第77話 孤児院は賑やかです

 孤児院にはベラと三人の子供に加え、四十代半ばくらいの神父がいた。

 神父はあまりパッとしない印象の人だったが、二十年以上も前からこの教会と孤児院を守ってきたらしい。

 そしてベラもまた、この孤児院で育った。大きくなってからはシスターとして神父の手伝いをしているという。


 しかし、テキパキと子供たちを仕切って晩ご飯の準備をするベラと、置物のようにテーブルに座っている神父を見比べると、この教会の実力者がどちらなのか、九歳のローラにも何となく分かってしまった。


「さあ、神父様。食事の前のお祈りをお願いします」


 ベラがそう促すと、神父は穏やかな声で感謝の祈りを口にする。

 パッとしない顔だが、本物の神父だけあって、その声には神秘的なありがたみがあった。

 本人はあまりパッとしないが。


「主よ、私たちの日ごとの糧をお与えくださり、ありがとうございます。あなたの祝福が明日も天と地にありますように――」


 最高神様に捧げる祈りの言葉だ。

 ローラも実家にいた頃は、たまーに両親と一緒に教会に行っていたが、食事のたびにお祈りするほど信心深くはなかった。

 学園の学食でもいちいちお祈りしている人を見たことがなかったので、それが一般的なのだろう。

 だが、流石は教会。

 神父様の言葉に続いて、ベラも子供たちも、そしてアンナも祈りの言葉をスラスラ口にしていた。

 シャーロットもお嬢様だけあって、教会の人々に合わせていた。

 ローラだけが半テンポ遅れて復唱する。

 しかしミサキなどもっと酷く、口をモゴモゴ動かして祈っている振りだ。

 まあ、獣人と人間は信仰の形が違うので仕方がない。


「――そして、我らをお救いください。エイメン」


 ローラとミサキは最後の「エイメン」だけを何とか合わせて、かろうじて誤魔化す。

 更にハクがテーブルの上で「ぴー」と声を出して締めくくる。

 神獣にとっても最高神は格上の存在なので、エイメンと言ったつもりなのだろう。多分。


 それにしても「我らをお救いください」なんて、食前の祈りの言葉としては随分と風変わりな内容だ。

 というより、たんなる切羽詰まった神頼みにしか聞こえなかった。

 だが、そんなローラの戸惑いとは無関係に、教会の人々はオムレツにナイフとフォークを突き刺した。


 何を切羽詰まっているのか尋ねようとしたローラだったが、オムレツを直視した瞬間、まともな思考力を失った。

 ナイフで切る。

 すると中からトロリとチーズが垂れてきた。

 フォークで口に運ぶ。

 凄い。

 トロトロのチーズをフワフワの卵が包んでいる。

 これは芸術だ。

 もぐもぐ。


「お、美味しいですね!」


「見事でありますなぁ!」


 母ドーラが作ったオムレツを百点満点だとすれば、これは九十九点くらいだ。

 学食のオムレツはせいぜい七十五点なので、凄いことである。

 オムレツ評論家を自称するローラも納得の味だ。


 ハクも自分の前に置かれた皿を前脚で押さえ、器用にオムレツを食べる。

 とても満足げな顔だ。


「ありがとう。アンナのお友達が訪ねてくるなんて初めてだから、気合いをいれちゃった」


「ベラはオムレツだけじゃなくて、料理はなんでも得意」


 アンナは我が事のように自慢げに呟く。

 すると子供たちも追随した。


「昨日の野菜シチューも美味しかったよなぁ」

「一昨日のキノコが沢山入ったシチューも美味しかったぞ」

「でも最近シチューばっかりだったわね。オムレツなんて食べるの久しぶり」

「姉ちゃんたち、ありがとな!」

「ありがとー!」

「ありがとう!」


 子供たちはニコニコ。

 ローラも「えへへ、どういたしまして」とニコニコ。

 シャーロットも「ふふ、このシャーロット・ガザードにとって、この程度、造作もないことですわ」と得意げだった。


 そしてオムレツを食べ終わったあと、皆で後片付けをする。

 夏休みのときは魔神の如く食器を割っていたシャーロットだが、ドーラの特訓のかいあってか、見事、被害総額ゼロだった。人は成長するのだなぁとローラはしみじみ思う。


「うふふ……やはりわたくしは天才。その気になれば家事だってできるのですわ!」


 シャーロットは鼻息を荒くしながら胸を張る。

 しかし、それを見た子供たちは笑っていた。


「皿を棚に戻しただけなのに威張ってるー」

「変なのー」

「そんなの私たちでもできるのにねー」


 子供たちに笑われ、シャーロットは赤くなってプルプル震えていた。


「シャーロット殿は何でもかんでも自慢するでありますなー」


 ミサキも子供たちに混ざって笑った。

 すると目を吊り上げたシャーロットが、ミサキの耳に襲いかかる。


「ミサキさんなどモフモフの刑ですわ!」


「な、なぜでありますかぁっ!」


 耳を触られたミサキは、椅子から転げ落ち、這いずるようにして逃げていく。

 すると子供たちまでモフモフの刑執行に加わり、きゃっきゃ言いながら耳と尻尾をモフりまくった。


「獣人って触り心地いいんだな!」

「病みつきになりそう!」

「また触らせてね!」


 その楽しげな気配をキャッチしたらしいハクは、テーブルから飛び立ち、子供たちの周りを旋回する。


「飛んだ!」

「小さいドラゴンが飛んだ!」

「小さいのに飛べるのね!」

「ぴー」


 子供たちはドラゴン型の神獣にも物怖じせず、その後ろを追いかける。

 おかげでミサキはようやく解放されたが、既にライフはゼロである。楽しそうな子供たちとは裏腹に、目を回して床に伸びていた。


「よ、喜んでくれて何よりであります……」


 人のいいミサキは、失神寸前までモフられたのに子供たちを怒ったりしなかった。

 だが、シャーロットのことは許せないようだ。

 赤い顔で見上げ、刺すような目を向ける。


「シャーロット殿には今度、仕返しするであります……!」


「受けて立ちますわ!」


 それからローラたちは、教会の人々と互いに自己紹介し、ちょっとした雑談に花を咲かせた。

 背が高い男の子はビリー。背の低い男の子はギルというらしい。

 女の子はコニーだ。

 皆、孤児だというのにとても明るい。

 孤児院での出来事を楽しげに話してくれる。

 庭にあるニワトリ小屋でとれる卵は、自分たちで食べることもあれば売ることもあるらしい。

 また教会の周りに広がるブドウ畑は皆で手入れをしており、もうすぐやってくる収穫期のあとはワインにして出荷するとか。


 今は孤児院に三人しか子供がいないが、前はアンナがいたから四人だった。

 その前はもっといたが、皆、一人で生きていけるくらいに育ち、独立していった。

 アンナのようにたまに顔を見せる者がいる一方、どこで何をしているのか分からない者もいる。


 ビリー、ギル、コニーの三人は年齢が近いので対等に遊んでいるが、今年の春まではアンナがお姉さん役で色々お世話してくれていたという。

 そして、三人より小さい子がやってきたら、今度は自分たちが面倒を見る番だと張り切って語ってくれた。


 いつもボンヤリした顔のアンナがお姉さん役というのは不思議な気がする。

 だが、稀に見せる常識人っぷりや、家事が得意な辺りに、その片鱗が見えていた。

 そうか、アンナはお姉さんだったのか――と妙に感心するローラであった。


「ところで神父様、ベラさん。さきほどの食前の祈り、少し妙でしたわね。我らをお救いください、と。神父様はそう仰っていましたわ。失礼ですが、食事がちゃんと目の前にあるというのに、更に救いを求めるのは最高神様に対して失礼ではありませんか? それとも、この孤児院で何かトラブルでも?」


 話が一段落したところで、シャーロットが疑問を口にした。

 そうだったとローラも思い出す。

 オムレツのせいですっかり忘れていた。


 そもそもローラたちは、アンナの怪しい行動を解明するために放課後を使っていたのだ。

 アンナは校則違反を犯してまでモンスターを狩り、お金を稼いでいた。

 そして稼いだお金を持って、一直線にこの孤児院にやって来た。

 この時点で怪しいのに、加えて神父様の「我らをお救いください」という祈り。

 もはや決定的と言えるだろう。


「……それはシャーロットには関係のないこと」


 アンナはぽつりと呟く。説明を拒絶していた。

 神父とベラもうつむいて黙ってしまう。

 三人の子供たちだけが、キョトンとした顔で皆の顔を見回していた。


「そうはいきませんわ、アンナさん。ホーンライガーを三匹もギルドに持っていけば、一家が冬を越してもまだ余るほどの収入になるはず。それでもまだ解決しない問題を友人が抱えているのに、放っておけるはずがないでしょう!」


 シャーロットは叫んでテーブルをバシンと叩く。

 すると全員が彼女に注目し、ポカンとした顔で見つめた。


「な、何ですの? わたくし、変なことは一つも言っていませんわよ!」


「いやいや。見直しているのでありますよ、シャーロット殿。友達が困っているときは助ける。当たり前のことでありますが、そんな情熱的に言う人を初めて見たであります。偉いであります!」


「シャーロットさんはとても優しい人なんですよ、ミサキさん。見た目が派手なせいで誤解されがちですけど……」


「確かに、シャーロットはとてもいい人」


 ミサキ、ローラ、アンナに褒められたシャーロットは、茹で蛸みたいに赤くなって震えた。照れているらしい。可愛い人である。

 そんなシャーロットを見たベラは子供たちに視線を向け、もう遅いからそろそろ寝るように促す。


「えー、なんでだよー。アンナ姉ちゃんの友達が来てるんだから、もう少しくらいいいだろー」

「白いドラゴンともっと遊びたーい」

「ミサキちゃんをモフモフしたーい」


 モフモフという言葉に、ミサキはビクリと震える。


「駄目よ。ここからは大人の時間なの。いつもは寝てる時間でしょ。ほらほら」


 ベラは三人を立たせ、背中を押して寝室へと連れて行く。

 そのとき三人はローラをチラリと見て、納得できないという顔を見せた。

 大人の時間と言いつつ、さほど歳の変わらないローラが起きていてもよい道理とはなんなのか。そう問いたげだった。

 それに関してローラは反論の言葉を持たないので、明後日の方向を見て誤魔化すしかない。


「さて……子供たちがいなくなったところで、本題に入りましょう。この教会がかかえているトラブル。いいわね、アンナ。この子たちは、あなたを心配してここまで来てくれたんだから。何も教えないで追い返したら、逆に不誠実というものだわ」


「分かってる。だから私が説明する」


 アンナは改まった口調で言う。

 そのせいでローラは背筋をピンと伸ばしてしまった。

 すると頭の上でハクまでモゾモゾと座り直し始めた。

 シャーロットとミサキも同様だ。


 そしてアンナは一度深呼吸してから、静かに語り始めた。

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