第61話 空飛ぶ絨毯です

 獣人が住んでいる村や町は総じて『獣人の里』と呼ばれている。

 よって、その数は一つではない。

 世界各地に点在しており、おおむね人間とのかかわりは最小限に抑えている。


 では、そもそも『獣人』とは何か。


 人間と似たような姿で、人間と同等の知性を持ち、身体能力は人間以上。

 その起源はどうやら、古代文明が作り出した人工生命体のようだ。

 遺跡に残されている記述によれば、獣人たちは古代人の奴隷として作り出され、その命令に絶対服従していたという。

 なんでも、獣人を従わせるための魔法があったらしい。

 だが、古代文明は滅びた。

 同時に、その魔法も失われた。

 そして獣人たちは人里離れた山の中に移動し、ひっそりと暮らしてきた。


 もはや獣人たちは奴隷ではない。

 彼らは自らの意志によって生きる自由を得たのだ。


 だというのに、古代に奴隷だったという理由で、いまだに獣人へ差別意識を持っている人間がいる。

 更に極端なのは、獣人はモンスターであるという思想だ。

 確かにモンスターの定義とは『古代文明によって作られた生物兵器』である。

 また実際に、獣人たちが兵器として戦争に使われたという記録も残っていた。

 それを根拠に、獣人はモンスターであるから人権はなく、殺しても犯しても問題ない、などと主張する輩がいた。


 もっとも、そのように無知蒙昧なことを言う者は少数派であり、もはや獣人を積極的に害そうとする人間はほとんどいない。


 今でも人間と獣人の仲が良いとは言いがたい。だが、かつての差別は本当に凄まじかったのだ。

 それが若干マシになったのは、百三十年前。この国に魔神が出現したのがきっかけだと教科書に載っていた。


 魔神を倒したのは大賢者だ。

 大賢者とそれ以外の人間は力が隔絶していて、手助けしようにも足手まといにしかならなかった。

 しかし、大賢者に協力者がいなかったわけではない。

 その協力者こそ、神獣ハクである。


 ファルレオン王国の人間にとって、ハクとは獣人が崇める土着の神という認識でしかなかった。

 そのハクが魔神に立ち向かい、大賢者とともに戦ったということで、ファルレオン王国の人間は大変驚いた。


 獣人としては、人間を助けようなどと思っておらず、たんに自衛のためにハクへ願い、魔神と戦ってもらったのだ。

 だがそれでも、人間と獣人が協力して戦い、魔神に勝利したという事実は変わらない。


 以前から獣人たちへの差別に心を痛めていた大賢者は、これをチャンスと思い、人々に訴えた。

 獣人はもはや奴隷ではない。ましてモンスターでもない。

 耳と尻尾が違うだけで、彼らは人間と同じような存在である。

 優遇しろとも尊敬しろとも言わないが、せめて差別はやめようではないか、と。


 その訴えは時間こそかかったものの、少しずつ人々の意識に染み渡り、今ではファルレオン王国の外でも、獣人たちへの風当たりがよくなった。

 少なくとも、モンスターとして扱い一方的に嬲り殺すのは違法となった。


 獣人は基本的に人間嫌いだが、以上のような経緯で、大賢者だけは別枠として扱われている。

 どこの獣人の里に行っても、大賢者だけは歓迎されるという。

 そして王都から最も近い獣人の里『オイセ村』は、かつて共闘したハクがいるということもあり、大賢者はちょくちょく遊びに行っているらしい。


「とは言っても、もう半年くらいオイセ村には行ってないわね」


 大賢者はそう呟き、学園の庭から遠くのメーゼル山を見る。

 その中腹にオイセ村があり、更に登るとメーゼル川の水源に辿り着く。


 ローラはもちろん、シャーロットもアンナも獣人の里に行ったことがないので、緊張した顔で大賢者にくっついて歩く。

 一方、獣人であるミサキは、人間の街にいるというのに、まるで気後れしていない。

 大賢者のせいで人間になれてしまったのかも知れない。


「ところでミサキ。この子の親はまだ生きてるの?」


 大賢者はローラの頭の上にいるハクを指差した。

 するとハクは「ぴー」と呑気に鳴く。


「……まだ何とか生きているであります。しかし卵を産んだということは、その時点で先代様の寿命はもう……」


「分かってるわ。神獣は一種につき一匹。子を残すときが親の寿命。かつて一緒に戦ったハクが死ぬのは悲しいけど、仕方がないわね」


 そう語る大賢者の声は、珍しく寂しそうだった。

 いつも超然としている彼女でも、旧知の者と別れるのは辛いのだ。

 当たり前のことなのだが、ローラにはそれが新鮮に感じられた。


「さて。親ハクが生きているうちに行って、顔を見てやりましょうか。というわけで――」


 大賢者は腕を伸ばし、すっと横に振った。

 するとその瞬間、何もない場所から一枚の絨毯が現われ、地面にひらりと舞い落ちたではないか。


「え、え!? 学長先生、今のどうやったんですか。これも魔法ですか!?」


 魔法で火や雷を出すというのは日常茶飯事であるが、絨毯というまともな物体が現われたことにローラは目を丸くする。

 シャーロットとアンナも、ぽかんと口を開けていた。


「特殊魔法の一種ね。魔力で絨毯を作ったんじゃなくて、次元倉庫から絨毯を取り出したの。あ、次元倉庫ってのは……何て説明したらいいかしら。この世界とはちょっとズレた空間、みたいな? そういう場所に物体を転送して、必要に応じてまた呼び出すの。そうすれば、かさばらずに沢山の物を一度に運べるから便利よ」


 大賢者は、まるで生活のちょっとした知恵みたいなノリで語る。


「そ、そんな魔法、聞いたこともありませんわ!」


 ガザード家の娘であるシャーロットは、幼い頃から魔法の知識に触れる機会が多かったはずだ。

 そんな彼女でも、次元倉庫を知らないと言う。


「そりゃそうよ。私のオリジナル魔法だし。エミリアとかに教えても、習得できなかったし」


「もしかして、学長先生以外に使い手がいない魔法ってことですか?」


「そういうことになるわね」


 大賢者は、さらりと凄いことを言う。

 エミリアのような一流の魔法使いでも真似できない高度な魔法を自力で編み出し、それを苦もなく操っている。

 人類史上最強の魔法使いとは、嘘でも誇張でもないのだ。

 カルロッテ・ギルドレアに並ぶ者など、唯一人も存在しない――。


「便利そうだから、ローラも覚えたら?」


 アンナが真顔で言う。


「いやぁ……学長先生しかできないような魔法はちょっと……」


「あら、ローラさん。やりもしないで諦めるなんて情けないですわ。それなら、わたくしが先に習得してみせますわ!」


 シャーロットは気合いのこもった声を上げ、そして絨毯に向かって腕を伸ばし「むむむ」と唸る。


「ダメですわ……次元倉庫というのが全くイメージできませんわ……」


「偉そうなこと言ったわりに、諦めるのが早いですね」


「あ、諦めたのではありませんわ! ただちょっと中断しただけですわ!」


 シャーロットは髪を揺らして訴えてくる。

 しかし大賢者のオリジナル魔法なのだから、諦めたって恥ではないのだ。

 できなくて当然……とはいえ、彼女の言うように、やる前から諦めるのは確かに情けない。

 一度くらいは試してみよう。


(まずは次元倉庫をイメージ……)


 この世界とはちょっとズレた空間――大賢者はそう言っていた。

 それを頭の中に描く。

 そして次は、絨毯をそこに送り込むイメージ。

 イメージを現実に変換。

 魔力を放出。絨毯を包む。次元を歪める――。


「絨毯がいきなり出てきたと思ったら、今度は消えてしまったであります!」


 ミサキは耳と尻尾をピコピコさせて驚きを露わにする。

 シャーロットは悔しそうに歯軋りし、アンナは「おおー」とボンヤリした歓声を上げた。

 大賢者はニコニコと笑みを浮かべ、なぜかローラの頬をムニッと引っ張った。


「はへぇ? 何をしゅるんですかぁ?」


「次元倉庫を開くのって、私でも一週間くらい練習したのに、ローラちゃんは何を一発で成功してくれてるのかしらー?」


「ふへぇ、しょんなこと言われても……」


 大賢者は笑顔のまま、ローラのほっぺを左右に引っ張った。

 どうやら怒っているらしい。というか嫉妬だ。

 まさか大賢者にまで嫉妬される日が来るとは思わなかった。

 ローラにとって次元倉庫はさほど難しくはなかったのだが……相変わらず皆の感覚が分からない。


「あら? ローラちゃんのほっぺ、凄く柔らかいわね。引っ張るのが楽しくなってきたわ……」


「やめてくださいぃ、伸びちゃいますぅぅ」


 十秒後、ようやくローラは大賢者の魔の手から解放された。

 ひりひりする両頬をシャーロットとアンナがなでてくれた。

 持つべきものは友達である。


「とりあえず、絨毯を出してちょうだい。あれに乗ってオイセ村まで行くんだから」


「え、空飛ぶ絨毯なんですか!?」


「違うわ。絨毯のそのものは普通。私の魔法で飛ばすの」


「なーんだ」


 ローラはガッカリしつつ、次元倉庫から絨毯を出す。

 大賢者はその上に座り、体から魔力を放つ。

 すると絨毯が音もなく、地面からふわりと浮き上がった。


「さあ、乗って乗って。百人乗っても堕ちないから大丈夫よ。そんなスペースはないけどね」


「……物体を浮かせて静止させるとか、何気に超高等技術ですわ」


 シャーロットはわなわな震えながら絨毯に座る。

 続いてローラたちも乗り込む。

 これで五人と一匹が座ったわけだが、それでも絨毯には余裕があった。

 広々として快適だ。

 これに乗ってどこまでも旅をしたい。

 今度、ローラも絨毯を飛ばす魔法を覚えてみよう。

 いや、絨毯よりもベッドを飛ばしたほうが楽しいかも知れない。


「じゃ、しゅっぱーつ!」


 大賢者が前方を指差すと、絨毯はスイーと飛び立った。


「凄い……私たち、風になってる」


 アンナは絨毯の端から王都を見下ろし、興奮した声を出す。

 すでに人が蟻みたいに小さくなっている。

 これならあっという間に目的地に着くだろう。


「空を飛べるなんて学長先生は凄いんですねぇ!」


「ローラさんとわたくしは自力で飛べますわよ?」


「言われてみればそうでした!」


 惚けているのではなく、本気で忘れていた。

 近頃ローラは色々なことを一気にできるようになったので、自分に何ができるのか把握し切れていないのだ。


「ぴー」


 ローラの頭の上から神獣の鳴き声がした。

 自分も飛べるぞ、と訴えるような声だった。


「ハク様が飛べるのは当然であります!」


 なぜかミサキは自分のことのように胸を反らす。

 耳と尻尾も上機嫌に揺れており、ローラはモフモフしたい衝動を抑えるのが大変だった。

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