけでござるな?」


 甚太の眼鏡がキラリーンと輝く。


「お見舞いイベントぉ?」


「寝込んでいるヒロインを甲斐甲斐しく看病する……いつもは強気なヒロインが妙にしおれて素直に甘えてくるのは鉄板でござる……」


 ためしに、頬をほてらせてしおらしい信乃の姿を想像してみた。


「やべえ、超見たい。さすがだぜ甚太、俺としたことがお見舞いという手段があることを忘れてたぜ。さすが百戦錬磨の恋愛マスターだ!」


「ふっ、二次元限定でござるよ」


「ねえ誠、この会話のどこに得意げになる所があるのかしら?」


「誇る部分は人それぞれと言うことさ。でも、難しいところが一つあるよ。君は四宮さんの住所を知っているのかい?」


 ……あ。


「そういや、知らねえな……おまえらは何か知らないか?」


「知らないでござる」


「知っててもあんたには教えないわ」


 誠を見ると、ゆるゆると首を振った。


「元々四宮さんは、学校でも一人で行動していることが多いからね。誰かと一緒にいるのは見たことがないかな」


「そうね。最近は付き纏っているでっかい蠅がいるみたいだけど」


「そりゃ一大事だ。俺がぶちのめしてやる」


「一人でやってなさい」


 住所を知らなければ、あいつの家が何処にあるか分からない。


 せめて尾行が成功してればよかったんだが……待てよ。


 あるじゃないか、一番手っ取り早く信乃の住所を知ることが出来る方法が。


 灯台もと暗しってやつだと、一世一代の完全犯罪を考えついた天才犯罪者のような笑みを浮かべる。


「どうしたんだい千草? まるでしょうもない犯罪計画を考えついた泥棒みたいな顔になってるよ」


 ほっとけ。

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