第185話 これは難しい魔法です

 そして三人と一匹は、幻惑系魔法大百科を持ってローラとシャーロットの部屋に行く。

 ベッドにごろんと転がり、より詳しく読み込むのだ。


「ふむふむ。認識阻害の魔法は、自分を透明にしたり、相手の五感に作用するのではなく……自分の存在そのものをこの世界から消して、少しズレた世界に移動させる……その上でこちらの世界に一方的に干渉できる、と」


「ローラ凄い。私は何が何やら難しすぎて分からない」


「えっへん。これでも魔法学科ですから」


 ローラは「ふんっ」と鼻息を荒くして威張った。

 実は本の文章を読み上げているだけで、さほど深くは理解できていないのだが、せっかくアンナに褒められたので素直に威張ってみたのだ。


「それにしても……自分の存在を世界から消すなんて、次元倉庫以上に高度な魔法のような気がしますわ。なにせ世界を改変しているのですから。こんな魔法の使い手が本当にいるのでしょうか……?」


「えっと……この魔法は理論上のもので、実際に使えた者は確認されていない……だそうです」


「すると、誰かが勝手に考えただけで、実在する魔法じゃないってこと?」


「早い話が、そういうことですね……」


 ローラとアンナは、がっくりと肩の力を落とす。

 が、シャーロットだけは、逆に目を輝かせ、全身から気合いをみなぎらせていた。


「理論上だけで、まだ誰も使えない魔法……それを使えるようになれば、わたくしの名前は歴史に残りますわ!」


「使えるようになったらね」


 アンナは冷たく呟くが、その程度でシャーロットのやる気は少しも揺るがなかった。


「このシャーロット・ガザード。努力では誰にも負けませんわ! さっそく練習ですわ! 認識、阻害! 世界よ、わたくしの存在を消し、位相のズレた世界へと移動させるのですわ! えいっ、えいっ!」


 シャーロットは適当な呪文らしきものを唱えながら、えいっえいっと声を上げる。

 かなりうるさい。

 もの凄い存在感だ。

 嫌でも認識してしまう。


「シャーロットさん。ちょっと静かにしてください。私もやってみるので。シャーロットさんが騒いでいたら集中できないじゃないですか」


「これは難しいですわ。いくらローラさんといえど、一朝一夕には無理ですわ」


 本当にそうだろうか。

 物は試しだ。

 ローラは目を閉じて集中する。


「世界よ。森羅万象よ。我が魔力を喰らい、我が存在を消すがいい。あらゆる目と耳と鼻を欺き、六感すら惑わせ。幻を超えて、虚無と化せ――」


 口が自然と呪文を紡いだ。

 そしてローラの魔力が世界に染み渡り、何かがズレていく。

 目に見えている景色は同じ。シャーロットとアンナの呼吸も聞こえる。

 なのに、彼女らと同じ部屋にいるという感覚が消えていく。

 ローラは今、世界から少しズレたのだ。


「ローラさんとハクが消えてしまいましたわ!」


「今までここにいたのに……どこにいったの……?」


 シャーロットとアンナは、キョロキョロとローラを探す。

 同じベッドの上に座っているというのに、二人からは見えないのだ。


「ローラさんがいませんわ……魔力も探知できませんわ……どこにもいませんわぁぁ!」


「シャーロットさん。私はここです。頭の上にハクもいますよ」


「ぴー」


「ローラさんローラさぁぁぁんっ!」


 どうやら声も聞こえていないらしい。

 認識阻害は完璧に成功している。

 完璧すぎてシャーロットが泣き出してしまった。


「落ち着いてシャーロット。私たちが認識できないだけで、その辺にいるはずだから」


「ですが、このわたくしが、近くにローラさんがいるのに気配も感じられないなんて……これではいないのと同じですわ……! ま、まさかローラさんは魔法に失敗して、本当に消えてしまったのでは……?」


 シャーロットがとんでもない心配を始めた。

 違うよ、と言ってやりたいが、声が届かない。これは困った。


「ぴー」


 するとハクがローラの頭から飛び立ち、シャーロットの胸に飛び込んだ。

 しかし、シャーロットもアンナもそれに気付いた様子がない。

 どうやら認識阻害の魔法を発動したときローラの体に接触していた者は、そのあとローラから離れても魔法の効果が持続するようだ。


「な、なんだか胸が重くなったような気がしますわ……」


「シャーロット。急に巨乳自慢してどうしたの?」


「別に自慢しているわけではありませんわ! 本当に重くなったのです! ま、まさかローラさんがわたくしの胸を触っている……? い、嫌ですわローラさん……触りたいのでしたら、こんな回りくどいことをせず、いつでも言ってくだされば……」


 と、そこでローラは認識阻害魔法を解除した。


「あ、ローラが出てきた。さっきと同じところに座ってる」


「私、一歩も動いてませんよー」


「なんだ……わたくしの胸を触っていたのはハクだったのですわね……」


 シャーロットはガッカリした声を出す。


「ぴぃ?」


 ハクはどうしてガッカリされたのか分からないらしく、不思議そうに鳴いた。

 そしてローラも理由が分からなかったので、ハクに答えてあげることができなかった。


「それにしてもこれ、凄い魔法ですよ。私だけでなく、私に触れていたハクまで消えていました。つまり、シャーロットさんとアンナさんと手を握って魔法を使えば、皆で消えることができます。強力なモンスターを狩りたい放題です!」


「素晴らしいですわ! 早速、実験ですわ!」


「もう一度、職員室に行ってみよう」


「では二人とも私の手を握ってください」


 シャーロットとアンナは、ローラの手をぎゅーっと握ってきた。

 そんなに強く握らなくても、と思いつつ、ローラは呪文を唱えて認識阻害魔法を発動させた。


「……これで本当に消えましたの?」


「私からは皆が見えるよ」


「透明になったのではなく、世界からズレたわけですから……同じようにズレた私たちは同じ場所にいるので、お互いが見えるんですよ。きっと」


「分かったような、分からないような……」


「理屈はあとでもよろしいでしょう。それより、わたくしたちが本当に消えているのか、職員室に行って実験ですわ」


「ぴー」


 そして全員で職員室に向かい、勢いよくその扉を開き、大声で叫ぶ。


「「「仲良し三人組、参上!」」」


 普通なら、この時点でエミリアを初めとした先生たちから強烈な説教が飛んでくるはずだ。

 だが、誰もローラたちを見ようとすらしない。

 無視しているという様子ではなく、本当に気付いていないのだ。


「あら? 扉が開いているわ。誰よ、開けたままにしたのは……」


 エミリアは呟き、椅子から立ち上がって扉を閉めに来た。

 その際、ローラとぶつかる。

 まったく身構えていなかったローラは「おっとっと」とよろめいた。

 エミリアも急な衝撃に驚いたらしく、周りに何かあるのかと探している。


「変ね……何かにぶつかったような気がしたんだけど」


 目の前にいるローラたちに気づけず、エミリアは扉を閉め、また自分の席に戻った。

 その様子を見て、シャーロットは歓声を上げた。


「大成功ですわ! ぶつかっても気づかれませんでしたわ!」


「不思議な感覚。幽霊になったみたい。幽霊になったことないから分からないけど」


「強力な分、悪用しようと思ったら何でもできちゃいますね……ちゃんと考えて使うようにしましょう」


「ですわね。校則違反を誤魔化すことのみに使うべきですわ。決して悪用してはなりませんわ」


「校則違反を誤魔化すのも十分悪用な気がするけど……趣旨には同感」


「というわけで、いったん解除しましょう」


「あ、待って」


 アンナがなぜか止めようとしてきた。

 しかし間に合わずローラは魔法を解除してしまった。

 その瞬間、職員室の先生たちの視線が、一斉にローラたちに向けられた。


「あ、こら、三人とも。いつの間に入ってきたの? ちゃんとノックして名乗ってから入らないと駄目じゃないの、もう!」


「ひゃあ、ごめんなさい!」


 エミリアに怒られ、慌てて職員室を逃げ出す。


「だから止めたのに……」


「ローラさん、迂闊すぎますわ。何を考えていますの、と突っ込まざるを得ませんわ」


「ふぇ……何も考えていませんでした……」


「ぴー」


 皆から責められたローラは、認識阻害魔法の難しさを実感した。

 まあ、今のは流石に間抜けすぎると自分でも思うが、急に出たり消えたりできるのだ。

 慎重に使わないと、どんなトラブルを起こすか分からない。

 魔法剣の試し斬りに相応しいモンスターと戦うときまで、封印しておくことにしよう。

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