第65話 自分で釣った魚は美味しいです
洞窟から村に戻った長老は、自分の家に大人たちを集めて会議を始めた。
先代ハクの意志を皆に伝え、そしてその意志に従い、ハクをローラに預けるべきか否か、話し合うらしい。
「会議の結果は分かりきっているであります。先代様の意志を無視できないであります。新しいハク様にもこの村で育って欲しい気持ちはありますが……一番大切なのはハク様の意志であります。というわけで、私たちは暇つぶしに、川で釣りをするであります」
「おお、釣りですか。楽しそうですねぇ」
「焼き魚にして食べたい」
「ふふふ、シャーロット・ガザードは釣りの腕も一流であることをお見せしますわ」
「ぴー」
ハクの問題が予想より早く解決し、ローラはただでさえ心を躍らせていた。そこに遊びのお誘いである。
盛り上がるに決まっている。
しかし、大賢者だけは乗ってこない。
「あー、ごめん。私は先代ハクのところに戻るわ。色々と話したいことがあるし」
「……そうですか。分かりました。では学長先生の分まで私たちが釣っておきます!」
「ふふ、期待してるわよ」
大賢者は洞窟に向かって歩き出す。
もともとさほど身長の高い人ではないが、今日は一段とその背中が小さく見えた。
「……私たちはハク様を崇めていますが、大賢者殿にとっては対等な友人でありますから……私たちなどより、よっぽど思うことがあるのでありましょうなぁ」
ミサキもローラと並んで、大賢者の後ろ姿を見守った。
心配であるが、だからといってあとを追いかけるわけにもいかない。
流石に無粋すぎる。
それに相手は、三百年近く生きた伝説の人だ。
九歳のローラがあれこれ気に病むのは、大きなお世話だろう。
大人しく釣りをしているほうが身の丈に合っている。
というわけでローラたちは、ミサキが持ってきた釣り竿を担ぎ、メーゼル川に向かった。
ローラたちが見慣れているメーゼル川は幅の広い大河だが、ここは上流だけあって、とても狭かった。
その代わり流れが激しく、岩が沢山あるので落ちたら危険だ。
「その辺の石をひっくり返せば、虫やミミズがいるであります。それを針に付けて垂らせば、イワナやヤマメが釣れるであります」
その説明を聞きながら、アンナは早くもヨダレをたらしていた。
そして真っ先に岩をひっくり返し、ミミズを針に刺して川に投下する。
「アンナさん、抜け駆けはズルイですわ! フィッシング女王の座はわたくしのものですわ!」
フィッシング女王とは果たして何であろうと首を傾げつつ、ローラもエサを探す。
ローラたちは女の子だが、冒険者を目指しているのだ。ミミズや虫を素手で触るくらい、朝飯前である。
そして山育ちのミサキも当然、手慣れた手付きで虫を針に付けていた。
しかし意外なことに、ハクはミミズが苦手らしい。
「ぴー!」
岩の下からウネウネ動くミミズが出てきた瞬間、悲鳴を上げてローラの腕にしがみついてきた。
そしてギュッと目を閉じ、ブルブル震える。
「大丈夫ですよ、ハク。絶対ミミズよりハクのほうが強いですから」
「ぴー、ぴー」
ハクはローラから離れない。
どうやら強さは関係がないようだ。
まあローラも、「お前はゴキブリより強いから平気なはずだ」と言われたら、首を横に振る。
嫌なものは嫌なのだ。
「ほら、ハク。ミミズさんはもう川の中ですよ。もう目を開けても大丈夫ですよ」
「ぴぃ……」
ハクは恐る恐るといった様子を目を開き、そこにのたうつミミズがいないことを確認する。
それで安心したらしく、ローラの体をよじのぼり、頭の上で四肢をダランと投げ出してリラックスした。
「もうすっかりローラさんの頭が定位置ですわね」
「ハク、帽子みたい」
「羨ましいであります。私もそのくらいハク様に懐かれたいであります」
ハク帽子は皆に好評だった。
しかし実のところ、ローラとしては首が疲れるので誰かに変わってもらいたい。
「ではミサキさん。ハク帽子を貸してあげましょう」
「おお、ロラえもん殿、太っ腹であります!」
ローラはハク帽子を脱ぎ、ミサキの頭に被せた。
ミサキは憧れのハク帽子をゲットしてご満悦の様子だが、当のハクは真逆の反応をする。
「ぴ!」
さっきまでのノンビリした様子が嘘のようにハクは素早く立ち上がり、翼を広げてローラの頭に戻ってきた。
目にもとまらぬスピードだ。
この子はこんなに速く動けたのかと瞠目するほどである。
「うぅ……やはりロラえもん殿の頭でなければダメでありますか……」
「あはは……まあ、この子も大きくなれば親離れしますよ」
「大きくなってから頭に乗られたら死んでしまうであります」
それもそうだ。
「釣れた」
ローラとミサキがハク帽子で盛り上がっている隙に、アンナが一番乗りで魚を釣り上げた。
「く……アンナさん、やりますわね。しかし、次はわたくしですわ!」
シャーロットは本気で悔しそうに呻く。
だが、次に魚がかかったのはミサキの釣り竿だった。
その次はローラである。
「な、なぜですの……!?」
泣きそうな顔で訴えられても、ローラたちが知るはずがない。
全てはお魚さんの気分次第である。
「それにしても、ここはよく釣れますね。私の実家の近くにあった湖も魚が沢山いましたが、ここはそれ以上かも知れません」
全員合わせて、二十一匹も釣れてしまった。
ただしシャーロットは一匹も釣れなかった。よほど悲しかったのか、本気で涙を流している。
「う、うぅ……」
「よしよし」
号泣するシャーロットをアンナがなでて慰めている。微笑ましい光景だ。友情は美しい。
「……あれ? 魚、減ってません?」
皆が釣った魚は、一カ所にまとめていたはずだ。
なのに、どう数えても十六匹しかいない。
残りの五匹はどこにいったのだろうか。
「まさか……盗賊ですか!?」
「盗賊がわざわざこんなところにやってきて、魚を五匹だけ盗んで消えるとは思えないでありますが」
ミサキの言うことはもっともである。
しかし、現に魚は消えたのだ。
まさか足が生えて走って逃げたわけでもあるまい。
「ぴー」
ハクの声が足元からした。
そういえば、さっきまで帽子になっていたハクが、いつの間にか頭の上から消えている。
釣りに熱中していて気にも留めていなかった。
「あっ、ハク、あなたが犯人だったんですね!」
「ぴ?」
見れば、ハクの口から魚の尻尾が見えていた。
だがハクは悪びれることもなく、それをゴクンと飲み込んだ。
白昼堂々、なんと大胆な犯行か。
「ダメですよ、皆で釣った魚なのに、勝手に食べたりして」
「そうであります。生よりも焼いたほうが美味しいであります!」
ミサキは論点が違うことを言い出した。
「ロラえもん殿は魔法使いであります。ハク様のために、魔法で魚を焼くであります」
「え、いや、ハクだけじゃなく、皆で食べましょうよ」
「それでもいいであります。とにかく生は危険であります」
そりゃ人間が魚を生で食べたら危険かも知れないが、明らかにドラゴンのハクなら、大丈夫なのではないか。
現に本人は大変美味しそうに食べている。
もっとも、魚を焼くことそれ自体は賛成だ。
ローラも早く、自分で釣った魚を食べてみたい。
というわけでローラは、魚を平らな岩の上に並べ、手の平から火炎を出した。
ローラくらいになると、魚を焼くのに適切な火力の炎を出すことが可能なのだ。
片面に焦げ目が付いたら、ひっくり返してもう一度。
「はい、上手に焼けました!」
「おお、流石はロラえもん殿でありますな!」
「じゅるり」
「こ、この程度、わたくしでもできますわよ!」
そして、その辺から手頃な枝を拾ってきて、川で綺麗に洗ってからフォークの代わりにする。
これで食べる準備は万全だ。
早速食べる。
表面はサクサク。中身は油がじゅわり。
いい。凄く美味しい。
「自分たちで釣った魚は美味しいですねー」
「同感であります」
「デリシャスですわぁ」
「もぐもぐ、もぐもぐ」
一匹も釣っていないシャーロットにまで『自分たちで釣った補正』がかかっているのが不思議だが、当人が満足そうなので、これでいいのだ。
「ほら、ハクもお食べ。生よりも美味しいですよ」
ローラが焼き魚を差し出すと、ハクは頭からかぶりつく。
「ぴーっ!」
やはり神獣の舌も、焼き魚を美味しく感じたようだ。
あっという間に一匹食べ尽くしてしまう。
「さっき生で五匹も食べたのに、まだお腹減ってるんですか? そんな慌てなくても、魚はまだ沢山ありますよ」
ハクは二匹目の魚も夢中で食べる。
そして三匹目に口を付けようとした、そのとき。
岩の上に並んだ焼き魚をジッと見つめ、何か考え込むような顔になる。
「……どうしたんですか、ハク」
「ぴぃ!」
ハクは大きく頷き、そして、口から炎を吐いた。
それはそれは見事な炎だった。
さっきローラが出した、魚を焼くのに適切な火力とはまるで違う、暴力的な炎だった。
「ハク様、凄いであります。赤ん坊なのに炎を吐けるなんて尊敬であります!」
「ミサキさん、褒めてる場合じゃないですよ! 魚が炭になっちゃったじゃないですか……もう、ハク。どうしてこんなことをしたんですかっ?」
ここは叱らねばならないと判断し、ローラはきつい口調でハクに詰問する。
が、ハクは怒られていること自体に気付いていないようで、真っ黒になってしまった魚の前で胸を反らしていた。それはとても自慢げだった。
「……ハク。もしかして、焼けば焼くほど美味しくなるとか思ってます?」
「ぴ!」
言葉は分からないが、ハクの考えていることは表情と仕草から分かった。
これは完全にいいことをしたつもりでいる。
叱るに叱れない。
しかし、ハクの自信も長くは続かなかった。
もはや食べ物ではなくなってしまった魚に、ハクはかぶりつく。
そして「ぴいいいいい!」と悲鳴を上げて吐き出した。
当然である。見るからに不味そうだ。
「わ、わたくし、まだ二匹しか食べていませんのに……うぅ」
シャーロットは魚の消し炭を見てポロポロ泣き始めた。
ここはまたアンナに慰めてもらわねば、と思って見たら、アンナも一緒に泣いていた。
「食べ物の悲しみは何よりも重い……」
「そんな、二人とも泣かないでくださいよ……どうしよう、これは私のせいです……私はハクの親なのに、監督責任を果たせませんでした……うぇぇん!」
ローラは罪悪感で押しつぶされそうになる。
そんなローラの姿を見て、ハクも泣き出した。
「ぴぃぃ……ぴぃぃぃぃ!」
「ハ、ハクは悪くないです……私がしっかりしてないからこんなことに……」
「ロラえもん殿の責任ではないであります、そんな気に病むことはないであります……ああ、ハク様も涙を止めるであります……どうやったら皆、泣き止んでくれるでありますか、うわぁぁぁんっ!」
複雑怪奇な原因により、その場にいた全員が口を開けて泣き始めた。
破壊は悲しみしか生まない。
そして悲しみは連鎖する。
それが今日の教訓だ。
しかし、人々は教訓をすぐに忘れてしまう。
具体的にいえば、夕暮れになった頃、村のほうから美味しそうな匂いが流れてきて、それに釣られて歩き始めたときは完全に悲しみを忘れていた。
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