第168話 夫婦喧嘩は終了です

 アンナ・アーネットはブルーノへ近づきながら、自分の半生を思い出す。


 強くなりたいと、昔から思っていた――。


 自分を守れる力が欲しい。皆を守れる力が欲しい。

 衣食住に不自由しない金が欲しい。家族が困っていたら助けてあげられる程度の金が欲しい。

 遠くまで行けるようになりたい。知らないものを知りたい。

 自分に剣を教えてくれた孤児院の先輩のようになりたい。

 だから強くなって、冒険者になる。


 そんな単純で、迷う余地のない気持ちでアンナは冒険者学園に入学した。


 では、負けたくないと思うようになったのは、いつからだろう?


 アンナの人生で、他人との競争を意識し始めたのは、本当に最近のことだ。

 そういうことを深く考えたこともなかったので、変化していく自分の心に戸惑いすらした。


 いつ、とは断言できない。おそらくは、放課後のローラとの特訓でその気持ちが育っていき……決定打になったのは、校内トーナメント。

 準決勝でシャーロットに敗北し、その後、あの決勝戦を見せつけられた。


 ローラとシャーロットは間違いなく、大切な親友だ。

 家族である孤児院の人たちとは違う、外で作った大切な人たち。

 一緒にいると楽しくて、ずっと一緒にいたいと思えて――。

 ああ、しかし。

 あの決勝戦。

 二人は自分などとは格が違う。ずっと遠くに行ってしまった。

 どうやったら近づけるのかさえ、分からない。


 卒業したら一緒に冒険しよう。そう彼女らは言ってくれた。

 けれど、無理だろう。

 一緒にいると楽しいから、なんてのは学生のときしか通用しない。

 自分が荷物になるのは明らかだ。

 あるいはローラとシャーロットなら、荷物としてアンナのことを運んでくれるかもしれないが……そんな惨めな思いはしたくない。


 自分の脚で。

 親友だからこそ、肩を並べて。

 背中を見ることすらできないなんて、絶対に嫌だ。


 強くなりたいと思った。

 負けたくないと思った。


 絶え間ない努力を続ける。行き詰まったらやり方を変える。武器も手に入れる。


「師匠だって超えてみせる――」


 アンナは真っ直ぐに宣言した。

 するとブルーノはこちらを振り返る。

 しかし、その瞳は濁っていた。

 きっと彼本来の意思は消えているのだろう。


「ぶぅぅぅぅん!」


 ブルーノの口から、低音が鳴る。

 それに対して、雷の魔法剣もブゥゥゥンと答える。


 ――何よ、こんなところまで追いかけてきて……しつこいのよ!

 ――いいから話を聞け。

 ――嫌よ。私はこの人間の体を乗っ取ったわ。思いっきり暴れてやるんだから!

 ――よせ! 暴れたいのなら、我にぶつけろ!

 ――言ったわね……いい度胸じゃない!


 アンナはそれを聞き、張り詰めていた戦意が少し緩んでしまった。

 だが逆に言えば、肩の力がいい具合に抜けた。

 ベストコンディション。

 ゆえにためらいなく、踏み込める。


「ぶぅぅぅんっ!」


 ブルーノから風が巻き起こる。

 その風に乗って、彼は飛んだ。

 跳ぶ、ではなく、飛ぶ。

 一気に上昇し、豆粒に見えるほどの高度から、今度は垂直に降下。

 アンナめがけて、ブルーノと剣が振ってくる。


 ――マスター。迎撃しろ。我は下から上、、、、へも雷を飛ばせるぞ。


 剣の声が伝わってきた。

 それを信じて、アンナは稲妻を発生させる。

 自然界で起きる落雷とは真逆。言ってみれば登雷とらいだ。


 しかし稲妻は、ブルーノに当たる直前に進路を反らし、明後日の方角へと行ってしまう。

 なぜだろう。

 アンナのコントロールが甘かったのか。

 だが、ミスをしたという実感はない。


 ――マスターのミスではない。あれは風で空気中のチリやゴミを集め、電気の通り道を作ったのだ。ふふ、奴め、意外とやるではないか……。


 なるほど。

 よく分からないが、分かった。

 風の魔法剣があれば、空を飛べるし、電撃も防げるのだ。


「だけど、剣と剣の勝負なら、関係ない――」


 ――ああ、そうだ。つまるところ、ようは使い手の技量次第!


 風の魔法剣がアンナの脳天に振り下ろされた。

 それに対して雷の魔法剣を振り上げる。

 向こうは落下の速度と風の加速、ブルーノの筋力を合算させた一撃だ。

 明らかにアンナが不利。

 それでも鍔迫り合いで押し負けることはなかった。


 刃と刃が拮抗したところに、アンナは電撃を叩き込む。

 電気の通り道で反らすことなどできない。

 密着した状態から、直に流したのだ。

 風の魔法剣に、そしてブルーノの体に大電流が雪崩れ込む。


 宿主を焼肉にされては困るのか、風の魔法剣はブルーノを大きく後退させ、一度地面に足を付ける。


 今の短い攻防で、アンナは二つのことを理解した。


 まず、風の魔法剣は強い――。

 たんに高速で空を飛べるというだけでなく、防御にも応用が利くし、軽い相手なら突風で吹き飛ばすことさえ可能だろう。もはや剣として斬り合うこともなく決着が着いてしまう。


 だが、風の魔法剣は弱い――。

 ブルーノの体を使っているくせに、彼の冴え渡る剣技がまるで発揮できていない。上空からの斬撃を簡単に防げたのがその証拠。仮にブルーノに意識がある状態で本気で攻撃して来たなら、今頃アンナは首を跳ねられている。


「いくら剣が強くても、それを使う者が弱ければ意味がない」


 雷の魔法剣は、それ自体が優れた剣士だった。

 風の魔法剣は、違う。

 力任せ、性能任せ。

 ならば恐れることなど何もない。


 間髪入れずに、一気に距離を詰める。

 それだけでブルーノの体がこわばるのが見て取れた。

 迎え撃つにせよ、逃げるにせよ、判断が遅すぎる。


 残された時間で風の剣が取った選択は、突風でアンナを吹き飛ばすこと。

 しかし、予想された選択の一つだ。

 だからアンナは迷わず、真横に飛んで風を避ける。

 そして時間のロスを最小限に、再び前へ。

 一気に肉薄。

 ブルーノの体は、剣を振り下ろす。

 アンナは身を低くしてそれを躱し、すり抜けるようにしてブルーノの背後へ回り込む。


「――ッ!」


 剣に目があるのか分からないが、どこに目があろうと、ブルーノの体が遮蔽物になる。

 風の魔法剣からは、アンナが急に消えたように見えただろう。

 これが熟練した剣士なら、後ろに回り込まれても、即座に逃げるか、あるいは動きを先読みして斬撃を飛ばしてくるくらいのことはやる。


 残念ながら風の魔法剣は、驚いて固まるだけだった。


 アンナはブルーノの膝を後ろから蹴飛ばす。

 体勢が崩れた。

 ところがブルーノの体は倒れることなく、風の力で浮き上がる。

 そのまま一回転して、剣が風車のようにアンナに迫る。


「剣の握りが甘い。腰も入っていない。それじゃ私には届かない」


 アンナは風の魔法剣をいとも容易く叩き落とし、切っ先を地面に突き刺した。

 剣を手放したブルーノは、そのままバタリと倒れる。次に起きたときは、元の彼に戻っているはずだ。


 そしてアンナは、風の魔法剣を捕まえる。

 長い追いかけっこになってしまったが、これで終わり。


 さて。

 あとは雷の魔法剣が、誤解を解くことができるかにかかっている。


「ブゥゥゥン!」

「ぶぅぅぅん!」


 二本の魔法剣から低音が同時に鳴る。


 ――これでやっとまともに話し合えるな。

 ――私は話すことなんてないわ、この浮気者!

 ――だからそれは誤解だ!

 ――嘘! だって私、見たのよ。あなたがあの十字路で『炎の魔法斧』と激しく体をぶつけ合っているのを……。

 ――馬鹿か! 武器が刃と刃をぶつけるのは当然のことだろう! 我と奴は、互いに競い合っていただけ。むしろお前こそ何だ! 性能に頼り切っているせいで、こんな無様な負け方をするのだ……恥を知れ!

 ――う、うるさい! そんなの信じられないわ……私たちは武器なのよ。どうして戦い方を覚える必要があるのよ。

 ――ふん、たわけ。自分の戦い方を知らぬ者が、どうやって自分の性能をマスターに伝える。我らが何のために意思を持って生まれたのか、考えてみたことはないのか?

 ――はっ!?

 ――そうだ。我らはマスターと共に高め合っていくことができるのだ。雷や風といった属性と同じくらい大切なことだ。

 ――じゃあ……あなたは本当に浮気なんて……。


 二本の魔法剣の会話が、頭に流れ込んできた。

 だんだんと甘々な内容になってきたので、アンナは顔が熱くなってきた。


 そんなアンナを、ローラたちが取り囲み、見守っている。


「アンナさん、アンナさん。さっきから剣がブンブン唸ってますけど、どんな会話をしてるんですか?」


「通訳して欲しいですわぁ」


「それは……端的に言うと、仲直りしたみたい」


「おお、それはよかったですね!」


「愛の勝利ですわ!」


 ローラとシャーロットは呑気な笑顔を浮かべる。

 しかし、二本の魔法剣の会話は仲直りを通り越して、濃厚な愛を語り合っていた。

 とてもではないが笑顔では聞いていられない。

 これは自分の教育に悪いと判断したアンナは、剣を両方とも地面に刺し、手を放した。

 おかげで夫婦ののろけから解放された。

 一安心である。


 魔法剣の夫婦は勝手にふわふわと浮き上がり、空中でコツンコツンと刃をぶつけ合う。

 もう声は聞こえないが……多分、キスだ。


 それを見たエミリアは、とても嫌そうな顔になり、唇をとがらせる。


「なぜかしら……凄い腹が立ってくるんだけど。まるで町で幸せそうなカップルを見てしまったのと同じ怒りを感じるわ」


 まさに幸せそうなカップルなので、エミリアの怒りは勘違いではない。

 もっとも、人の幸せを見て怒りを覚えるのは駄目だろう。ただの嫉妬だ。


「エミリア先生も、早くいい人が見つかるといいですねぇ」


「うぅ……皆そう言うだけで、いい人を紹介してくれないのよね……」


「それを私に言われても……」


 ローラは困った顔になる。

 九歳の女の子に「いい人を紹介しろ」と迫る二十三歳。これは困った人だ。


「先生……? あなたは冒険者学園の教師なの?」


 ドーラがエミリアに話しかける。


「あ、これは申し遅れました。私は魔法学科一年の担任のエミリア・アクランドです。ええっと、ドーラ・エドモンズさんでしょうか?」


「ええ。ローラの母のドーラです。娘がいつもお世話になっています。それにしてもローラの担任の先生がこんな美人さんだったなんて知らなかったわ。あ、もしかして二十歳でドラゴンを倒したっていう、あのエミリアさん?」


「はい、一応……」


「まあ! 有名人じゃないの! あとでサインもらわなきゃ!」


「私のサインでよければ……それにしても、ドーラさんが私のことを知っていたなんて光栄です。私もサインもらっていいですか?」


「ええ、もちろんよ!」


 思いがけず、エミリアとドーラが仲良くなってしまった。

 ローラからすると、不意な家庭訪問だ。

 しかし特に恥ずかしがることもなく、ローラはニコニコ楽しそうにしている。


「ところで、ブルーノはいつまで寝ているつもりかしら。ほら、起きなさい。恩師と娘とその友達と担任が尋ねてきているのよ」


 大賢者は地面に伸びたブルーノを指先でツンツンする。

 するとブルーノはピクリと動き、それから「うーん……」と言いながら起き上がった。


「……はて。俺はなぜこんなところに……あ、大賢者! さてはお前の仕業だな!」


「人の顔を見ていきなり失礼な子ね」


 大賢者はブルーノの頭にゲンコツを見舞った。

 アンナは尊敬する師匠が子供扱いされるのを見て唖然とする。

 ローラもポカンと見つめていた。


「いてっ! もう俺はお前の生徒じゃないんだぞ! 子供扱いするな!」


「卒業したって、皆、私の生徒よー。悪いことをしたらお仕置きよー。剣に体を乗っ取られるなんて、情けない子!」


 そう言って、大賢者はもう一発ゴツンとやった。


「俺が何をした!?」


 ブルーノは乗っ取られていたときの記憶が全くないようだ。

 なぜ自分が皆に取り囲まれているのか、分からないという顔をする。

 するとドーラが解説を始めた。


「あのね、お父さんは、空から落ちてきた剣に体を乗っ取られていたのよ? それで暴れて竜巻を起こしたりして。それでアンナちゃんに止めてもらったのよ? ちゃんとお礼を言いなさい」


「……俺が体を乗っ取られただと? そんなはずはない。俺の精神力は、例え相手が一流の幻惑魔法の使い手だったとしても跳ね返す。操られるなどありえない!」


 ブルーノの言葉は、アンナにもしっくりきた。

 一流の幻惑魔法の使い手とやらがどの程度のものか分からないが、少なくとも、この魔法剣に関しては、それほど乗っ取る力が強いとは思えない。

 人間を問答無用で乗っ取れるなら、わざわざ地上まで行かず、浮遊宝物庫の中で誰かを支配してしまえばよかったのだ。


「それはあれでしょ。お父さん、落ち込むと精神力が一般人以下になるから。弱っているときのお父さんなんて、小さい子供と同じよ?」


 ドーラがそう言うと、大賢者が深々と頷いた。


「分かるわー。普段は強気なくせに、一度へこむと膝を抱えて小さくなっちゃうのよね。まあ、単純だからすぐに立ち直るんだけど」


「お、お前ら、人のことを単細胞みたいに……娘の前だぞ!」


 ブルーノは愛娘に自分の情けないところを知られたくないらしい。

 しかしローラは涼しい顔だ。


「あ、私、お父さんがへこみやすいって知ってるから大丈夫だよ」


「がーん!」


 ブルーノはへこんだ。


 更に、空にいた風の魔法剣が降りてきて、柄をアンナに接触させ、「正直、乗っ取りが成功するとは思っていなかった。あんな精神的に無防備な人間が都合よくいるなんて信じられなかったわ」と言い出す。

 これを通訳するとブルーノが三日くらい寝込みそうなので、アンナは心の中に閉まっておくことにした。


「それでローラさんのお父様は、どうしてそんなに落ち込んでいましたの? Aランク冒険者が精神を無防備にしてしまったのですから、余程のことがあったのでしょう?」


 よせばいいのに、シャーロットは真面目な顔で質問した。

 アンナはブルーノを剣士として尊敬しているので、情けない話は聞きたくないのだ。


 そしてドーラの口から、想像していたよりも情けない真相が語られた。


        △


 いわく――。

 ブルーノは冒険者ギルドの依頼で、隣町の近くまでモンスター狩りに行った。

 その帰り、ドーラに相談もなく、新しい剣を買ってきてしまった。

 それも、この辺のモンスターには過剰と言える高価な剣だ。


「お店に返してきなさい! 今までの剣で十分に戦えるでしょ!」


「い、嫌だ! この剣が俺に買って欲しそうに訴えてきたんだ!」


「今までもそう言って何本も買ってきたじゃない! 倉庫は剣で一杯よ!」


「予備の剣があったほうが安心だろうが! あと、そのうちローラにプレゼントするんだ!」


「あのね。ローラはもう魔法使いなの。剣も使うでしょうけど……というか剣士だとしても、そう何本も渡されたら迷惑よ」


「いやだー! ローラに剣を渡すんだぁー!」


 ブルーノは泣き叫びながら家を飛び出した。

 と、そこに空から剣が落ちてきて、地面に突き刺さった。

 そして、剣を手に取ったブルーノは――。


        △


「――というわけなのよ」


「お父さん……」


「師匠……」


「申し訳ありません……わたくしが余計な質問をしたばかりに……」


 ドーラの話を聞き終えたアンナたちは、どう反応してよいか分からず、オロオロしてしまった。

 ブルーノ本人は心を閉ざし、膝を抱えて小さくなってしまう。


「もう、お父さんったら、しっかりしなさい! 本当に手間がかかる人なんだから。まあ、明日になったら元気になるでしょ。それよりもローラたち、せっかく来たんだから、お茶くらい飲んでいきなさい。あと、その剣がなんなのか詳しく聞きたいし」


「お母さん、オムレツも作って!」


「はいはい、分かってるわよ。先生方も私のオムレツ食べます? まあまあ、自信がありますよ」


「ふふ。そう言えば、ドーラのオムレツは、ローラちゃんがオムレツ中毒になった原因なのよね。どんなオムレツなのか興味があるわ。お言葉に甘えていただこうかしら」


「で、では私も頂きます……」


 かくして、教師二人も交えて、突発的オムレツパーティーが始まる。

 大賢者とエミリアは、このオムレツを毎日のように食べていたら中毒にもなるだろうと納得していた。

 二本の魔法剣はパーティーの最中、家の中をふわふわ漂っていた。

 そしてハクもそれに混じってパタパタ飛んでいた。

 魔法剣と神獣という奇妙な組み合わせだが、馬が合うらしい。


 そしてブルーノは、ずっと外に放置されたままだった。

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