第83話 真夜中の危機一髪です

「今日はエミリア先生に凄く怒られちゃいましたね」


 お風呂から上がり、着ぐるみパジャマに着替えたローラは、同じく着ぐるみパジャマのシャーロットに語りかける。


「まったくですわ。わたくしたちは孤児院を救うために頑張ったというのに」


「ぴー」


 ベッドの上に座り、眠る前のおしゃべりだ。

 ローラとシャーロットは、いつもこうやって、その日の出来事を語り合ってから布団に潜る。

 もっとも、いくら冒険者学園が一般的な世界からズレた空間とはいえ、そう毎日毎日、刺激的なことが起きるわけではない。

 だから基本的に、オムレツの味とか、授業中ハクが床に落とした消しゴムを拾ってくれたとか、雑貨屋に新しいアクセサリーが入荷されたらしいとか、そういった当たり障りのない話をして眠りにつく。


 しかし今日は、なかなか濃い一日だった。

 午前中チンピラを追い返した一件もそうだし、昼休み近くになってからコソコソと教室に入っていったときのエミリア先生の怒りっぷりも凄かった。

「どこに行ってたの! 心配したでしょ!」と怒鳴り、ローラとシャーロットの耳が伸びるほど引っ張ったのだ。

 心配かけたのは申し訳ないが、あそこまで引っ張らなくてもいいと思う。

 もう少しで耳が尖ってしまうところだった。


 大浴場で聞いたのだが、アンナとミサキもやはり怒られたらしい。

 もっともアンナの場合、頭に大きなタンコブが生えていたので、見ただけで分かった。


 まあ、怒られるというのは授業をサボると決めた時点で覚悟していた。

 それにしても正義を貫くというのは、とても難しいのだなぁ、と勉強したローラであった。


「さて。そろそろ眠りましょうローラさん。明日も遅刻したら、今度こそ耳を伸ばされてしまいますわ」


「耳じゃなくて脚を伸ばしてくれたら、スタイルがよくなるんですけどねぇ」


 そんな話をしていたら、ハクは「ぴー」と言いながら尻尾をパタパタ振る。

 どうもハクとしては、尻尾を伸ばして欲しいようだ。

 想像してみたが、確かにシュッとして格好いいスタイルになるかもしれない。


「ハク。尻尾を木の枝とかに引っかけてぶら下がったら伸びるかもしれませんよ」


「ぴぃ?」


「ローラさん。それじゃコウモリみたいですわ」


「いや、コウモリは黒いですが、ハクは白いので大丈夫です」


「そう言う問題ですの……?」


 そういう問題だろう。

 いや、違うのか?

 ローラもよく分からなくなってきた。

 葛藤していたら、当のハクが布団の上で丸くなって眠ってしまった。


「さ、さ。わたくしたちも今度こそ寝ますわよ」


「そうですね。私も眠くなってきました。おやすみなさいシャーロットさん」


「はい。おやすみなさいローラさん」


 換気のために開けていた窓とカーテンを閉め、布団に潜ろうとした、そのときだ。

 夜の王都に、炎が見えた。

 距離はかなり離れている。

 しかし、赤い炎と煙が、くっきりと見えた。


「シャーロットさん! 火事ですよ、大火事です! しかもあれって、教会がある辺りですよね!?」


「ここからだとよく分かりませんが、方角は確かに教会ですわ!」


 方角が合っているからといって、教会が燃えているとは限らない。

 だが、建物が多い王都でこれほど炎がハッキリ見えるということは、現場はきっと高台にある。

 そして、あの教会は丘の上にあった。

 と、ここまで考えれば、希望的観測をしている場合ではないと分かってしまう。


「行きましょうシャーロットさん!」


「ええ! アンナさんも呼びましょう!」


 ローラはハクを抱きかかえ、ベッドから跳ね起きる。

 すると、ドアをバンッと乱暴に開けてアンナが血相を変えて入ってきた。


「火事! 火事!」


 アンナもあの炎を見ていたらしい。

 三人で着ぐるみパジャマのまま教会に向かう。

 校門の辺りで後ろから「火事であります火事であります」という声が聞こえてきた。

 ミサキとも合流し、四人と一匹で教会を目指す。

 辿り着いたら、教会は火事と無関係で、全てローラたちの勘違いだった――そんな展開を待ち望んでいた。


 だが、近づくにつれ、それは願望に過ぎないのだと現実を突きつけられる。


 丘が燃えている。

 教会の周りに広がるブドウ畑が燃えている。


「――っ!」


 アンナは唇を噛み締め、王都の夜空に登る炎を見つめている。

 丘の周りには、既に野次馬ができていた。

 更に、何人かの魔法使いが集まって、水の矢を火事に撃ち込んでいる。

 しかしローラから見れば、それは霧吹きのようなものだ。

 第一、水の矢はモンスターの体を貫通するのには役立つが、効果を及ぼす面積が全く足りない。丘そのものを焼き尽くすような火事の前では、無力でしかない。


「大気と大地に隠れた水よ。我が魔力を捧げる。ゆえに契約。眼前の炎を消火せよ」


 シャーロットは野次馬を蹴り飛ばしながら呪文を唱える。

 次の瞬間、大人一人がすっぽり収まりそうな水の玉が何十個も現れ、丘に向かって飛んでいった。

 これだけでシャーロットは、近くにいた魔法使い全員分の働きをしたと言える。

 だが、火事の勢いは強い。

 炎が消える気配なし。

 ゆえにここはローラの出番だ。


「水よ、世界のどこかにある水よ。我が時空に穴を空けるゆえ、ここに来い。これは命令だ。その質量を以てして、我が前にある炎を押しつぶせ」


 意識していないのに、口からスラスラと呪文が流れた。

 相変わらず仰々しい文面である。

 しかし、それで魔法が発動するのだから、間違った呪文ではないのだろう。

 ときどき自分でも魔法適性9999というのが恐ろしくなるが、今はありがたい。

 とにかく火事を消さなくては。


 夜よりなお黒い〝穴〟が丘の上に空く。

 そこから膨大な量の水が溢れ出した。

 まるで王都上空に海が現れ、その底が抜けたかのような水量だった。


「ロ、ローラさん、いくらなんでも!」


「やりすぎでありますぅ!」


「溺れる。ごぼごぼ」


「びゃあ!」


「ぴー!」


 教会とブドウ畑を包み込むように落ちてきた水は、炎を消したあと、丘の斜面を下って流れてきた。

 ローラは慌てて水源である穴を消したが、一度落ちてきた水は残ったままだ。

 野次馬も、消火しようと頑張ってくれていた魔法使いたちも、そしてローラたちも、洪水に巻き込まれてしまう。


 しかし幸いにも王都は水路が多い街だ。

 洪水が王都全体に被害を及ぼす前に、水路に流れて拡散していった。

 おかげで火事の周りにいた人たちがおぼれかけただけで、建物などへの被害はない。

 ちゃんと火事も消えた。

 ローラは飲み込んだ水をぴゅーと吐き出しながら、丘の上を見つめる。

 ブドウ畑や森はなくなってしまったが、教会は無事のようだ。


「皆さん! いつまでもひっくり返っている場合じゃありませんよ! 教会の人たちが無事かどうか、確かめに行きましょう!」


 ローラの言葉で他のメンバーも起き上がり、口からぴゅーと水を吐きながら丘を登っていく。

 そして辿り着いた教会の中には、怯えて震えている神父とベラ、そして子供たちがいた。

 つまり、全員、無事。

 最悪の事態はまぬがれたのだ。


 ローラ、シャーロット、ミサキは安堵のため息を吐く。

 そしてアンナは、気が抜けたように、へなへなとへたり込んだ。それから這うようにして教会の皆の所に行き、抱き合って、無事を確認し合う。


 被害はどうあれ、命は助かった。

 まずはそのことを喜ぼう。


 そして、一体どうしてこんな火事が起きたのだろうとローラは考えた。

 チンピラを追い払ったその日に発生した事件だ。

 偶然と考えるほど、この場にいる者たちは脳天気ではない。

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