第110話 ラーメン屋ラン亭です

 武器屋のあと書店に行き、ローラの求めていた小説を全巻まとめて購入した。

 別の世界からやって来た主人公が、歩くだけでレベルが上がって強くなっていき、色んなスキルを使って活躍するというコメディ小説だ。

 タイトルは、『歩くだけでレベルアップ ~一万歩でレベル一万です!~』という。

 とても分かりやすい文体なので、九歳のローラでも読めるのである。


 それにしても、服に本とかさばるものばかり買ったせいで、持ち運ぶのがだんだんとわずらわしくなってきた。そこでローラは次元倉庫に皆の荷物を収納する。


「ロラえもん殿の魔法は便利でありますなぁ」


「へへへー、遠くに旅行に行くときも、次元倉庫があれば楽ちんですよー」


「わたくしも早く次元倉庫を覚えたいですわ!」


「それはそうと、そろそろお昼ご飯の時間」


「確かにお腹が減ってきましたね。どこで食べましょう? 私はオムレツが美味しい店がいいと思います」


「ローラさん。たまにはオムレツ以外の物も食べたほうがいいですわ。せっかく王都に沢山の飲食店があるのですから」


 シャーロットが呆れたように言う。


「むむ。別にオムレツばかり食べてるわけじゃないですよ。ただ、オムレツを食べる頻度が、他の料理に比べてちょっぴり多いだけです」


「ローラさんの生まれた町ではあれを『ちょっぴり』と言うのかも知れませんが、王都では『もの凄く』と表現するのですわ」


「いや、そんな……私がいつもオムレツを食べているというイメージが付いてしまっているだけで、実際はそこまでじゃないはずです。例えば……ほら。先週一回、オムレツを一食も食べない日があったはずです……」


 ローラがそう言うと、皆の冷ややかな視線が突き刺さってきた。

 なにやら頭の上でハクまでもが「ぴぃ……」と切なげに鳴いている。

 そしてローラ自身、自分で言っておきながら『私ってオムレツを食べ過ぎなのでは』と疑問を覚えてしまった。


「分かりましたよ! お昼はオムレツ以外です! 誰かこの辺でオススメの店を知っていますか!? オムレツ以外で!」


「ロラえもん殿。そうヤケにならなくてもいいでありますよ」


「別にヤケじゃないです! 私だって他の料理を食べたくなるときだってあります! それを証明してみせます!」


 実際ローラは、オムレツ以外の料理を食べても、ちゃんと美味しいと感じることができる。

 オムレツにしか味覚が反応しない奇病にかかっているわけではないのだ。

 イチゴパフェなんかも好物の一つだ。

 あとこの前、森の中で食べたリンゴも美味しかった。

 クリームシチューだって大好きだ。

 ただ、その中でもオムレツが特別に好きだというだけの話。

 誰にだって特別なものの一つや二つあるだろう。


「気合いたっぷりでありますなぁ。それなら、あっちの方角から美味しそうな匂いがしてくるので、そこに行くであります。嗅いだことのない匂いであります」


「美味しそうな匂い……? わたくしは全く分かりませんが……」


「私も、匂いなんてしない」


 シャーロットとアンナは鼻をクンクンさせる。

 ローラも真似してみたが、やはり匂いは分からなかった。


「獣人の嗅覚は人間より凄いであります。騙されたと思って付いてくるでありますよ」


 そう言ってミサキは歩き出してしまった。

 放置するわけにもいかないので、ローラたちは彼女を追いかける。


 それにしても、はたしてどんな料理が待っているのだろう。

 ギルドレア冒険者学園の食堂は、かなり豊富なメニューを取りそろえている。そこで働いているミサキでも知らない匂いということは、とても珍しい料理に違いない。


「こっちであります、こっちであります」


 ミサキは商店街を離れ、細い路地に入っていった。

 周りは住宅ばかりだが、本当にこんなところに飲食店があるのだろうか。

 と、ローラがミサキの嗅覚を疑い始めたとき、黄色い看板が見えた。


「ここであります! この建物から匂いがするであります!」


「おお……確かに、ここまで来れば私にも匂いが分かります!」


「美味しそうですけど、初めて嗅ぐ匂いですわぁ」


「凄い。ミサキがいなかったら絶対に見つけられなかった」


「ぴー」


 その店の入り口は引き戸になっていた。

 ガラスから見える店内には、カウンター席が並んでいる。

 他のお客さんはいないようだ。

 そして黄色い看板には『ラーメン屋 ラン亭』と書かれている。


「はて……ラーメン。聞いたことのない名前ですねぇ」


「わたくし、生まれたときからずっと王都にいますが、こんな店、見たことも聞いたこともありませんわ」


「同じく」


「しかし、この香りでハズレということはないはずでありますよ。とりあえず入ってみるであります!」


 ローラたちが迷っていると、ミサキは一人で扉を開けてしまった。

 実にアグレッシブな獣人だ。

 もっとも、彼女が先陣を切ってくれたおかげで、ローラたちも店に入る決心ができた。

 これで仮に不味かったとしても、話のネタになる。

 あとで学食のオムレツで口直しすれば問題ない。


「ごめんくださいであります。誰もいないのでありますか?」


 ミサキの問いかけに誰も答えない。

 店内はシーンと静まりかえっていた。

 もしかしたら休業日だったのかもしれない。


 と思いきや、カウンターの奥の部屋から、若い女性が現れた。

 おそらく二十歳前後。

 着ている赤い衣装は、見たことのないデザインだ。


 ボディラインをとても強調しており、更に深いスリットから両脚が太股まで見えている。

 実にセクシー。

 ローラは衣服の知識に乏しいが、何となく『大陸の東側から伝わってきたのかな?』と思った。


「あのぅ……何の用でアルか?」


 セクシーなお姉さんは、ローラたちを見つめながら不思議そうに首を傾げた。

 ローラたちも首を傾げてしまう。


「ここは飲食店じゃないんですか? 私たち、お腹が減ったんですけど……」


 ローラがそう答えると、お姉さんはギョッとした顔になった。


「ま、まさかラーメンを食べに来てくれたアルか!?」


「はい……いい香りがしたので……もしかして、まだ準備中ですか?」


「いえ! 大丈夫アル! いつお客さんが来てもいいように、スープは毎日仕込んでいるアルよ! それで! ご注文は何になさるアルかっ!?」


「えっと……メニューは……」


「ああ、申し訳ないアル! メニューはそこの壁でアル!」


 登場したときは眠そうな顔だったのに、こちらが客だと知った途端、えらいハイテンションになった。

 よほどお客さんが不足しているらしい。


 客が入っていないと言うことは……もしかして、この店は失敗だったのだろうか。

 しかし、今更出ていくのも悪いので、とりあえず何か頼むしかない。


 メニューを見ると、『ラーメン』の他に『チャーシューメン』『ワンタンメン』『ネギラーメン』があった。

 書かれてある値段は並盛りのもので、大盛りにすると少し高くなるようだ。



「うーん……私はラーメンの並盛りで」


「わたくしも同じく」


「私も」


「私はチャーシューメン大盛りであります!」


「ぴー」


「ハクは私のを分けてあげますよ」


 というわけで、ラーメン並盛り三つに、チャーシューメン大盛り一つだ。


「かしこまりましたアル! すぐに作るアル!」


 お姉さんはまた奥の部屋に消えていく。

 どうやら奥に厨房があるらしい。

 はたしてラーメンとはどんな食べ物なのだろうか。

 待っている間に想像してみよう。

 店内にヒントがあるかもしれない。


「……この入れ物に、細い木の棒が沢山ささってますけど、これは何なんでしょうか?」


 ローラがカウンターの上にある物体を見つめていると、ミサキが口を開いた。


「それは箸でありますよ。オイセ村でもたまに使うであります」


「箸?」


「こうやって二本の箸で、つかみたい物を挟むであります」


 箸を手に取ったミサキは、器用に操る。

 実に複雑怪奇な指の動きだった。

 ローラたちも真似してみたが、上手くいかない。


「大陸の東方では、フォークよりも箸が普及しているらしいであります。実はオイセ村の獣人は、大昔に東方から移動してきたらしいであります。だから箸も伝わっているであります。しかし、大賢者殿ですら箸を使ったことがないと言っていたので、まさかこんなところでお目にかかるとは思わなかったでありますよ」


「へえ、ミサキさんの話は勉強になりますねぇ」


「……オイセ村の歴史だけで、一冊本が書けそうですわね」


 神獣が住んでいたり、大賢者と仲良しだったり、実は起源が東方だったり、モフモフだったりとエピソードに事欠かない。

 今はまだ人間と獣人の間に溝が残っているが、もう少し時代が進めば、どこかの学者が本当に本にするかも知れない。


「はい、ラーメン三つにチャーシューメン一つ、おまちどおさまアル!」


 お姉さんがお盆に四つのどんぶりを入れて帰ってきた。

 熱々の湯気が上がっている。

 そしてローラたちの前に、それぞれのどんぶりが置かれた。


 琥珀色のスープに、クリーム色の麺が浮かんでいる。

 ネギや卵、チャーシューなどの具が浮かんでいて、見た目が綺麗だ。

 パスタとスープを合体させたような食べ物と言えばいいのだろうか。

 しかし、匂いはラーメンのほうが遥かに香ばしい。


「ミサキさんのはチャーシューが多いですね!」


「そりゃ、チャーシューメンというくらいでありますからなぁ」


「ぴー」


「あ、ハクには私の分を分けてあげるんでした」


 ハクはローラの頭から、カウンターの上にぴょんと飛び降りた。

 それを見て、ラーメン屋のお姉さんは目を丸くする。


「この辺ではドラゴンを飼うのが流行アルか!?」


「あ、いえ……この子はドラゴンそっくりですが、ドラゴンじゃありません。別の生き物です。とても大人しいので、安心して下さい」


 神獣だと説明すると話が長くなりそうなので、ローラは真実の一部だけを語った。

 お姉さんはそれで納得してくれたらしく、ホッと胸を撫で下ろす。


「それで、この子にもラーメンを食べさせてあげたいので、小さいお皿か何かをもらえませんか?」


「お安いご用アルよ」


 お姉さんは小さいどんぶりを持ってきてくれた。

 ローラはそれに麺を入れる。

 箸を操るのは難しかったが、さっきミサキが披露してくれたのを思い出し、何とか成功させた。


「スープはこのレンゲですくうといいアル」


「ははぁ、これはレンゲというんですか」


 レンゲは箸入れの隣の容器に沢山入っていた。

 随分と妙な形のスプーンだなぁ、と思っていたが、これも東方の食器なのかもしれない。


「ほら、ハク。これがあなたの分ですよ」


「ぴー」


 ハクは嬉しそうに翼を広げた。


「ローラさん、早く食べたほうがいいですわよ! このラーメンという食べ物、大変美味ですわ!」


「初めて食べる味。人生の新たな一ページ」


「オイセ村にもラーメンは伝わっていないであります! 幻の料理であります!」


 既にローラ以外の三人はラーメンに手を付けていた。

 箸で麺をズズズズとすする姿は行儀が悪い。

 が、なぜか理に適っているようにも見える。


「では私も、いただきます!」


 ローラは期待を込めて麺を口に運ぶ。

 瞬間、ローラの舌に膨大な旨味成分の情報が流れ込む!


(お、美味しすぎる……! 箸が……止まらない!)


 ふと気が付けば、ローラは麺をズズズズと啜っていた。

 音を立てて食べるなんて行儀が悪いと分かっているのに、自然とそうなってしまうのだ。

 まるで、これが正しいラーメンの食べ方だと体が知っているかのように。


 そしてレンゲでスープを飲む。

 最初はその熱さに驚いた。

 こんな熱々のスープは、飲んだことがない。

 しかし、すぐに慣れてしまう。

 癖になる味だ。


「ぴー」


 ハクもどんぶりに頭を入れ、器用に麺をすする。

 そしてあっという間に食べてしまった。


「ぴーぴー」


「え、もっと欲しいんですか? でも……」


 これ以上ハクにあげたらローラの分がなくなってしまう。

 いくらローラの体が小さいとはいえ、運動量が多い分、それなりに食べるのだ。


「うーん、どうしよう……」


「ロラえもん殿。私のラーメンをハク様に献上するであります」


「え、いいんですか、ミサキさん」


「私はハク様に仕える巫女であります。ハク様がラーメンを欲しているなら、分けてあげるのが当然であります」


「おお、ミサキさん、立派です!」


 ミサキはハクのどんぶりに自分の麺とチャーシューを入れた。入れたあとに、少なくなってしまった自分のラーメンを見つめ、悲しそうな顔をした。


「もっと食べたかったであります……」


 ミサキは神獣ハクのために、己を犠牲にしたのだ。

 その献身は、きっとハクの心にも届いている。


「ぴー」


「ハクが〝ありがとう〟と言っていますよ、ミサキさん」


「ハク様に喜んでもらえるなら、本望であります……!」


 ミサキは真剣な表情で語る。

 自分のラーメンを神に捧げるという、新たな巫女の役目が誕生した歴史的瞬間だ。


 しかし、それにしてもラーメンは美味しい。

 無論、オムレツには一歩劣るが……半歩……。

 いや、ローラは断言できる。

 このラーメンより美味しい食べ物は、母親の作ったオムレツだけだ、と。


「はぅ……ご馳走様でした。ラーメンって初めて食べましたけど、とっても美味しいんですね!」


「学食のメニューに採用したいくらいでありますよ」


「わたくしの実家のシェフもこんな素晴らしいものは作れませんわ」


「教会の子たちにも食べさせてあげたい」


「ぴ!」


 全員が大絶賛である。

 当然だろう。

 本当に絶品だった。

 昼時なのに、どうして他にお客さんがいないのか不思議なほどだ。

 そうやってローラが心地好い満腹感に浸っていると、突然、お姉さんの頬を一筋の涙が流れたではないか。


「ど、どうしたんですか!?」


「うぅ……皆が美味しいって言ってくれたのが嬉しいアル……店を開いてから半月……初めてのお客さんアル……」


「え、私たちが最初だったんですか!?」


 これは驚きだ。

 ラーメンはこんなに美味しいのに。

 一体、何が原因なのだろうか。


 しかし考えてみれば、ローラたちもミサキの嗅覚がなければここに辿り着かなかった。

 これは宣伝の方法に重大な問題があるに違いない。


「毎日赤字アル……このままでは店をたたんで国に帰るしかないアル……」


 お姉さんは手で涙を拭いながら呟いた。

 それを聞いてローラは心臓が飛び出しそうなほど驚いた。


「だ、駄目です! 私たちはもうラーメンの味を知ってしまったんですよ! もうラーメン無しじゃ生きていけない体なんです……そんな体にしておきながら王都からいなくなるなんて……」


「そうですわ! 非人道的ですわ!」


「もっとお客さんを呼ぶ努力をするべき」


「私たちも協力するでありますよ」


「ぴー」


 全員が必死だった。

 お姉さんがこのまま東方に帰るというなら、そのまま追いかけて行きたいくらいラーメンを食べたいのだから。

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