第8話 バミューダトライアングル
――そして、昼休み。
「四宮の住所……? そんなものを聞いてどうするつもりだ、千ヶ崎」
職員にて、担任の与田切夜見(よだぎりよみ)は、自分の生徒をまるで不審者を見る目で俺を睨んだ。 ら教師には主に飴と鞭の二つのタイプが存在するが、こいつはどちらかと言うと後者にあたる。
もっとも、愛の鞭と言うより傲岸不遜勝手気まま教師失格通り越して人間失格と言った方がしっくりくる。
「いやですね。あいつ風邪を引いて休んでいるんでしょう? その、お見舞いに行こうかなーって思いまして」
へへへ、ともみてをしながら言う。
「驚いたな。おまえにそんな甲斐性があるとは思わなかったぞ。何か裏があるんじゃないかと疑いそうになるほどだ」
「何言ってるんですか。俺は甲斐性の塊のような人間ですし、裏表なんてありませんとも」
「そもそもおまえは、私に敬語で話す生徒だじゃなかったと記憶してるんだがな……その時点で胡散臭いぞ」
「チッ」
「何か言ったか?」
「いえ別に。俺はね、別に犯罪をやらかそうって訳じゃあないんですよ。幼なじみとして、風邪を引いているのになにもしないなんて薄情な真似は出来ないって言うか」
「幼馴染みぃ?」
ぐいっと、俺の顔を覗き込む。
近い近い。
唇を突き出そう者ならそのまんまキスしてしまいそうだ。
「おまえが四宮の、ねえ……」
「……んだよ、疑ってるってのかよ」
つい敬語を忘れたが、こいつに敬語を使うのはかなりのストレスだからもういいか。
「いいや? 合点がいった。私にはもう手が終えん。よりによって四宮に魅入られているとはご愁傷様だな」
なんか俺が死人みたいな扱いになっている。
つーか、なんだ魅入られてるって。
信乃はサキュバスの親戚かなんかか?
「あんた、信乃が嫌いなのかよ」
「ああ嫌いだ。あいつがこの学校に合格して、しかも担任をやれと上から言われたときには、本気で悩んだものさ」
「退職を?」
「いや、どうやってあいつを転校させるかを、だ」
そっちかよ。
「当たり前だ。何が悲しくて四宮如きのために職を失わなければならんのだ。冗談じゃないぞ、まったく」
「俺はその人間性が冗談であって欲しいよ。あんた本当に教師なのか?」
「ああ、教師だとも。大学で教員免許を取り、採用試験を受けて合格した立派な教師だ。だが、教師がどいつもこいつも分け隔て無く生徒を好いてると思うなよ。この学校にはウン百人もいるんだ。その中の一
人や二人、嫌いになっても何らおかしくないだろう?」
日々の言動を見る限り、偽悪的でもなんでもなく、本心で言ってるのがよく分かる。
しかし断言できるが、信乃に非があるのではなく与田切に問題があるってことだ。
「それで、四宮の住所だったか? 別にかまわんが一つ約束しろ」
「何をだよ」
「犯すなよ」
「どいつもこいつも人をなんだと思ってやがるんだチクショウ!」
風邪で寝込んでいる奴を襲いかかるとか、それは人じゃなくて鬼畜の処遇だ。
「ああ違うな。正確に言うのならば、犯してもバレないようにしろ、だったな。そうしないと、おまえがパクられたら、住所を教えた私の責任にもなる」
教師以前に、こいつ人としても終わっている気がする。
過去に何かあったのか?
尺の無駄になりそうだから特に聞きたくはないけど。
「えっと、どこにあったか……あったあった。ほら、持ってけ千ヶ崎。ちゃんと返せよ」
与田切はファイルから一枚の用紙を取り出して、俺に寄越した。
「あのー……俺が欲しいのは信乃の住所だけで、生徒情報の全てじゃないんだけどな」
なんか身長とか体重とか、しまいにはスリーサイズまで書いてあるんだが……うん、まあ、控えめです
ね。
「同じようなものだろ。そんなに嫌なら、ここで住所だけ書き写しとけ」
「……へいへい」
「ああそうだ。家に行くんだったら、今日配布する予定のプリントも持って行け。そっちの方が大義名分が付くだろう」
「大義名分って……あ、そうか。ただお見舞いに来ただけじゃ、どうやって住所知ったんだと怪しまれるか」
「それくらいは考えておけ馬鹿者。相手も納得できる表の目的を考えるのは潜入の鉄則だ」
別に俺はスパイじゃあないんだが……ともあれ、紆余曲折ありつつ、無事目的を達成できた。
午後の授業はテキトーに流し、放課後。
誠と甚太にゲーセンに寄らないかという提案を辞退し、俺は信乃の家に向かった。
信乃の家は、意外にも俺の家とあんまり離れていない、徒歩10分のところにあった。
「灯台もと暗しって奴か……」
そう言えば、通学路も一緒だったっけかと考えていると、はたと気付いた。
「そういや、手ぶらでお見舞いってどうなんだ?」
そのまま行っても、俺がしてやれることは殆ど無い。
体を拭くと言うのはさすがにできないし、手料理なんてしようものならますます風邪が悪化する。
「せめて、何か買ってくか」
近くのコンビニに入る。
「えーっと、こう言うときはスポドリを飲めばいいんだっけか? 後は確か……モモ缶と、おかゆは定番だよな。後は念のため冷えピタシートも買っとくか。風邪っていつまで続くんだ……? まあ、1週間分買えば大丈夫か」
そんなこんなで買うと、結構な量になった。
「う、少し買いすぎたか」
いやいや、一週間外に出なければ、これくらいの備蓄は必要だろう。
気を取り直して、信乃の家へ向かう。
列車に揺られること10分、いつも利用している駅を降りて、家に帰るのとはまた違う道を通る。
「ここに住んでるのか、あいつ……?」
到着したのは、何の変哲も無い古びたアパートだった。
「一人暮らしなんだろうとは想像が付いてたけど、てっきりもっと豪華なもんだと思ってたぜ」
あのだだっ広い屋敷からこのアパートって、見方によっちゃ没落貴族のそれだぞ。
「えーっと、信乃の部屋は205号室……っと、ここだな」
錆び付いた階段を登り、ドアの前に立つ。
呼び鈴を押そうとして、はたと気付いた。
鍵が開いている。
よくあるミスで、済まされていいのかこれは。
あの几帳面な信乃が、鍵をかけ忘れるなんてことは考えられない。
風邪で寝込んでいると言うのだから、外に出たということもあり得ない。
最悪の予想が脳裏をよぎり、いてもたってもいられなくなった俺は、買ってきたものを放りだしてアパートの中に入った。
「信乃! 大丈夫……か?」
部屋の中に、信乃はいけなかった。
内装はアパートの外見より小綺麗で、あっちこっち散らかっている俺の部屋とは正反対に、綺麗に片付いていた。
が、しかし、そんな部屋にとんでもない異物が紛れ込んでいた。
黒の着物に身を包んだ人形じみた女が、ベッドの下にある棚から何やら黒い布状のものを恍惚とした表情で手にしていた。
見間違いでなければ、それは魅惑のバミューダトライアングル――おパンティーじゃないだろうか。
俺の目線に気付いた女――花譜は、じろりと睨んできた。
「……不法侵入とはいただけませんね。お嬢様に欲情する不埒者は、この花譜が許しません」
「そりゃおまえだろ! 何やってんだテメェ!」
「決まっているでしょう。信乃様の麗しきパンツを堪能しようとしているのです……おや、どこかで見た事がある顔だと思ったら、千ヶ崎様でしたか」
ようやく、花譜は俺が誰なのか思い出したらしい。
その手に持っているのは信乃のパンツらしいのだが……。
「黒なのか……」
優等生ほど下着がエロいんじゃないかと言う説について、誠とと甚太で激論を交わしていたが(呉沢はゴミを見る目で見ていた)、どうやらそれは本当だったことが立証された瞬間である。
「って、今はそんなことを考えている場合じゃねえ! いくら主人と使用人の関係だからって、その行動はスリーアウトチェンジ一発退場ってことは確信できるぜ!」
「黙りなさい。私とお嬢様の関係は、あなたが介入する余地もないくらいにねっちょねちょに絡み合っているのです。いくら幼なじみとはいえ、千ヶ崎様の介入する余地は1ミリも存在しないのです」
汚えなオイ。
もっと別の表現を考えろよ。
こりゃ本気で警察を呼んだ方がよさそうだと、ポケットからスマホを取り出そうとしたら、
――カン、カン、カン。
誰かが登ってくる音がした。
信乃が帰ってきたのか?
「丁度いいぜ。おまえを捕まえて、信乃の前に引っ立ててやらあ!」
「……くっ、時間が来てしまいましたか。仕方ありません。緊急避難なのであしからず」
ぎりっと歯噛みすると、花譜はパンツを俺の方に放った。
「ちょ、お、おい!」
どうしたらいいか分からず、取りあえずキャッチする。
「なんのつもりだテメ――」
顔を上げたときには、既に花譜の姿は無かった。
「? なんだろこの缶詰……しかも鍵開いてるし。あの子ったら、また勝手に部屋の鍵開けたみたいね……まったく、ちゃんと閉めないとダメじゃ――な、い?」
からーんと、部屋に入ってきた信乃の手から、モモ缶が滑り落ちた。
「千、草……?」
「よ、よう信乃……」
最悪のタイミングで会ってしまった。
信乃から見れば、俺は勝手に部屋に上がり込んだ不法侵入者だ。
しかも右手には――パンツを持っている。
うーん、なるほど。謎は解けた。
「緊急雛ってそう言うことかよおおおおおおおおおおおおお!」
なんてこったい。
ちょっとラッキーと思った数秒前の俺を思いっ切りぶん殴ってやりたい。
「どう言う、こと。説明、して」
い、いかん。
信乃の背後にザ・ワー●ドの幻覚が見える。
「……えーっと、結構エロい下着履いてるんだな」
「うがあああああああああああああああああああああ!」
大爆発した信乃は、鬼の形相で俺に襲いかかってきた――!
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