第70話 宿題が最優先です

 ローラは先程から応接室のソファーに座ってソワソワしていた。

 なにせ相手は女王陛下である。

 大賢者よりも偉いのである。

 緊張して当然であろう。

 しかし、どういうわけか、ソワソワしているのはローラだけだった。


 床ででんぐり返しをして遊んでいるハクはいい。

 彼は神獣だ。神様だ。ある意味、女王陛下よりも格上である。


 だがシャーロット、アンナ、ミサキは少々リラックスし過ぎではないか。

 特にアンナは制服に着替えたものの、まだ夢うつつな顔だ。

 寝ぼけて粗相しなければいいのだが。


「……シャーロットさんはどうしてドヤ顔なんですか?」


「ふふふ……わたくし、ガザード家の娘として、女王陛下の誕生日パーティーに出席したことがあるのですわ。そのときしっかり会話もさせて頂きました。いわば女王陛下とは友人同士なのですわ!」


「はあ……」


 一度会話をしただけで友人というのも厚かましい話だ。

 有名人との繋がりをアピールしたいのだろう。

 十四歳とはそういう年頃だと聞いたことがある。


「ミサキさんも緊張するなり恐縮するなりしましょうよ……」


「なぜでありますか? 私は獣人であります。人間の女王に敬意は払いますが、恐縮する理由がないでありますよ」


「なるほど……そういう考え方もありますか……」


 そもそも生物として種が違うから、身分の差を気にしなくてもいいという理屈だ。

 その上で敬意は払うと言っているのだから、妥当な対応かもしれない。

 むしろローラもそのくらいの気持ちで行くべきといえる。

 ちゃんと敬っていれば、卑屈になる必要はない。


「分かりました。私もミサキさんを見習って、堂々としていましょう」


「それでこそロラえもん殿であります。ハク様が選んだだけあるであります」


 そう言ってミサキはハクを持ち上げ、ローラの太股の上に乗せた。


「ぴー」


「そうです。私は神獣に選ばれたんです。女王陛下、ドンと来いです!」


 ローラは自分の胸をドンと叩いた。

 その瞬間、応接室の扉がドンと開いた。


「待たせたな。妾がこの国の女王、エメリーン・グレタ・ファルレオンである。今日は急な訪問にもかかわらず、妾のために時間を割いてくれて礼を言うぞ」


 入ってきたのは、幼い少女だった。


「……?」


 ローラたちは首を傾げる。

 なにせ女王陛下の年齢は、確か二十代半ばだったはずだ。

 しかし今、目の前にいる彼女は、どう見ても十歳くらいである。

 なるほど。そのドレスは女王陛下が着るに相応しい豪華絢爛なものだ。

 声の張りも立ち振る舞いも優雅。

 王族だと言われても納得だ。

 とはいえ、女王陛下というのは、ちょっと信じがたい。


「はぁい、私も来たわよー」


 自称女王に続いて、大賢者も現われた。

 気の利いたことに、全員分のティーカップとお菓子が盛られたお盆を持っている。

 そしてなぜかメイド服を着ていた。


「女王陛下がいらしたんだもの。おもてなしの心を服装で示してみたわ」


 そう言って大賢者はくるりと周り、メイド服のスカートを広げる。

 だが、自称女王のお気に召さなかったようだ。


「何がおもてなしの心じゃ! 妾をこんな姿にしておいて……早く元の姿に戻すのじゃ!」


 自称女王はぷくーと頬を膨らまし、上目遣いで大賢者を睨み付ける。

 それが大変可愛らしかったので、ローラはつい抱きつきそうになった。

 大賢者の口ぶりからして、この少女が女王陛下なのはほぼ確定だ。

 そんなお方に、可愛いからといって抱きつくのは不敬の極みだ。


「もしかして……学長先生の魔法で陛下は小さくなってしまったんですか?」


 そう質問すると、女王陛下は我が意を得たりという顔でローラを見つめた。


「そなたの言うとおりじゃ! 先日この学園のトーナメントで、王都全土に被害が出そうな戦いがあったじゃろ。その件で抗議したらな、この大賢者め。妾に魔法をかけて、こんな姿にしおったのじゃ! いい加減、元に戻せ!」


「一年くらいしたら効果が切れて元に戻るから急ぐ必要ないわよ。それに、可愛いからいいじゃない」


 そうだ、女王陛下はとても可愛い。

 ローラはつい大賢者の言葉に頷いてしまった。

 するとシャーロットとアンナとミサキも一緒に頷いた。

 満場一致である。

 国民の総意だ。

 このままでいてもらおう。


「いいわけがあるか! 公務に差し支えるぞ!」


 それからしばらく女王陛下と大賢者はぎゃーぎゃーじゃれ合っていた。

 そして数分後、女王陛下の気が済んだらしく、大人しくソファーに腰を下ろした。

 大賢者はテーブルにお盆を降ろし、それから女王陛下の隣に座って抱きしめたり頭をなでたりする。

 羨ましい。


「鬱陶しいなぁ……まぁよい。大賢者はこういう奴じゃ。天災か何かだと思って通り過ぎるのを待つより他にない。本題に入ろう。あの盗賊団『灰色の夜』を捕らえたのは、そなたたち三人だと聞いた。ローラ・エドモンズ、シャーロット・ガザード、アンナ・アーネット。被害者たちに変わって礼を言う。奴らは盗みだけでなく、人殺しも躊躇せずやっていたからな。騎士団にも捜査させていたのじゃが……そなたらのおかげで本当に助かった」


 女王陛下は大賢者の腕を振り払い、そして頭を下げた。

 やんごとなき身分のお方にそんなことをされ、ローラたちも慌ててペコペコ頭を下げる。


「こちらこそ、そんな、もったいないお言葉を……」


 九年分の人生経験しかないローラは、女王陛下を前にして何を言っていいのかわからず、パニックになる。

 むしろ、九年だろうが九十年だろうが、普通の人間は女王陛下に頭を下げられるなんて経験はしないだろう。

 ローラがパニくっているのは、仕方のないことなのだ。


「陛下。わたくしたちのような者にも真摯な対応をしてくださり、ありがとうございます。一生の思い出ですわ」


「そなたたちの功績を考えれば、当然のことじゃ。妾にできるのはこのくらいだしな。まあ、連中には懸賞金がかかっていたから、あとで報酬が支払われるはずじゃ。ええっと、確か……」


 その金額は、一年くらい遊んで暮らせそうな金額だった。

 山分けしたとしても大金である。


「あ、私はいらないからローラちゃんたちで三等分してねー」


 大賢者はクッキーを食べながら言う。


「え、いいんですか?」


「いいの、いいの。私、お金持ちだから」


 そう語る大賢者からは、まるでお金持ちのオーラが感じられなかった。

 もっとも、生きる伝説とまで言われた人だからお金持ちでも不思議でない。


「実家の資産では負けませんわ!」


 お約束のようにシャーロットが対抗心を燃やし、身を乗り出した。

 そこからお金持ち自慢対決が始まる。


「ガザード家では石炭の鉱山を持っていますわ!」


「私は鉄鉱山と金鉱山を持ってるわよ?」


「ぐぬ……ガザード家はプライベートビーチを持っていますわ!」


「私は無人島を一つまるごと持ってるけど?」


「ほげぇ……」


 シャーロットは敗北を悟ったらしく、白目を向いてソファーに腰を落とす。

 そんな金持ち自慢の横で、アンナが押し黙り、口をへの字に曲げていた。

 どうやら本気で腹を立てているらしい。

 やはりアンナの家は貧乏なのだろうか。

 聞きにくい話題だが、気になってしまう。


「そなたらの資産など興味ないぞ。そんなことよりも、獣人の少女よ。名はミサキだったか? 王都へようこそ。実は以前から獣人の里を訪ねてみたいと思っていたのじゃが、なかなか機会がなく、今に到ってしまった。かつて人間が獣人に行なった数々の蛮行、いくら謝罪しても足りぬほどじゃが……人間を代表して謝りたい」


「顔を上げて欲しいであります、女王陛下。そんなの私たちが生まれる前の話であります。言い出したらキリがないでありますよ」


「そうか……しかし、妾は謝っておきたかったのじゃ。いやぁ、これでサッパリした。獣人に頭を下げているところを誰かに見られたら問題じゃが、ここにはそなたらしかおらぬからな。お供の連中を玄関に置いてきて正解じゃった」


 顔を上げた女王陛下は、気さくな印象の笑みを浮かべてきた。

 それだけを切り取って見ると、普通の少女としか思えない。

 女王陛下がこんなに話しやすい人だと知っていたら、ローラは無駄に緊張せずに済んだのに。


「ところで、ローラの膝に座っているのが神獣ハクか?」


「ぴ?」


 女王陛下に呼ばれたハクは、目線を上げる。

 ハクは、じぃぃぃっと値踏みするように見つめてから、興味を失い、ローラの太股に顔を埋めた。


「あ、こら。陛下に対して失礼ですよハク」


「よいよい。相手は神獣。人の道理で縛るなど、おこがましい」


「ほほう。女王陛下は話が分かるでありますなぁ。やはり獣人と人間はもっと仲良くなれるであります」


「うむ。妾もそう願っているぞ」


 人間の盗賊団がハクを誘拐しようとしたのは、実に恥ずべきことだ。

 同じ人間として忸怩たる思いがある。

 しかし、獣人たちにはそれを気にする様子がなかった。

 あれはあくまで盗賊団がやったことで、人間という種そのものに対しては、思うところがないらしい。

 もっともオイセ村は、大賢者のせいで良くも悪くも特殊な例かも知れない。

 とはいえ、こうして人間と獣人は普通に話し合うことができるのだ。

 いつかきっと、同じ町で暮らす日が来るかも知れない。


「さて。そなたらへの礼と、神獣ハクへの挨拶が終わったところで……大賢者よ。いい加減、妾を元の姿に戻すがよい!」


「あら、またその話? 気が向いたらねー」


 大賢者は女王陛下を相手にしても、自分のわがままを貫き通していた。

 この国のパワーバランスが、この応接室にそのまま現われているかのようだ。

 何気ない光景に見えて、ローラたちは恐ろしいものを目撃しているのかも知れない。


「くっ……そなたにはもう頼まんぞ! そこでローラたちよ。そなたら、大変優秀な生徒らしいではないか。いや、灰色の夜を捕まえたり、ハクに選ばれたという実績だけでもそれはよく分かる。そこで、だ。この大賢者のたわけた魔法を解く方法を見つけてくれぬか? もちろん報酬は払う。灰色の夜にかけられた懸賞金の十倍を出そうじゃないか」


「十倍!?」


 それを聞いて、今まで黙っていたアンナが急に大声を出した。

 だが、大賢者は怪訝な顔をする。


「ちょっと陛下。子供をお金で釣らないでちょうだい。それに、あんまり大金を持たせるのは教育に悪いわ」


「む、大賢者のくせに正論を言いおって。では倍だ!」


「倍……それでも大金。ローラ、シャーロット。頑張って陛下を元の姿にしよう」


 アンナはいつになく強い口調で迫ってくる。

 よっぽどお金に困っているのか。

 それとも単純に欲しいものでもあるのか。

 今度、真剣に探りを入れてみよう。


「いやぁ……学長先生の魔法ですからねぇ……解くのは難しいんじゃないですか?」


「あらローラさん。何事も挑戦ですわ。それに若返る魔法を解析すれば、ローラさんをいつまでも、その抱き枕に最適な姿で保存する方法を見つけることができるかもしれませんわ」


「そんな方法、見つけなくていいです! 私はちゃんと大きくなります!」


 一体全体、シャーロットはローラをどうしたいのだ。

 本気で一生、抱き枕にするつもりなのか。


「シャーロットちゃん、それなら大丈夫。ローラちゃんには既に、成長を止める魔法をかけておいたから」


「ええ!?」


「ふふ、冗談に決まってるでしょ」


 大賢者は笑う。とても怪しい笑みだった。

 本当に冗談だったのか?

 今は冗談だとしても、将来的にはどうなるか分からない。

 この人は、やろうと思えばローラの成長を止めることができるのだ。

 現に女王陛下は子供の姿にされてしまった。

 いや、それ以前に。大賢者は自身の老化を止め、若さを保っているではないか。

 大賢者にとって老化や成長など、いくらでも操れるものなのだ。


 これは早急に対応策を練らなければ。


「分かりました……陛下にかけられた魔法、私たちが何とかして見せましょう!」


 自己防衛のための研究と、お小遣い稼ぎで一石二鳥だ――。

 なんてことをローラが企んでいると、応接室の扉が開き、エミリアがやってきた。


「ああ、やっと見つけた。あなたたち、ちゃんと夏休みの宿題やってるの? 遊んでちゃダメよ」


「ふぇ? 学長先生は二週間待ってくれるって……」


 オイセ村に向かう前、大賢者は確かに約束したのだ。

 夏休みの宿題を二週間待つようエミリアに伝える、と。


「……学長。私、そんな話、聞いていませんけど?」


「ああ、ごめんごめん。エミリアに伝えるの忘れてたわ。というわけで待ってあげてね。この子たち、神獣の一件で忙しかったから」


「……それにしても二週間は甘やかしすぎです。一週間だけなら待ちましょう」


 エミリアは無慈悲なことを言い出す。


「ちょ、エミリア先生! 一週間はあんまりです! 今からやらないと間に合いません!」


「やればいいでしょ!」


 ド正論で返された。これは言い返せない。困った。


「わたくしは楽勝ですわ」


 シャーロットは澄まし顔だ。これだから秀才は困る。羨ましい。


「私は剣士学科だからエミリア先生が何と言おうと関係ない」


 そしてアンナもまた余裕の表情だった。

 酷い。仲間だと信じていたのに。裏切り者め。


「アンナさん。油断していちゃダメよ。剣士学科の先生は私より厳しいんだから。もしかしたら一週間も待たないかも」


 エミリアがそう言った瞬間、アンナの顔が冷や汗で覆われた。


「ま、まさか、そんな……夏休みは今日を入れてあと三日しか……」


「真面目に頑張りなさい。ところで……この小さい子、誰?」


 エミリアは女王陛下を見つめて呟く。


「エメリーン・グレタ・ファルレオン女王陛下よ」


 大賢者は淡々と答える。

 するとエミリアは数回瞬きし、それから笑い出した。


「もう嫌ですね。学長にしてはセンスのないジョークですよ。どこかの貴族の娘さんですか? あんまり学内に部外者入れないでくださいよ」


 なんて言い残し、エミリアは応接室を出て行った。

 エミリアの姿が消えたあと、女王陛下は唇を尖らせて不満を述べる。


「な、今の聞いたか? 妾が女王だとなかなか信じてもらえないんだ。本当に不便なんだ。だから、そなたら。頼むぞ」


 確かに、これでは公務に支障が出るだろう。

 ローラとしても助けてあげたい。ついさっきまでは助けるつもりでいた。

 だが、しかし。


「あの……私たちは夏休みの宿題をやらなきゃいけないので……魔法を解く方法は、そのあとということで……」


「なっ!? そなたら、女王の願いと夏休みの宿題、どちらが大切なのじゃ!」


 女王陛下は絶叫するように問いかけてきた。

 それに対して、ローラたち三人は同時に答える。


「宿題です!」

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