第82話 暗躍
ギルドレア冒険者学園があるファルレオン王国は、広い国土と安定した気候によって発達した大国だ。
その西にあるラグド公国も、豊かな鉱物資源を持つ強力な国家だった。
二つの国は何百年も前に国境線を巡って小競り合いをしたことがあったが、それ以降はそれなりに良好な関係を保っている。
物と人の往来は活発だ。
ラグド公国には冒険者を養成する教育機関がないので、わざわざファルレオン王国まで留学してくる者もいる。
大賢者が学長を務める王立ギルドレア冒険者学園は、生徒から学費を取らない方針だが、それは国外から来た生徒にも当てはまる。
卒業生の多くは祖国に帰って冒険者となるので、ファルレオン王国が損をしていることになる。
しかしギルドレア冒険者学園の卒業生のほとんどは、祖国に帰っても、ファルレオン王国を第二の故郷のように感じているという。
よってギルドレア冒険者学園が留学生を受け入れれば受け入れるほど、近隣諸国に味方が増えていくことになる。
しかも卒業生は、必然的に優秀な冒険者なのだ。
彼らが各国で活躍するたび、世界の人々がファルレオン王国へ抱く心証がよくなっていく。
それを考えれば、学園の運営費などファルレオン王国にとって安い投資といえる。
ファルレオン王国の街道はつねに整備され、治安もよいので、商人も集まってくる。
特に何もイベントがない日でも、大きな街の宿屋は繁盛していた。
そして王都レディオンで最も高級とされている宿『グランドホテル・レディオン』に、豊かなヒゲを生やした中年の紳士が泊まっていた。
まるで貴族のように気品ある服を着ているが、平民である。
しかし貴族と取引する機会は多い。
だからこそ、見た目だけでも貴族に近づこうとして金を使っているのだ。
もっとも、いくら金をかけて着飾っても、粗暴さが外見に表れている。
舞踏会より武闘会が似合いそうな顔と体つきだ。
彼の名はバートランド・アマースト。
ラグド公国で最も評判のいいワイン醸造所のオーナーである。
そのバートランドが泊まっているスイートルームで、三人のチンピラが申し訳なさそうな顔で突っ立っていた。
孤児院に借金返済を迫っていた、あの三人だ。
バートランドはソファーに座り、葉巻を吹かしながら、チンピラたちを睨み付ける。
「てめぇら、馬鹿か?」
バートランドはチンピラ三人へ、静かな、しかしドスの効いた罵声を投げつける。
その理由は、彼らが借金を
「いや、しかしバートランドの旦那。教会には冒険者学園の生徒が三人もいた上、獣人まで用心棒にしていやがったんですぜ。あれじゃ手を出せねーです」
「そもそも、絶対に金を用意できないって前提で脅してたのに、金を用意されたんじゃ、持って帰ってくるしかねーでしょう」
「兄貴ぃ……」
チンピラたちは情けない言い訳を重ねる。
それを聞いたバートランドは一気に沸点に達した。
「よくそれでアウトローを気取っていられるなッ!? 俺の国じゃ、てめぇらみたいな腰抜けはカツアゲだってできねぇぞ!」
目の前のテーブルを殴りつける。
それは立派な大理石でできていたが、バートランドの拳は真っ二つに叩き折ってしまった。
しかも殴った場所には、チンピラたちが回収してきた、金貨の詰まった革袋が置いてあった。
それがクッションになったのに、テーブルはもうテーブルではなく、ただの大理石の破片と化した。
革袋には穴が空き、グニャリと曲がった金貨が床に散らばる。
その光景を見て、チンピラ三人は「ひっ」と短く悲鳴を上げ、身をすくませた。
バートランドはワイン醸造家だが、同時に酒場でのケンカも得意だった。
現役の冒険者相手に勝ったこともある。
もっとも、ワイン造りで有名になってからは、ケンカを控えている。
悪名が広まって商売がやりにくくなっては困るからだ。
バートランドは一応これでも、合法的な世界で生きているのだ。
しかし今、こうしてファルレオン王国のチンピラを使っている。
まだギリギリ合法だが、いずれは非合法な手段――つまり暴力――を使うことをチラつかせて債権を買い集め、今すぐ返済できないなら教会から出て行けと脅したのだ。
限りなく黒に近いグレー。
そこまでしてでも、バートランドは教会の連中を追い出したかった。
なぜなら、あの教会で造っているワインが、ラグド公国で恐ろしいほどの評判になっているのだ。
とはいっても、ラグド公国に入ってくる本数が少ないので、一般的には知られていない。
極一部のワイン愛好家の間で語られているだけだ。
しかし、その極一部のワイン愛好家というのは、本当にワインの味を分かっている連中だ。
その彼らが、あの教会のワインを『今まで飲んだワインの中でもトップクラスの味』とまで言った。
去年は『少なくとも今年のワインでは最高』と断言していた。
一昨年まで、その年最高のワインの地位は、バートランドのワインが常連だった。
それが去年、ぽっと出の教会ワインが、いきなりトップに躍り出たのだ。
気にくわない。
商売の邪魔だ。
一位と二位では、全く価値が異なる。
これでバートランドのワインの味が落ちたから二位に転落したというなら、ここまで憎しみを覚えなかった。
しかしバートランドはワイン造りを妥協したりしていない。
なのに負けたのだ。
自分自身の舌で味わってみて、それを自覚した。
バートランドのワインよりも、教会のワインの方が、美味い。
だから腹が立つ。
どうやったら勝てるのか分からない。
ゆえにバートランドは、勝つのではなく、排除すると決めたのだ。
だが、債権を武器に立ち退きを迫るという方法は、どうやら甘かったようだ。
こうなったら、直接的な手段に訴える必要がある。
どんな方法だろうと、教会のワインには消えてもらう。
そう。
別に人間が教会から出て行く必要はない。
孤児院もやっているらしいし、追い出すのは可哀想だ。
ようは、ワインさえ造れなくなれば、それでバートランドの目的は達成される。
もっとも、ワインという収入源がなくなれば、どのみち孤児院はやっていけなくなるだろうが。
そこまで考えたバートランドはニヤリと笑い、チンピラたちに新しい計画を命じた。
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