第142話 禁断の装備
戦士学科の一年生たちは、大変な名誉を受けていた。
なんと学長にして、伝説の英雄。かの〝麗しき大賢者〟カルロッテ・ギルドレアがラーメンを食べに来たのだ。
アンナにとっては見慣れた存在だが、他の一年生からすれば憧れの存在。
今までで一番接近したのが遠足のとき、という生徒がほとんどだ。
そんな大賢者が、自分たちの教室にラーメンを食べに来てくれた。
末代まで語れる武勇伝だ、と感涙する者すらいた。
誰がラーメンを作るか、誰が運んでいくかを賭け、ジャンケンを始める始末。
そして大賢者は、ラーメンをスープまで飲み干し完食。
「美味しかったわぁ」
と呟いた瞬間、歓声が上がった。
ところが、大賢者の次の言葉で雲行きが怪しくなる。
「お腹いっぱいになったら眠くなっちゃった……ちょっとお昼寝させてね」
大賢者はそんなことを言って、代金も払わず、机につっぷして居眠りを始めてしまったのだ。
「うーん……美味しいと言ってくれたのは嬉しいけど、こんなところで昼寝されたら邪魔だわ……」
「まだ並んでるお客さんがいるのに……」
「まさか大賢者を邪魔に思う日が来るなんて……」
ラーメンを作る係の男子も、接客担当の女子も、困惑を隠しきれない。
しかしアンナに言わせれば、大賢者はこんなものである。
戦士学科一年生たちは、いかにして大賢者にお退き頂くかを話し合う。
だが、新たな異変によって、その必要もなくなってしまった。
「あれ? 行列がない?」
その呟きを聞いて、アンナも廊下へと視線を向けた。
すると、本当にあの長い行列が綺麗さっぱり消えていた。
そんな馬鹿な、と瞬きしてみたが、ないものはなかった。
これで大賢者に席を一つ占領されても大丈夫になったが、しかし、客が途絶えたというのはそんなものとは比べものにならない大問題だ。
「どういうこと? そんな急激にラーメンの人気が落ちるわけないんだけど」
アンナは首をかしげる。
かつてラン亭を盛り上げるため、冒険者ギルドの前で屋台の営業をしていたときのことを思い出す。
あのときはパスタ屋がラン亭を潰すため、高価な薬草入りのパスタを原価割れで売り、客を奪っていた。
だが流石に、学園祭でそこまでやるクラスはないだろう。
それに今は、ラーメンの美味しさだけでなく、ニーナの可愛らしさで客を呼んでいるのだ。
ほとんど無敵に近いはずなのだが……。
「あ、そうか。ニーナと同格の可愛らしさを持ってる者がいた」
アンナはポンと手のひらを叩く。
すると、クラスメイトたちも合点がいったという顔になる。
「そ、そうか……ローラちゃんがいたわね!」
「さっきシャーロットと一緒に来てたけど……メイド服可愛かったぁ」
「あれなら確かに客が流れていくのも無理ないなぁ」
そう。
ローラの可愛らしさは反則なのだ。
ニーナも同格なのだが、投入するタイミングが早すぎた。
人間、新しいものに飛びついてしまうのである。
「わ、私はどうしたらいいの……?」
ニーナはお盆を持ったままオロオロする。
客が減ったことに責任を感じているようだ。
「大丈夫。ニーナは悪くない。今まで通り、接客を続けて」
アンナはニーナの頭を撫でながら指示する。
実際、ニーナに非はまるでない。
ただの助っ人なのに一生懸命働いてくれて、頭を下げたいくらいだ。
よって彼女にこれ以上を期待するのは筋違い。
戦士学科一年で知恵を絞り出すのだ。
「どうしよう……ローラちゃんをオムレツで釣って、こっちに引き抜くとか?」
「そんなん、シャーロットだってオムレツを用意して連れ戻すだろ」
「ローラちゃん、二つのオムレツの間で揺れ動いて二つに割れそう……」
「その理屈でいくと、オムレツの数だけ分裂しなきゃいけないでしょ」
「しそう……」
「いやいや、流石に」
「でも、ローラちゃんが沢山いたら楽しそうよね。一人欲しいわ」
「あ、わたしもー。連れて帰るー」
だんだん話が脱線してきた。
やはりローラ恐るべし――。
と、感心してばかりもいられない。
何か策を考えないと、お客さんが戻ってこない。
もちろん、これはあくまで文化祭の出し物だから、負けたところで何かあるわけではない。
しかし、負けるというのは単純に悔しい。
「あ、そうだ。ここにいるのも何かの縁。せっかくだから協力してもらおう」
アンナは居眠りする大賢者を見て思いついた。
「え、アンナ。どういうこと?」
クラスメイトに質問されたので、アンナは作戦をざっくり説明する。
「学長先生は知名度抜群。そして美人。学長先生を店員にすれば、きっとお客さんが戻ってくる」
「なるほど! でも協力してくれるかな……?」
「お願いしてみる」
アンナは他の生徒と違い、大賢者とは友達のようなものだ。
会話するのも慣れている。
「学長先生。起きて起きて」
アンナは、すぴーすぴーと寝息を立てる大賢者の肩を静かに揺する。
すると大賢者は、むにゃむにゃ言いながら体を起こした。
「あら……私ったらいつの間に」
「寝るってガッツリ宣言してから寝てたよ」
「そうだったかしら? そんな気もするわ」
「まだラーメンの代金ももらってない」
「ごめんなさい。今払うから」
「あと、学長先生が長時間に渡って席を占領したから、お客さんの回転が悪くなった。だから迷惑料としてラーメン百人分を要求する」
「え、ええ……そんなに持ち合わせはないわよぅ」
高利貸しも真っ青なアンナの要求に、大賢者は困り顔になる。
クラスメイトたちも目を点にしていた。
「払えないなら、体で払ってもらう」
「アンナちゃん。そんな言葉、どこで覚えてくるの?」
大賢者は苦笑いを浮かべた。
「つべこべ言わない。学長先生には、ラーメン屋の店員として働いてもらう」
「ああ、そういうこと。それならオッケーよ。前にもラン亭を手伝ったことあるし。チェイナドレスは嫌いじゃないし」
「よしきた。丁度チェイナドレスが一着余ってるから、着替えて」
アンナは教室の隅の袋から、予備のチェイナドレスを取り出し、大賢者に渡した。
そしてカーテンを外す。女子たちがそれを持って広げ、仮設の更衣室を作った。
「ここで着替えさせようっていうの? アンナちゃん、なかなか押しが強いわね」
「学長先生の度胸ならいける」
「ふふ、ありがとう」
大賢者は微笑み、チェイナドレスを持ってカーテンの奥に消えた。
その様子を、男性の客たちが凝視している。いや、クラスの男子も同様だ。
なにせカーテンで仕切られていても、学長先生のナイスバディなシルエットが少し透けて見えるのだ。
普通ならこんな場所で着替えるのは恥ずかしい。
しかし大賢者は三百年近い時を生きる存在。
人間の精神など超越しているのだ。
と、思いきや――。
「ちょ、ちょっとアンナちゃん……このチェイナドレス、誰が作ったの……? スリットが深すぎるし……背中丸出しじゃない……」
カーテンの奥から、羞恥心に染まった大賢者の声が聞こえてきた。
「私たちが着ているチェイナドレスは全部、ランさんに教えてもらいながら自分たちで作った。それは余った布で悪ふざけで作った物。だから布面積が小さい。常人の精神力では装着できない、禁断の装備」
「私の精神力でも無理っぽいんだけどぉ?」
「いける。生着替えで男たちの視線を釘付けにしている学長先生ならいける」
「いや、しょせんはカーテン越しだから。これを着て人前に出るほうが一億倍は恥ずかしいから」
「つべこべ言わないで早く着て。もし逃げたりしたら、大賢者がラーメン代を踏み倒したって王都中に言いふらす。きっとローラにも白い目で見られるよ」
「……アンナちゃん、あなたきっと将来、大物になるわね……」
大賢者は観念したらしく、ガサゴソと今着ている服を脱いでいく。
その様子を廊下から見た男性は、例外なく教室に入ってきた。
「大賢者が生着替え中なんだよ……」
「マジかよ嘘だろ……」
なんてヒソヒソ声が聞こえてくる。
男子だけでなく女子生徒まで顔を真っ赤にして、その様子を見守る。
「うわぁ、学長先生、シルエットだけでも凄い体……同性だけど……揉みたい……!」
「私だったらこんなの恥ずかしすぎて死んじゃう……やっぱり大賢者って凄いのね」
「しかも
「裸よりはいくらかマシってくらいの服よね……」
「あれは服じゃないわ。布よ、布」
酷い言われようだが、アンナもあのチェイナドレスは酷いと思う。
作っている最中はクラスメイトで盛り上がったが、それは着る者が現れないと思っていたからだ。
アンナだったら死んでも着たくない。
もし自分が大賢者だったら、迷わず次元倉庫を使って逃走する。
なのに約束を守り、律儀に着替えている大賢者……。
教育者の鏡だ。
「アンナちゃん。これ……下着が思いっきり見えちゃうんだけど……?」
「じゃあ下着を付けなきゃいい」
「気軽にいってくれるわねぇ……ええい、こうなったらヤケだわ!」
やはり大賢者は伊達ではない。
普通、ヤケになったら逃げる。
「さあ……着替えたわよ……」
カーテンの向こうから、弱々しい声が聞こえた。
こんな情けない大賢者の声を聞くのは初めてだ。
「カーテンオープン」
アンナの合図で、仮設更衣室は消滅。
恥ずかしい姿の大賢者が露わになった。
「すげぇ……」
誰のものか分からないが、実に端的な呟きが漏れた。
大賢者の現状を、これ以上なく正確に言い表している。
アンナたちのチェイナドレスもかなりスリットが深く太股が露出しているが、大賢者のはそういうレベルではない。一目で『パンツはいてない』と分かってしまう。
そして胸元が大きく空いており、大迫力の谷間がよく見える。凄い景色だ。
いや、谷間だけでなく、横乳も見えている。肌色はそのまま背中へと続いていく。
正面からでは分からないが、背中は完全に裸だ。お尻も割れ目がちょっと見えてしまう。
「なんかさっきより男の人が増えてる……教室の湿度が違うわ……」
大賢者は肌全体を朱色にし、モジモジしている。
何だかアンナまで恥ずかしくなってきた。
「……大丈夫。気にしなきゃいい。かつて魔神と戦ったのに比べたら、容易い試練」
「種類が違いすぎて比べられないけど……多分、人生で一番恥ずかしいわ……」
大賢者はチェイナドレスを引っ張り、何とか露出を減らそうと頑張っている。
その仕草がたまらなくエロい。
男たちの視線は釘付けだ。
むしろこれは女性でも見てしまう。
とてもではないが、大賢者は接客できる状態ではなかった。
しかし大賢者はそこにいるだけでいいのだ。
男性客が勝手に集まってくる。
大人の色気。
これはローラにはない要素だ。
戦士学科一年は、大賢者の大人力を武器に戦うのだ。
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