第88話 風俗街に来てしまいました

 もうすっかり夜になった。

 いくら王都レディオンが景気のいい街とはいえ、一般市民はロウソクや油を無制限に使えるほど豊かではない。


 暗くなればさっさと寝てしまう者もいれば、わずかな明かりで活動を続ける者もいる。

 あるいは飲食店などの明かりに引かれて集まり、ささやかな宴に興じる者もいる。


 そしてローラたちが見つめる先は、宴の最たる場所だった。


 色ガラスで作られたランプが艶やかな光を発し、王都の他の場所とは異質な空気を作っている。

 色のついたランプは店の看板となり、様々な店名を闇夜に浮かび上がらせている。

 夜にしか現れない、ケバケバしいコントラストだ。


 通りのあちこちで店員が呼び込みをやっていたり、ほとんど下着同然の格好をした女性が男を誘っていたりする。


 外から見ただけでこれほどいかがわしいのだから、店の中でどんなことが行なわれているのか、ローラの想像力では追いつかない。

 しかし、子供が近づくべきではないというのは理解できた。


「こ、これが話に聞くフーゾクガイ……想像していたよりずっと凄いです……どうしましょう……!」


 ローラたちはさっきから、風俗街の入り口を少し離れた場所から眺めている。

 なかなか突撃する勇気が湧いてこない。


「ローラさん、話には聞いていたのですか?」


「ええ……私がもっと小さかった頃、お父さんがフーゾクガイに行った行かないでお母さんとケンカしているのを見たことがあります。しかし、まさかこんな場所だったなんて……!」


「私も実際に見るのは初めて」


「あ、あんな薄着の女性が男性に声をかけて……お店に一緒に入っていきましたわ! ローラさん、見てはいけません、教育に悪いですわ!」


「わっ、何するんですかシャーロットさん。前が見えないです」


「人間というのはえっちでありますな! えっちでありますな!」


「ミサキ、興奮してる」


「こ、興奮などしておりませぬ!」


「でも、尻尾と耳がピコピコ動いてる」


「はうぁっ!」


 なにやらミサキが慌てた声を出している。

 しかしローラはシャーロットによって目をふさがれているので見えない。

 目の前にあるものが不健全だとしても、それもまた人生なのだ。

 逃げてばかりいては駄目だ。

 なのでローラはシャーロットの腕を掴み、よいしょと退かす。


「ああ、ローラさん。駄目ですわ、穢れてしまいますわ」


「いいえ! 過保護すぎるのもどうかと思いますよ、シャーロットさん。私はこの現実とも戦っていくのです!」


「うう、ローラさん……大人の階段を登ろうというのですわね……ずっと純粋なままでいてほしかったですわ……」


 それは無理な話だ。

 どんな子供でも、いつかは大人になってしまうのだ。

 時の流れは誰にも止められないのである。


「と、いうわけで皆さん。覚悟を決めて突撃です!」


 周りから「おー」とか「ぴー」とかいう掛け声が聞こえてきた。

 そしてローラたちは風俗街へ向けてズンズンと進んでいく。

 これだけ人がいるのだ。

 何でもないという顔をしていれば、きっと誰も気にしない――という願望を抱いていたが、普通に注目されている。

 なぜだろうか。やはり制服というのがマズかっただろうか。

 あと他のメンバーはともかく、九歳のローラは流石に許されないのかもしれない。

 シャーロットやミサキのような年長者に任せて、留守番しているべきだった。

 と、悔やんだときは既に風俗街の中。何もかもが遅い。ローラはもう穢れてしまったのだ。

 毒を食らわば皿までの精神で、この視線の中を押し通る!


「と、ところで、このフーゾクガイでチンピラ三人を見たという話は聞きましたけど、具体的にどこにいるんでしょうね。というか、まだいるんでしょうか?」


「さあ……それは分かりませんわ。でも、他に手がかりもありませんし」


「既にこの状況が辛い。顔から火が出そう」


「こんなに注目を集めているのは、やはり私が獣人だからでありますかっ?」


「いや、それは関係ないと思いますよ!」


 なにせ、そこら辺にバニーガール姿の女性や、猫耳をつけたメイドさんがいるのだ。

 狐耳の獣人が一人紛れ込んだところで、それ自体は誰も気にしないはず。

 やはり問題なのは、制服姿の子供が集団でウロウロしているという状況だ。

 せめて私服で来るとか、カミブクロで顔を隠すとか、竹馬で身長を誤魔化すとか、事前に対策を取るべきだった。

 似顔絵やロウソクを準備している場合ではなかった。


「歩き回っていても問題は解決しません。恥ずかしいだけです。どこか入りやすそうな店に入って、あの似顔絵でチンピラ探しをしましょう!」


「ですが……入りやすそうな店なんてありますの……?」


「……ないですけど、比較的、、、入りやすそうな店ならあるはずです!」


 比較的というのは便利な言葉だ。

 実際には駄目でも、より駄目なものを周りに配置すれば、比較的に良く見える。

 こんな言葉を乱用していたら、いつか自分が駄目人間になってしまうのではと怯えるローラだった。

 そして、こんな状況に陥っている時点でかなり駄目だという現実は、頭から払拭しなければならない。

 全ては正義のためだ。

 ここで逃げたら、ニワトリさんの死が浮かばれないし、途中の雑貨屋で買ってきたロウソクが無駄になる。


「あそこにしましょう! あの店は客引きがいません。比較的健全です!」


「どこでもいいから入ろう。もう歩きたくない」


「どこもかしこもえっちであります!」


 ローラが選んだ店の前には、客引きの男も、半裸の女性もいなかった。

 色ランプの光も控えめで、外観は落ち着いた色のレンガ造り。

 むしろオシャレなくらいだ。


 ローラたちは思い切って、えいやとドアを開く。


「いらっしゃいま……ん?」


 そこはバーだった。

 ローラはバーに入ったことはないが、カウンターがあって、ヒゲのマスターがいて、奥にテーブル席があって、何となくおしゃれな感じがするから、バーに違いない。


「お嬢ちゃんたち。こんな時間にこんな場所に何のようだ? ここは子供の来る場所じゃない。とっとと帰れ」


「いえ、あの、私たちは人を探していてですね……似顔絵があるんですが……」


「これであります」


 ミサキはマスターに似顔絵を見せる。

 するとマスターはそれをジッと見つめ、そして店の奥をチラリと見た。

 だがすぐに首を振り、肩をすくめる。


「知らないな。ほら、他の客の迷惑だから帰れ帰れ。それとも酒を飲んでいくか? ちゃんと金を払うなら歓迎するぞ」


「いや、お酒はちょっと……」


 ついでに言うと金もさほど持っていない。

 シャーロットなら持っているかもしれないが、どのみち酒はダメである。

 そもそも子供がこんな場所で人捜しするのが間違っていたのだ。

 やはり肩車をしてからコートを羽織り、身長を誤魔化して出直すしかない。


「ちょっと待った」


 ローラが諦めかけたとき、アンナは力強く言葉を放つ。


「似顔絵を見せたとき、おじさんは店の奥を見た。つまり奥に何かある」


「おお、アンナさん、名探偵!」


「おいおい。急に何を言い出す。俺はお客さんが嫌そうな顔をしていないかチェックしただけだ。店に相応しくない連中が入ってきたら、常連にとっては不快なんだよ」


「でも、カウンターから見える範囲に人はいない」


「ああ、そうだったな。しかし普段はもっと人がいるんだ。癖で見てしまったんだ。それだけのことだ」


「ふーん……でも、念のために奥を見せて」


 アンナは店の奥へ行こうとする。

 その瞬間、マスターの表情が怒りに染まった。


「こらガキ! 優しく相手してればつけ上がりやがって! 冒険者学園の生徒だからって調子に乗るんじゃねーぞっ!」


 今までは一応、穏やかに対応してくれていたが、ここから先は冗談では済まさないぞという雰囲気だ。

 多分、本当にチンピラ三人がいるのだろう。

 しかし、このバーに罪はないので、強引に押し通るのも申し訳ない。


「アンナさん、一端引きましょう」


「でも……」


「実家に火を付けた連中が奥にいるかもしれないんですから、焦るのも分かります。でも、ここで騒ぎを起こしちゃ悪いですよ」


 ローラの説得に、アンナは頷いた。


「……分かった。じゃあ、店の前で張り込みすることにする」


 するとそのとき、マスターが驚いた顔で話しかけてきた。


「おい、ちょっと待て。実家に火を付けた連中? そりゃどういうことだ?」


「似顔絵の三人は、あの教会の火事の犯人かもしれないんです。それで、このアンナさんは、教会の孤児院で育ったんです!」


「そ、そういう事情だったのか……もしかして君、十三年前に城門の前で拾われたって女の子か?」


「……そうだけど」


「くぅぅ、泣かせるじゃねーか! よし、通っていいぞ! 奴らは奥の個室にいる。この店には放火魔に飲ませる酒なんてねぇからな!」


 マスターは泣きながら店の奥を指さした。

 どうやら意外といい人のようだ。

 ローラたちはマスターにお礼を言ってから、個室のドアノブに手をかける。

 さあ、裁きの時間だ!

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