第103話 学長先生からのメッセージです
ふと気が付くと、ローラは草原に着ぐるみパジャマで寝そべっていた。
時刻も夜ではなく真っ昼間。
はて、とローラは首を傾げる。
無人島から寮の自室へ。そして今度は、いきなり草原へと場面が切り替わった。
なにやら、絵本の世界に迷い込んだような気分だ。
どこからどこまでが夢なのか分からない。
もしかしたら、遠足そのものからして夢だったのではなかろうか。
幸いにも自分を挟むようにして、これまた着ぐるみパジャマのシャーロットとアンナが眠っている。
ハクも近くで丸くなっていた。
仮に夢の中だとしても、一人よりは仲間がいた方が心強い。
「おーい、二人とも起きてくださーい。夢の中で起きてくださいというのも変ですけど、起きてくださーい」
ローラは二人の肩を揺すったり、ほっぺをムニムニしたりして睡眠の邪魔をする。
「んん……何ですの?」
「地震?」
シャーロットとアンナはむくりと起き上がり、そして周囲をキョロキョロ見回した。
夜だったのに昼。
寮で寝ていたはずなのに草原。
そんなありえない光景を前にして、二人は同じ結論に達する。
「ああ、夢ですのね。今日はローラさんだけでなくアンナさんまで夢に出てくるなんて、素敵ですわぁ」
「同感。いつもローラしか夢に出てこなかったけど、たまにはシャーロットがいてもいい。三人で寝る」
そう言って二人は左右からローラを抱きしめ、草原にパタリと倒れ込む。
「ふにゃ? 寝ないでくださいよぉ。いや夢の中だからどうやっても現実では寝てるんですけど、せめて夢の中では起きていてください」
「そう言われても……わたくしはいつもローラさんを抱きしめて眠る夢をみているのですわ。どうして起きなければならないのです?」
「シャーロット。夢でも現実でもローラを抱き枕にしているなんてズルイ。私は夢の中だけなのに」
「それが人徳というものですわ!」
「たまたまローラと同じ部屋になっただけのくせに」
「そ、それもまた人徳のなせるわざですわ!」
二人はローラを挟んで謎の言い争いを始める。
「もう。私の夢の中でやかましくしないでください!」
「あら、何を仰いますの? これはわたくしの夢ですわ」
「違う。これは私が見ている夢のはず」
「ぴー」
と、そこにハクも加わってきた。
果たして、この夢は三人と一匹の内、誰が見ている夢なのか。
なんて考えるまでもない。
ローラはこうして自我を持っているのだから、ローラの夢に決まっている。
シャーロットたちがどんなに現実と変わらないように見えても、それはローラの脳が作り出した幻に過ぎないはず。
「実はこれ、私の夢にあなたたちの意識を繋げたものだったりして」
「わっ、学長先生!」
草の上に寝転がっていたローラたちの横に、突然、大賢者が現れた。
彼女はしゃがみ、ニコニコしながらこちらを覗き込んでいる。
いきなり出てきて話しかけくるのは心臓に悪いので、やめて欲しいところだ。
「どこから湧いてきたんですか? 次元倉庫ですか?」
「違うわよ。ここは夢の中なんだから、そんなことしなくても自由に移動できるの。まあ、私の夢だからあなたたちには無理だけど」
「はあ……学長先生の夢でしたか」
「他人の意識を自分の夢に招待する……互いの合意があれば可能だと聞いたことがありますが、わたくしは合意した覚えはありませんわ!」
「でも、学長先生ならどんなことができても納得」
確かに、大賢者という存在にはどんな離れ業をやっても、まぁそんなものかもしれない、と思わせる説得力がある。
しかし、何のためにローラたちを夢の中に連れてきたのだろう。
暇つぶしだろうか?
「ローラちゃんが知恵熱で倒れちゃったから、一番乗りのご褒美をあげてなかったでしょ? 忘れないうちにあげちゃおうと思って」
「おおー。私も気になってたんです!」
「ですが学長先生。あれは一番乗りの人だけでは? わたくしたちが一緒でもよろしいので?」
「本当はローラちゃんだけに見せる予定だったんだけど、ここにいる全員が山頂にいたし、皆一緒でいいかなーと思って」
随分とアバウトな大賢者である。
「それで、何を見せてくれるんですか?」
「それはね、私と先代ハクが百三十年前に魔神と戦ったときの光景よ――」
大賢者がそう呟いた瞬間、周囲の草原が紅蓮の炎で包まれた。
△
魔神とは、生物の負の感情から生まれる。
「死にたい」とか「こんな世界滅んでしまえ」とか、そういう類いだ。
生きている以上、負の感情とは無縁でいられない。
ゆえに感情を持つ生物がいる以上、魔神の発生は回避できない。
今から百三十年前。
大賢者が倒したという魔神は、ファルレオン王国の一地域で発生した飢饉が原因だった。
魔神はまず、とある町の上空に出現。
そこに住む人々の絶望を糧に成長し、そして町を消滅させた。
更に周辺の村々からも絶望を吸い上げ、建物を破壊し、人を殺す。
はたから見れば凄惨な殺戮劇だが、しかしそこに住んでいる人々は、飢餓によって世界に絶望していたのだ。
滅びこそが願い。
そして魔神もまた神。
人々の願いを叶えているだけだった。
とはいえ、もっと気の利いた神なら「死にたい」という願いを馬鹿正直に聴いたりせず食料を差し出すのだろうが、残念ながらそういった神に願いは届かなかった。
負の感情から発生した魔神は、その地域を全滅させてもまだ消えることなく、別の地域へと移動していった。
自分の姿を見て恐れおののく人々の感情を歪めて解釈し、更に破壊を広げていく。
魔神を見て人々はここから逃げたいと願う。
その願いを聞き届けた魔神は彼らを殺戮し、この世界から解放し続ける。
負のスパイラル。それを止めるには魔神を倒すしかないが、人の身で神に勝つなど夢物語だ。
しかし、その夢を体現したような者が、数百年に一度、人類から現れるのだ。
いわゆる突然変異。超人。
とても同じ種とは思えないほど他の人間とは隔絶した力を持つ彼らは、国を征服して王となったり、前人未踏の土地に踏み込み新たな地図を作ったり、暴虐の限りを尽くしたり――善か悪かはともかく、歴史に名を残す。
そして大賢者カルロッテ・ギルドレアは、そんな突然変異の中でもとびきりの強さを持っていた。
自他共に認める、人類史上最強の魔法使い。
ファルレオン王国にとって魔神の出現は不幸以外の何ものでもなかったが、大賢者が住んでいたというのは不幸中の幸いだった。
大賢者は王都に向かってきた魔神に立ち向かい、神獣ハクと協力してそれを討ち滅ぼした。
と、ここまでは教科書に載っている。
だが、実際にその戦いを見た者は、もう残っていない。
なにせ百三十年も昔の出来事だ。
既に歴史上の話。
書籍などから想像するしかない。
大賢者その人を除いては――。
「はい。これが当時の光景よ」
ここは大賢者の夢の中。
だから彼女の当時の記憶がそのまま再現されている。
ローラたちは空飛ぶ絨毯に乗って、上空から魔神の姿を見つめていた。
「あれが魔神……」
「なんて大きさですの……」
「話には聞いていたけど……実際に見ると凄い……」
今までもローラたちは、リヴァイアサンやベヒモスといった大型の敵と向き合ったことがある。
先代のハクも大きかったし、さっき戦ったダイケンジャーだって中々のものだった。
だが、それらが霞んで見えるほど、魔神は大きい。
ゆうにローラの百倍はあるだろう。
そして、その外見は醜悪極まりない。
まるで肉片や臓物をこねくり回して、人の形に無理矢理近づけたような姿だ。
当然、表情などない。
一切の感情を感じさせず、ただ草原の上を歩くだけ。
歩くだけなのに、その足元から炎が上がっていく。
別に攻撃魔法を使っているのではない。単純に漏れている魔力が凄すぎて草木が発火しているのだ。
そんな魔神に向かって飛んでいく、一人の人間がいた。
「あっ、学長先生です!」
「当時の私ね。まだギルドレア冒険者学園はなかったから学長じゃないけど」
「ほえー……今と変わらない見た目ですねぇ」
大賢者が飛んできた方角を見ると、遠くに王都の影がかすかに見えた。
つまり、ここで大賢者が敗北すれば、魔神を阻むものはいない。
王都が蹂躙され、ファルレオン王国は滅びてしまう。
「学長先生、頑張ってください!」
「王都の運命はあなたにかかっていますわ!」
「ふぁいといっぱつ」
「ぴー」
ローラたちは空飛ぶ絨毯から身を乗り出して百三十年前の大賢者を応援する。
もっとも、これは昔の光景を再現しているだけだから、ローラたちが応援しようがしまいが、結果は変わらない。
大賢者の勝利で確定だ。
ところが――。
「く、苦戦していますよ!」
魔神は腕の一振りで、触れてもいない地面を抉る。
常時放出している魔力だけで周囲を炎上させていく。
そして氷の塊を空から降らせ、雷を伴った竜巻が発生させ、数千の闇の槍を四方八方へと発射する。
地面が割れ、そこから骸骨の群れが飛び出し、飛行して大賢者に襲いかかる。
もう滅茶苦茶だ。
冒険者が一万人いたって一秒で殺されている。
仮にローラがあの場にいたとしても、きっと生き残るだけで精一杯だろう。
だというのに、大賢者はあらゆる攻撃を回避し、防御し、ときには反撃に転じていた。
一挙手一投足が神業。
一撃一撃がローラの全力に匹敵する。
しかし、それでも魔神は倒れない。
多少、体を破壊されても、瞬く間に再生してしまう。
大賢者がどんなに攻撃しても、構わず前進し、王都を目指す。
「このままじゃ王都が攻撃されちゃいます!」
「わたくしのご先祖様がぁっ!」
「教会もこの時代からあったはず……!」
結果は分かっているのだが、それでもついローラたちは手に汗を握ってしまう。
なにせ大賢者が死にそうな場面が何度もあったのだ。
全て紙一重で生き残っているが、いつやられてしまってもおかしくない。
(ああ、神様。どうか学長先生を勝たせてください)
と、ローラが願った瞬間。
空の彼方から、オレンジ色の光線が伸びてきた。
「ピィィィィィィィィッ!」
そして雲の切れ目から現れる純白のドラゴン。
いや、それはドラゴンではなく神獣。先代のハクだ。
「ぴー、ぴー」
ハクは自分の親が現れたことに興奮し、ローラの腕の中でじたばた暴れる。
そこから先は、大賢者と神獣VS魔神という、まさしく人智を越えた戦いだった。
先代ハクは光線と体当たりを巧みに使って魔神の足を止め、大賢者が大火力の魔法を叩き込む。
そうやって削っても魔神は再生していくが、いつしか再生速度が遅くなっていた。
今こそチャンスとばかりに、大賢者と先代ハクの攻撃は苛烈を極める。
まるで太陽が地上に落下してきたが如き輝きと共に、地面が蒸発していく。
そして魔神は光に飲み込まれ、遂に完全消滅していった――。
△
「――と、こんな感じね」
ふと気が付くと、空飛ぶ絨毯は元の平和な草原の上を飛んでいた。
魔神の姿も、戦いの痕跡もない。
百三十年経って草木に覆われた、今の王都付近の姿だ。
しかし、戦いの光景が終わっても、ローラたちは口を開けなかった。
凄まじすぎた。
レベルが隔絶しすぎていた。
同じ人間の仕業とは思えない。
大賢者に勝つということは、今の戦いを上回る力を身につけるということなのだ。
「私も頑張れば、学長先生より強くなれますか」
ローラがそう質問すると。
「自分ではどう思ってるの?」
間髪容れず、大賢者は質問で返してきた。
「……強くなります!」
「わたくしも強くなりますわ! 時間はかかっても、いつか必ず!」
「……私も……ローラやシャーロットほどの才能はないけど、きっと!」
「ぴー!」
強くなりたい。
今の戦いを見てそう思わない者は、もはや冒険者ではないだろう。
もちろん強さだけが冒険者の価値ではない。
だが、強くなければ冒険者は務まらない。
そして大賢者と先代ハク、魔神の戦いは、その頂点。
強さとは何かという答えがあった。
目を背けるなんて不可能――。
「よかった……ありがとう。そういう答えが聞きたかったのよ。あの戦いを見ても、心が折れない子なんて、そう滅多にいないから。今年はそれが三人も入学してくるなんて。冒険者学園始まって以来だわ」
そう言って大賢者は、ローラたち三人と一匹を、背中からまとめて抱きしめてきた。
大人の割には小さな腕。
しかし人類史上最強の腕だ。
なのに、どうしてだろう。
とても孤独に見えた。
「いいこと? 魔神が現れる可能性はいつだってあるの。そして次に魔神が現れたとき、私が生きているという保障はない。もちろん、まだまだ死ぬつもりはないけど、私もそろそろ三百歳になるしね。それだけでなく、もし魔神が複数箇所で同時に現れたら、私がどう頑張っても対処できないわ。だから、あなたたち次の世代に希望を託すの。できることなら、私より強くなって。そして更に次の世代を育てて欲しいの。お願いしてもいい?」
「もちろんです! そんなに待たせませんよ。卒業するまでに、学長先生をギャフンと言わせて見せますから!」
「あら。わたくしの方が先ですわ」
「……私は気長に頑張る。でも、いつかは」
「ぴぃ」
「ふふ、ありがとう。でも無理しちゃ駄目よ。あなたたちは、まだ幼いんだから」
なんて言いながら、大賢者の声は〝早くこっちに来い〟と言っているように聞こえた。
自分と同じ領域に。
全人類の中で、大賢者だけが唯一人立っている、神の領域に、誰か早く並んでくれと。
そう訴えているように聞こえるのだ。
その孤独感がローラは少しだけ分かるような気がした。
かつて校内トーナメントの決勝戦で、シャーロットがわずかな時間だけ、自分と互角に戦ってくれたのが、嬉しくて嬉しくて仕方なかったから。
強いということは優越感を得られるが、度が過ぎると孤独になってしまう。
そう言った意味でローラは恵まれている。
こうしてシャーロットとアンナとハク、それからミサキという友達がいるのだから。
大賢者は三百年近く生きている。
同年代の人間は、きっともう誰もこの世界にいないのだろう。
先代のハクですら、先に天に昇ってしまった。
ローラは想像する。
ここにいる友達たちに先立たれ、自分一人が何百年も地上に残り続ける人生を。
ああ、絶対に嫌だ。
もし自分が長生きするなら、皆にも長生きして欲しい。
是が非でも同じ領域に達して欲しい。
きっと大賢者もローラくらいの年齢のときに、そう願ったのだろう。
しかし、誰も付いてきてくれなかった。
そして、三百年近くも経ってしまった。
「……学長先生。毎年、遠足の後に、一番乗りした生徒にさっきの光景を見せてるんですか?」
「いいえ。いつもは違うわよ。エミリアにすら見せなかったわ。だって、普通の子は心が折れるもの。だから代わりに、私の仮眠室にある本を一冊プレゼントしたりとか、私の手料理を振る舞うとか、一日デート券とか、別のものをご褒美にしてるの」
心が折れる。
なるほど。確かにあの戦いを見たら、才能の差というか、存在の差を思い知って、逆効果になる生徒の方が多いかもしれない。
だが、ローラたちは違う。
違うと大賢者が判断したから、こうして見せてくれたのだ。
「一日デート券って、需要ありますの?」
「まあ、酷いわねシャーロットちゃん。男子生徒には、結構需要あるのよ?」
「まあ、学長先生は美人さんですからねぇ」
「ありがとうローラちゃん。でも、あなたたち三人も可愛いわよ。何年かしたら美人になるわ」
「美人はともかく、もうちょっと大人っぽい体になりたい」
そう言って、アンナは自分の胸に触る。
「ふふ。その辺はまあ、沢山ご飯を食べて頑張ってね。せっかく学食が無料なんだし。というわけで、そろそろ自分たちの夢に戻りましょうか。今日は年寄りの話に付き合ってくれてありがとう――」
そして、世界が暗転する。
昼が暗闇に。
更に夢から現実に。
睡眠から覚醒に。
「う、うーん……」
ローラが瞼を開けると、目の前にいつものようにシャーロットの寝顔があった。
掛け布団の上に重みを感じたので見てみると、やはりハクが丸くなっていた。
カーテンの隙間から光が差し込んでくる。
ギルドレア冒険者学園の学生寮。
その見慣れた自室。
壁にかけられた振り子時計を見ると、そろそろ起きる時間だ。
「シャーロットさん、シャーロットさん。起きてください。いつまでも私を抱き枕にしていると、また二人揃って遅刻しちゃうじゃないですか」
「すやぁ……学長先生も魔神も、そしてローラさんも……わたくしが倒しますわぁ……」
シャーロットはまだ夢の中だ。
しかしその寝言は、さっきまでローラが見ていた夢が幻ではなく、大賢者が意図して見せていたものだという証拠に他ならなかった。
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