同上 の3
彼と私の興味が一致したのは音楽だった。部屋にステレオも普通のレコードプレイヤーもなく、ラジオもあまり聞かなかった私は、音楽とは没交渉の生活をしていた。それで別に不都合はなかったのだが、時折、喫茶店などに入って好きな曲を耳にすると、胸の中で久しく眠っていた音楽への欲求が揺り覚まされるのを感じた。自ら求めるという程ではないのだが、その機会があれば音楽への飢えを自覚する私だった。それで私は話が途切れるとステレオを聴かせてくれるようTに頼んだ。Tはいつも快く応じてくれたと記憶している。彼はレコードではなく、たくさんのテープを持っていて、その中から適当な曲をかけてくれた。曲をかける都度、彼はどの曲がいいか訊いたが、私には即座にこれだという曲が浮かんでこなかった。浮かんできてもその曲名がわからない場合が多かった。「ほら、こんな曲で」と何とかわかってもらおうとする時もあったが、あまり要領を得なかった。結局「何でもいい」ということになるのだった。そんな時だった。彼は一冊の大学ノートを取って私に差し出した。開いて見ると、そこには百近い曲名が、クラシック・ポピュラー・映画音楽などのジャンル別に記されていた。彼が今まで集めてきた曲の目録だった。私はこのおとなしい男が持っているしたたかさを思わないわけにはいかなかった。Tはコツコツと好きな曲を集め、それをノートに整理していったのだ。自分の欲求を大事に守り、それを自力で育てていくTの強さだった。自分の生活が省みられた。私の生活にはこれだけは大事にしてきた、これだけは育ててきたと実感されるものが見当たらなかった。私はいら立ちを感じた。………。自分の欲求を偽らず大切に育てていく――流れてくる曲に、それまでの生活の疲れが溶け出すような憩いを覚えながら、私は再びその事を考えていた。
私が白いギターを買ったのはその頃だった。通りすがりの質屋で見かけたそれが妙に私の心を引いた。弾けもしないのに私はそれを買う気になった。ギターをつま弾く事が、とても自分の生活を豊かにするように私には思えた。活動の中で取りこぼしていく何かをそれで掬えると感じた。ギターは確か九千円だった。小さな額ではなかったが、その時は高いとは思わなかった。白いギターだ、それが部屋にあるだけでも、自分もまた青春に居ることを確認できるだろう――私は一万円札をオーバーのポケットの中で握って、雪のちらつく街に出ていった。私の気持は高ぶっていたが、途中のショウウインドに映る自分の姿はなぜか道化じみて淋しかった。
*
私がこのギターに手を触れていた期間は長くない。毎日手にしていたのは買ってから一月余りだろう。それ以後は部屋の隅に立てかけられたままになっている事が多かった。暫くすると同じ下宿の学生が借り出していった。私が大学を卒業して帰郷する時、その学生から返してもらって持ち帰ってきたのだが、郷里で取り出して弾こうとすると、中央の弦が切れていた。弦を替えようと思ったが、それが巻き付く横棒も砕けていたので諦めた。現在までそのままになっている。
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