第93話 成敗です
やはりチンピラなど雇わず、自分で手を下すべきだった――。
揺れる馬車の中でバートランド・アマーストは激しい後悔に襲われていた。
教会を乗っ取ることはできなかったが、ブドウ畑を燃やし、今年のワイン造りを妨害することには成功した。
最低限の目的を達成し、安心してラグド公国に向かっていたというのに。
途中、立ち寄った町に、自分の手配書が貼られていたのだ。しかも似顔絵付きで。
その似顔絵はバートランドの顔を直接見た者が描いたのではなく、チンピラの証言を基に作ったのだろう。
さほど似ていない。が、特徴は伝わる。
なにせバートランドは熊のような体格で、嫌でも人目を引く。そしてモンスターと見紛う形相で、頬にはケンカで負った傷も残っている。
町に入った途端、衛兵が飛んできた。
しかしバートランドも手配書を見た瞬間、逃げる体勢に入っていたので、何とか捕まらずに脱出することができた。
今はラグド公国に向けて荒野を進んでいる。
だが、この調子なら国境を越えることはできないだろう。
関所に近づいたら、確実に国境警備隊が殺到してくる。
もはやラグド公国に帰るには、街道を離れ、関所のない山や森を行くしかない。
とはいえ、街道を離れた場所はモンスターが多数生息している。
いくらバートランドがケンカ慣れしていて、更に魔法使いの護衛を二人つけているといっても不安は残る。
(それでも、関所に行くよりは可能性があるか……)
バートランドは山越えの決心を固めた、そのとき。
馬車の後方から、地鳴りのような音が近づいてきた。
「なんだ、何の音なんだ?」
「バートランド様! 後ろから騎兵が迫ってきます! とんでもない数です!」
一緒に馬車に乗っていた魔法使いが、窓を見ながら悲鳴を上げた。
「騎兵だと!? くそ、もう見つかったか……!」
しかし、こちらには魔法使いが二人もついている。
バートランドと共に客車にいる彼と、御者をしている男。
この二人で馬に強化魔法をかけてやれば、騎兵を振り切れるかもしれない。
そう思いながらバートランドも窓から後ろの景色を覗く。
そこには確かに騎兵がいた。
騎士を背に乗せ、土煙を上げ荒野を走る馬の群れ。
予想どおりの姿だが、しかし、違和感がある。
「土煙が強すぎやしないか……?」
もうもうとたちこめる茶色い煙は、天高く上り、そして視界全てを埋め尽くすほど幅が広い。
十騎や二十騎では、こうはならないだろう。
とすれば百騎。いや、もっと。
「バートランド様! 何百騎もいるんじゃないですか!?」
土煙の切れ目から、白銀の鎧に身を包んだ騎士の姿が見えた。
ずっと奥の奥までその列が続いている。
と同時に、横の広がりも信じられないほど伸びていた。
魔法使いが言うように何百、下手をすれば千近い騎兵がバートランドを追いかけている。
いやいや、そんな馬鹿な。
千といえば、ファルレオン王国騎士団の全軍だ。
彼らの実力は、最低でもBランク冒険者に匹敵するという。
何人かはAランクの者もいるとか。
女王の切り札ともいえる、恐るべき戦闘集団だ。
そんな連中がバートランドに殺到してくるなど悪夢でしかない。
バートランドは確かにブドウ畑を焼くように命じたが、逆にいえばそれだけだ。
別に女王を暗殺しようとか、王都を混乱の渦に叩き込もうとか、そんな大それたことを考えていたのではない。
それなのにどうして――。
「走れ! 逃げろ! 馬に強化魔法をかけるんだ! 騎兵の数が多いからといって、別に速くなるわけじゃないんだ。まだ逃げ切れるぞ!」
バートランドの叫びで、魔法使い二人は自分の役目を思い出す。
瞬間、馬車が一気に加速した。
騎兵が離れていく。
(しめた!)
と思ったのも束の間。
騎兵たちも加速したではないか。
「バートランド様、向こうも強化魔法が使えるようです!」
「くそったれが!」
考えてみれば当然だ。
相手は精鋭中の精鋭。
ランスを持っているから白兵戦専門に見えるが、魔法の心得があって然るべき。
「おい、お前。騎兵に向かって魔法を撃て! 奴らの足を止めるんだ!」
「無茶です! 数が多すぎて焼け石に水ですよ!」
「じゃあ、地面をデコボコに破壊しろ。少しでも時間を稼ぐんだ!」
ハッとした顔になった魔法使いは、後方に向かって爆発魔法を乱射した。
それにより地面が吹き飛び、土砂が舞い上がって、荒野が抉れる。
馬が跳び越えられそうもない穴が、幾つも空いた。
その穴を避けようと騎兵が進路を変える。
しかし彼らは数が多いだけに、進路変更には混乱がともなう。
それなりに間隔を空けて隊列を作ってはいたが、それでも乱れが生じ、行軍速度が一気に落ちる。
「やった! これなら逃げ切れるかもしれません!」
「ふん、ようは頭の使い方一つだ」
騎兵が遠ざかって気が大きくなったバートランドは、魔法使いに大口を叩く。
だが、危機はまだ去っていなかった。
いや、これからが本番だったのだ。
「前方に人影あり!」
御者を務めている魔法使いが叫ぶ。
「なにっ、まさか先回りしている騎兵がいたのか!?」
バートランドは客車から顔を出して、進行方向を見つめる。
だが、そこに騎兵はいなかった。
幾つかの小さな人影があるだけだ。
正体はよく分からないが、おそらく偶然通りかかった旅人か何かだろう。
「このまま轢き殺せ! いちいち構っていられるか!」
普段のバートランドは、いくらなんでもここまで人の命を粗末にしない。
しかし、背後から騎士団が追いかけてきているという状況が、彼の感覚をマヒさせていた。あるいは、本性が剥き出しになったともいえる。
それは御者の魔法使いも同じで、雇い主の命令を忠実に守り、馬車の速度を緩めることなく直進させた。
そして衝突の瞬間。
バートランドは人影を間近から見た。
少女たちだ――そう認識した途端、天地が引っ繰り返るような衝撃に襲われる。
いや〝ような〟ではなく、本当に馬車がひっくり返ったのだ。
得体の知れない力で吹き飛ばされ、まるでサイコロのように転げ回る。
中に乗っていたバートランドと魔法使いは、全身を何度も打ち付けた。
もはや何回転したのか分からないほど転がり、客車の壁が割れ、バートランドたちは外に放り出された。
「ぐっ、どうなってやがるんだ……」
「轢かれたんです……馬車が女の子に轢かれたんです……!」
「少女たちに当たった瞬間、見えないハンマーで殴られたみたいに!」
一緒に放り出された魔法使い二人が、震える声で呟く。
バートランドは、彼らが何を言っているのか分からなかった。
女の子は馬車を轢いたり弾き飛ばしたりしない。これは古今東西の常識だ。
だが現実として、馬車は弾き飛ばされ、バートランドたちは荒野に投げ出され、全身打撲とすり傷だらけだ。
「そうだ、馬はどうなった。馬さえ生きていれば、それに乗って逃げることができるぞ」
あれほどの衝撃で馬が無傷ということは考えにくい。
しかし、こちらには魔法使いがいるのだから、回復させればよいのだ。
バートランドは縋る思いで二頭の馬を探す。
すると、馬はどちらも無事だった。
傷も見当たらず、呑気にヒヒーンと鳴いている。
そして、その周りには少女たちがいて、笑顔で馬を撫でていた。
「ど、どうなってんだ……? どうして馬だけ無傷で……」
バートランドが疑問を口にすると、後ろから答えが返ってきた。
「それはね。衝突の瞬間、馬だけ防御結界で包んだからよ」
「ッ!?」
驚いて振り向くと、そこには銀髪の女性がしゃがみ、倒れたバートランドたちを見つめていた。
一体、いつからそこにいたのか。
まるで気配を感じなかった。
バートランドたちは跳ねるようにして立ち上がり、その女性を見下ろした。
しかし目線を高くしても、どうしてか自分たちのほうが小さく感じてしまう。
「誰なんだ、お前は!」
「私は通りすがりの大賢者よ。そして、あの教会のワインのファンでもあるわ」
刹那、何かが白く輝き、腹の底まで響く爆音が鳴り響いた。
と同時に、バートランドの左右にいた魔法使い二人が、ドサリと倒れる。
その皮膚や衣服から煙が上がり、焦げ臭い匂いがたちこめる。
「ら、落雷か!? 晴れているのに……しかも、この二人を狙ったように!?」
「狙ったのよ。この二人、あなたが雇った護衛でしょ。ただ雇われただけの人に地獄を見せるのも可哀想だから、眠ってもらったの」
狙って雷を落とした――。
それはつまり、彼女は魔法使いということだ。
呪文の詠唱もなしに雷を操るとは、かなりの実力者なのだろう。
それにしても銀色の髪とは、まるであの大賢者のようだ。
「ん? お前、さっき、通りすがりの大賢者と名乗ったか……?」
「ええ、そうだけど」
「百三十年前に魔神を倒した、あの〝麗しき大賢者〟カルロッテ・ギルドレアか!?」
「だから、そうだって言ってるでしょ」
「ふざけるな! そんな奴が通りすがってたまるかっ!」
「そう言われても、私、よく当てもなく旅行してるし? まあ、確かに今日は偶然じゃないわ。あなたを追いかけてきたのよ、バートランド・アマースト。あなたのせいで、今年は教会のワインが飲めないじゃないの!」
大賢者はカッと目を見開き、そしてバートランドの頬を強烈にビンタした。
「ぐぎゃぁっ!」
女性のビンタなど、今まで何度も喰らっている。
しょせんそれは、怒りの感情を伝えるための手段、ポーズに過ぎない。
ヒリヒリと痛んでも、笑って済ませられるものだ。
しかし今、バートランドの頬を襲った一撃は、ビンタの概念を超越した。
衝撃で体が宙に浮く。
口の中で歯が何本も折れた。その破片が皮膚に突き刺さり、痛みの余りのたうち回る。
そして痛みは時間とともに何倍にも膨れ上がっていった。
なぜだ。
確かにこれは激痛を伴う痛みだが、バートランドはケンカ慣れした男。
こんな子供じみた悲鳴を上げるほどヤワではない。
だというのに、絶叫が口から漏れてしまう。
「強化魔法であなたの神経を敏感にして上げたわ。これであなたは、己の罪をより深く反省することができるのよ……よかったわね」
大賢者はそう言って微笑み、バートランドの胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「ワインの怨み! ワインの怨み!」
往復ビンタが放たれた。
痛みの余りバートランドの視界に星が飛ぶ。
右の頬を殴られ痛みで失神し、左の頬を殴られ痛みで目覚める。
まさに地獄だった。
「ゆ、許してくれぇ……」
恥も外聞もなくバートランドは懇願した。
すると不思議なことに、大賢者は手を放してくれた。
理由は分からないが、とにかく逃げるしかない。
這いつくばって大賢者から遠ざかる。
しかし今度は、赤毛の少女が立ちふさがった。
「……教会の皆を怖がらせた怨み」
赤毛の少女の声から、大賢者よりなお深い怒りを感じる。
「きょ、教会の関係者か……? 金をやる! あのワイン畑を十個は買えるくらいの金をやる! だから許してくれ!」
「問答無用」
赤毛の少女はバートランドの脚を掴み、グルグルと回転させた。
途方もないパワー。
恐ろしい遠心力が、頭に血を上らせていく。
世界の景色が溶けて灰色になったところで、赤毛の少女は手を放す。
(死んだッ!)
岩にぶつかろうが、地面に落ちようが、絶対に助からない速度。
バートランドは一瞬で自覚し、頭の中に今までの人生がダイジェストで流れた。
ところが何かにぶつかる前に、誰かに受け止められた。
その親切な人はバートランドの背中から腕を回し、腹をガッチリホールドする。やけに小さくて細い腕だ。明らかに子供のもの……。
「そしてニワトリさんの怨みです! 必殺、スープレックス!」
バートランドの体がふわりと浮いた。
そして半円を描くように投げられ、頭から地面に叩き付けられる。
「ぐはぁっ!」
脳が激しくシェイクされた。
意識が朦朧とする。むしろ、まだ気絶していないのが不思議なほどだ。
この少女たちはバートランドをこのままジワジワとなぶり殺しにするつもりなのだろうか。
どうせなら一思いに殺して欲しい。
そうだ。さっきまで追いかけてきていた騎士団。あれに踏みつけてもらえば、一発で絶命できる。
どこだ、どこに行ったのだ。
「……いた!」
目眩と耳鳴りと吐き気に耐えながら顔を上げると、遠くから騎兵が走ってくる。
あっちにも。こっちにも。
周り全てを騎兵で囲まれていた。
「包囲殲滅じゃ! 包囲殲滅じゃ! 」
どこからともなく、子供の叫び声が聞こえてきた。
幻聴だろうか。それとも、また別の化物少女が現れたのだろうか。
とにかく、一刻も早く殺して欲しいと願うバートランドであった。
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