第78話 アンナさんの過去です

 アンナの両親は、夫婦で行商人をしていたらしい。

 らしいというのは、アンナも、そして神父もベラも、直接その夫婦を知っているわけではないからだ。

 アンナが最初にこの王都に現れたのは、彼女がまだ乳飲み子だった頃。

 母親に抱きかかえられ、城門の前にやってきた。

 そのときの門番の話によれば、母親は血まみれだったと言う。

 アンナの母親は、生きているのがおかしいほど深い傷を追って、我が子を王都の前まで連れてきた。


 娘を門番に託した母親は、死にかけの人間とは思えない大声で叫んだらしい。

「夫がモンスターに襲われたの! 早く助けに行って!」と。

そのまま糸が切れたように倒れた。

 そして最後の力を振り絞って呟く。

「この子の名は、アンナ・アーネット」

 アンナの母親は二度と言葉を発することも、動くこともなかった。


 門番はすぐに詰所に行き、事情を説明した。

 旅人がモンスターに襲われたと聞き、正規軍がすぐに出動した。


 冒険者ギルドや正規軍が街道付近のモンスターを駆除して回っているとはいえ、ごく稀にこうして犠牲者が出てしまう。

 だからこそ、これ以上被害が大きくなる前に、モンスターを倒さなければならない。

 幸か不幸か、現場を見つけるのは簡単だった。

 母親の流した血を追っていけばよかったのだ。


 そこには横転した馬車があった。

 食い散らかされた馬の死体があった。

 嬲り殺された男性の死体もあった。


 馬車の積み荷はほとんど空だった。

 しかし、兵隊たちの調査で、ほどなくして発見される。

 場所は洞窟の奥。そこはゴブリンの巣になっていた。


 大量の食料や、遠方から運ばれてきたと思わしき装飾品などが散乱し、ゴブリンたちは宴会を開いていた。

 どうやら馬車の持ち主は行商人の類いだったらしい。

 しかし妻と子供を連れた行商人というのも珍しい。

 もしかしたら子供が生まれたので、王都に定住するつもりだったのかもしれない。

 積み荷はその資金源だったのだろう。

 そうやって王都に腰を落ち着ける者は多い。


 しかし男性はもう死んでしまった。その妻も死んだ。

 ゴブリンは兵隊たちによって殲滅されたが、死者は生き返らない。


 街道のこんな近くにゴブリンの新しい巣ができているのに気付けなかったとは、正規軍と冒険者ギルドにとって不覚だった。

 被害者が二人で済んだのはむしろ幸運といえるが、それは死んだ者にとって何の慰めにもならない。


 唯一の生き残り、母親が必死に守った赤ん坊は、丘の上にある孤児院に預けられた。

 素性は分からない。両親が行商人だったというのも推測に過ぎない。誕生日も不明だから、城門の前で拾われた日が誕生日になった。

 ただアンナという名前だけは確かだ。それだけがアンナにとって両親が直接残してくれたものだ。


 アンナが孤児院にやってくるまでの経緯は悲惨だが、アンナにその記憶はない。

 孤児院を運営している神父は、少々頼りない顔をしているが、善良を絵に描いたような人なので、虐待の類いとは無縁だった。

 孤児院には、同年代の少年少女もいる。

 先に孤児院を出て行った年長者がたまに帰ってきて、おみやげをくれたり、面白い話をしてくれるのも楽しみだった。


 特に冒険者になった者の話は面白かった。

 大剣を背負った十歳年上の少女は、数ヶ月に一度帰ってきては、せがむアンナに剣の稽古を付けてくれたりもした。

 彼女はアンナが七歳のときに顔を見せて以来、二度と帰ってくることはなかったが、きっと今もどこかで元気にやっているはずだ。とアンナは信じている。


 だからアンナは、さほど自分を不幸だと思ったことがなかった。

 しかし八歳のとき。

 物心ついてから、初めて不幸なことが起きた。

 高熱と目眩と吐き気に襲われ、歩くどころか体を起こすこともできなくなったのだ。

 慌てた神父とベラは医者を呼ぶが、アンナを治すには錬金術師からとてつもなく高価な薬を買う必要があるという。

 それは教会の孤児院の運営費三年分に相当した。

 もちろん、そんな蓄えはなかった。

 だから借金をするしかなかった。


 幸いにも、金はなんとか集まった。

 もともと定期的に寄付金をしてくれる信者たちや、毎年ワインを買い取ってくれる商人などが金を貸してくれたのだ。

 決して少ない額ではないが、彼らはアンナがこの孤児院にやってきた経緯を知っている。

 母親が必死に守った命が消えようとしているのを、見過ごせなかったのだ。

 おかげでアンナは今でも生きている。


 借用書は形式的に作ったが、誰も返済を迫ったりはしなかった。利子すら取られなかった。

 しかし善意に甘えてばかりもいられないので、ワインの売上を使って少しずつ返済してきた。


 あれから五年が経った。

 返済が終わるまで、もう十年はかかるだろう。

 その前にアンナは一流の冒険者になって、自分の力で返済したかった。

 なにせ自分の病気を治すための借金なのだ。

 孤児院の皆に負担をかけるのは筋違いだろう。


 だからアンナは冒険者ギルドに登録し、金を稼いで安物の剣を買い、一人で剣の稽古を重ねた。

 そして今年、ギルドレア冒険者学園に入学した。

 新入生で最強になるというのは無理だったが、それなりにやっていけている。

 この調子なら落第することなく、無事に卒業できそうだ。

 卒業すれば一気にCランク冒険者。

 高額報酬のクエストを受けまくって、借金を返し、そして孤児院に寄付して恩返しをする。

 そういう計画になっていたのだが――。


 予定が狂ったのは一週間前。

 突如、借金の一括返済を迫られたのだ。

 ただし、返済を迫ってきたのは、貸してくれた信者や商人ではない。

 見知らぬチンピラたちだった。

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