第67話 どうして子供がこんなに強いんだ
灰色の夜は、魔法による先制攻撃で村をパニックに陥らせるつもりだった。
ところが、その魔法は防御結界によって防がれてしまった。
おかげで逆に灰色の夜がパニックになっている。
「どういうことだ!? まさか、中にいるギルドレア冒険者学園の生徒が結界を張ったのか……?」
リーダーである斧使いは、予定外の事態に、引くべきか残るべきか判断を下せない。
「馬鹿を言え。俺が見たのはガキだった。あれほど強力な結界を張れるかよ。獣人の中に魔法使いがいたか……あるいは他にも誰かいたのか……」
偵察係だった男は、自信なさげに語る。
そして、この中で一番狼狽しているのは、魔法を撃った者だった。
「呑気に語っている場合か! いいか、俺はこれでもBランクの魔法使いだ。その俺の魔法を防いだんだぞ。あの結界の中にはAランクの魔法使いがいるってことだ……ハクを盗むどころか、下手をすれば俺たち、返り討ちにあうぞ」
Aランク――その言葉を聞き、全員が青ざめる。
冒険者ギルドが定めるランクは、SからGまであった。
Sランクは現在、大賢者唯一人であるから、実質的に最高ランクはAとなる。
そしてAランクとBランクの間には、大きな隔たりがあった。
Bランクは、いわばベテラン冒険者。努力で到達できる領域だ。
一方、Aランクの冒険者は、あのドラゴンを単騎で倒せるような者である。
もはや人外の領域であり、一部の天才だけがその領域に辿り着ける。
灰色の夜のメンバーでBランクなのは、この魔法使いと、それからリーダーの斧使いだけだ。
あとの四人は、Cランクで正道からドロップアウトした。
この程度の戦力では、Aランクの魔法使いと戦うなど、とても不可能。
今のうちに諦めて撤退するのが身のためだ。
「逃げようぜ。いくらなんでも、命は惜しい」
「おい、情けないことを言うな。ゴミクズみたいな俺たちだ。命を惜しんでどうする」
「だからって犬死にしても意味はないぜ」
相手が自分より弱いときはこの上なく強気な彼らだが、相手がAランクかもしれないと知った途端、逃げ腰になった。
だから彼らは正道を行けなかったし、盗賊団などになってしまったのだ。
「待て。静かにしろ。結界から誰か出てきたぞ……」
斧使いは静かに呟く。
あの結界は強固だが、中から外に出る分には制約がないらしい。
三人の少女が、まるで警戒心のない様子で出てきた。
「あいつらだ。俺が見た人間のガキってのはあの三人だ」
「なるほどな。確かに一人は冒険者学園の制服を着ている……奴は俺が殺すぞ」
「そんなことより、見ろ。一番小さいガキが、ハクの子供を抱いてるぞ」
灰色の夜は興奮した。
理由は分からないが、Aランク魔法使いの姿はどこにもない。
あの子供たちだけで結界の外に出てきたのだ。
このチャンスを逃す手はない。
襲いかかって、一気にハクを奪い取るべきだ。
「行くぞ!」
斧使いは号令を出す。
まず狙うべきはハクを抱いた少女。
それが一番弱そうだというのが幸いだった。
制服を着ている少女は巨大な剣を背負っており、ハッタリだとしても警戒が必要だ。
金髪の少女は表情が自信に満ちていて、只者ではない雰囲気を放っている。
しかし真ん中の一番小さい少女だけは、腰に剣を下げているものの、人畜無害そうな顔をしている。
一撃で殺してハクを奪い、残った二人もショックから立ち直る前に殺す。
そのままAランクが出てくる前に離脱だ。
完璧な計画。穴はないはず――。
「むむ? 悪者さんたちを発見です!」
一番小さい少女がそう呟いた瞬間、灰色の夜は見えないハンマーで叩かれたように弾き飛ばされた。
「な、何だ今のは!?」
全員、かろうじて受け身をとったが、全身に鈍い痛みが走っている。
しかし受けたダメージよりも、何をされたのか分からないという不気味さが問題だった。
あの少女の仕業なのか?
いや、まさか。
まだ十歳にもなっていないような子供が、無詠唱で大人六人を吹き飛ばすなど聞いたこともない。
「ちっ……結界の奥にいるAランクがやったのか? 奇襲は失敗だ。逃げるぞ!」
「逃がすとお思いですの?」
灰色の夜は踵を返し、森の奥へ走ろうとした。
が、それを阻むようにして、雷の精霊が立ちふさがった。しかもその数、十体である。
「挟まれたのか!?」
どうやら、結界の奥にいる魔法使いは、こちらが予想しているよりも遥かに狡猾らしい。
子供を囮にしてこちらの油断を誘うなど、発想が悪党のそれだ。
しかし、策士策に溺れるという言葉もある。
ハクを外に出したのは失敗だった。
こちらがハクを人質にすることができれば、その時点で形勢逆転。
向こうは何もできなくなるはずだ。
「ギルドレアの生徒! お前は俺が斬る!」
壮年の剣士が、大剣を持った少女に突っ込んでいった。
「……分かった。相手してあげる」
互いの剣が激しくぶつかり、夜の闇に火花を散らせる。
大人と子供の戦いだというのに、少女は一歩も引かなかった。
それどころか、壮年剣士の斬撃をたくみに捌き、的確に反撃すらしているではないか。
「むっ!」
壮年剣士はたまらず後ろに跳び下がる。
すると大剣の少女はすかさず刺突をくり出した。
それは閃光のように速く、そして重い。
壮年剣士は辛うじて弾いたが、刃が欠けてしまった。
その後もひたすら少女が攻め続け、壮年剣士は防戦一方である。
「アンナさんだけを目立たせるわけにはいきませんわ。さあ雷の精霊たち、やっておしまい!」
金髪の少女の言葉に従い、雷の精霊たちが一斉に、灰色の夜に襲いかかってきた。
だが、魔法使いならこちらにもいる。
それもBランクだ。雷の精霊が相手でも、十分に対応できる。
「ぬんっ!」
こちらの魔法使いは地面に手を置き、魔力を流す。
すると土が隆起して、雷の精霊の進行を止めてしまった。
「あらあら、やりますわね。しかし雷とは必ずしも真っ直ぐ進むとは限りませんわ」
土の壁の奥から、閃光が空に上がった。
それは頭上で一つに固まり、そして灰色の夜へ向けて堕ちてきた。
つまり、落雷だ。
「――ッ!」
斧使いがそれを回避できたのは、たんなる勘だった。
仮にもBランクまで上り詰めた経験が、危険を察知して勝手に体を動かしたのだ。
地面を転がって仲間から離れる。
それでもわずかに痺れを感じたが、直撃からは程遠い。
そして起き上がって顔を上げると、四人の仲間が感電して倒れていた。
残っているのは自分と、壮年剣士だけ。
だが、その壮年剣士もたった今、大剣の少女に敗れた。
剣を弾き飛ばされ、その直後、腹に強烈な蹴りを入れられて悶絶。
胃液を吐きながら倒れ、
「なぜだ……学園の卒業生より俺は強くなったはずだ……なぜそこの生徒などに負けねばならない……!」
「……正直、弱かった。強化魔法を使わなくても楽勝だった」
大剣の少女はそう呟いてから、もう一度、壮年剣士の腹を蹴って気絶させる。
これで本当に、斧使いだけになってしまった。
「こうなったら、一か八かを狙うしかねぇ!」
結界の奥にいるAランクだけでなく、少女二人まで強いというのは完全に誤算だった。
しかし、ハクを抱いている少女だけは弱いはず。弱くあってくれ。
そう願いを込めて走り、斧を小さな少女に振り下ろす。
この少女を殺してハクを奪い、人質にして逃走すれば、まだ逆転できるのだ。
仲間を助けることはできないが、それがどうした。
この際、自分一人が助かればそれでいい。
むしろ、ハクを売った金を山分けせずに済む。
そうだ、まだ何も終わっていない。
この少女が死ねばそれで全てが解決する。
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね――。
「アクビが出そうな攻撃ですねぇ」
解決は、しなかった。
なぜなら、目の前にいる小さな少女が、片手で斧を受け止めてしまったからだ。
特に力を込めている様子もない。
飛んできた洗濯物でも受け止めるようなノリで、こちらの渾身の一撃を二本の指で挟んで止めたのだ。
「しかし、斧って使ったことないです。ちょっと貸してください」
小さな少女は指の力だけで、こちらから斧を取り上げた。
斧使いは両手で握りしめていたのに、いとも容易く奪われてしまった。
「うーん……剣とは重さのバランスが全然違います。使いにくそうです……えいっ!」
そして少女は片手で斧を虚空に振り下ろした。
何かを叩いたわけではない。
なのに爆音が鳴った。突風が巻き起こった。
もはや斧を持っていない斧使いは、少女の一振りで吹き飛ばされ、尻餅をつく。
「やはり使いにくいですね。邪魔なのでしまっちゃいましょう」
少女の手から斧が消える。
暗闇のせいで見えなくなったのではなく、炎の魔法で溶かしたのでもない。
始めからそんなものはなかったかのように、消えてしまったのだ。
「に……人間じゃねぇっ!」
「失敬な! 私は人間ですよ、普通の女の子です! ねえハク」
「ぴー」
少女の片腕に抱かれたハクは、こちらを見つめ、不意に大きく口を開き、炎を吐いた。
「うぉぉっ!?」
体が小さいくせに、火力は抜群だった。
火達磨にされた斧使いは転がって火を消し、そして立ち上がって必死に走った。
方向もろくに確認せず、ひたすら森を走った。
あの三人の少女は何だったのだ。
特にハクを抱いた少女は、まるっきり化物ではないか。
あんなものが地上に存在しているというだけで恐ろしい。
あれ以上の恐怖など、想像もできない。
とにかく逃げよう。
そして盗賊から足を洗おう。
残りの人生、何をしていいか分からないが、大人しくしていよう。
あの少女から逃げることができれば、やりなおせるはず。
「……ここは、洞窟? 親ハクがいるって場所か。しかしオーラをまるで感じねぇぞ」
偵察係だった男は、洞窟の奥からハクの気配を感じたと言っていたのに。
もしや、自分たちが戦っている間に死んでしまったのか。
ならば、親ハクの死体の一部でも持ち帰ろう。
ウロコを何枚か持っていくだけで、しばらく生活できる金になる。
「へへ……悪運が少しだけ残っていたみたいだな」
斧使いは、暗い洞窟を手探りで進んでいく。
明かりがないのは不便だが、あの少女たちに見つかる可能性が減るから、むしろ好都合といえる。
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